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テーマ:鉄道模型(716)
カテゴリ:鉄道
この本を読んで印象に残るのことは,原さんの鉄道や鉄道模型に対する情熱ではなくて,原さんのお金持ちぶりです。原さんの略歴は,1919年(大正8年)生まれ,小学校は慶應義塾の幼稚舎,大学は慶應大学高等部(高商)から鉄道に関する工学技術を学びたいという理由で東京工業大学へ編入,その後,徴兵され,戦後は GHQの将校のドライバー兼通訳,そして奥様の父が創業したコクヨへ入社して専務になり,退職。原さんの祖父は地金商でした。 まあ,大正生まれの人が小学校が慶應義塾の幼稚舎で,そのまま慶應大学まで進んで,東京工業大学へ編入したという人物ですから,裕福な家庭で生れ育った人でなければできない芸当ではあります。現在でも慶應義塾大学や東京工業大学へは受験優等生なら入学はできるでしょうが,さすがに小学校が慶應の幼稚舎という人はそうはいないでしょう。 さて,その原さんの裕福ぶりですが,小学生のとき(大正末期~昭和初期)に上野の松坂屋デパートで売られていたアメリカ製の4輛編成の鉄道模型を買ってもらったんです。その価格は495円。当時の内閣総理大臣・浜口雄幸の月給が450円,2003年11月から2006年9月まで内閣総理大臣を務めた小泉純一郎の月給が225万5000円だったそうですから。当時の495円を現在の金額に換算すると250万~500万円といった感じになります。そんなに高価な鉄道模型を買ってもらえる小学生ってっ それから原さんは学生時代の1937年(昭和12年)に通学用として自家用車(ダットサン)を買ってもらったそうです。価格は1560円。当時,車で通学する学生は原さんの他に1人いるだけだったそうです。今でも激安の中古車以外で自分専用の自動車を持っている大学生はそうざらにはいないんじゃないかなあ。大学は多分,慶應大学時代かと思います。当時の国立大学の東京工業大学で,原さん以外に自動車通学できる学生って考えにくいし。 私が以前勤めていた会社の上司は1940年初頭生まれなのですが,小学校(幼稚舎)から大学まで慶應義塾で,慶応大学時代(1960年前後)に自分専用の自動車を持っている人でした。その上司以外で自分専用の自動車を持っている学生は二人しかいなかったそうです。やっぱり幼稚舎から慶應義塾に通っている人はお金持ちですね。 原さんは,コクヨ時代は技術者として働き,特許もあるのですが,その権利は会社であるコクヨが持っているそうです。原さんは特許の権利は手離しましたが,その代わりコクヨの株を持っているんだそうです。原さん曰く これって,代表的な例だと,青色LEDを発明した中村修二さん(元・日亜化学工業社員,現・カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授)なんですが,原さんは裕福な家庭に生まれ育ち,奥様がコクヨ創業者の娘という裕福な経営者側の環境にいるから出てくる発想じゃないかなあ。特定の一企業に死ぬまで関わっていたいと思う人に対してなら大発明の対価として会社の株を与えることはいいことだと思いますが,会社に不満を持ちつつも生活のために働いている人にとっては大発明の対価として大金をもらった方がいいと思うなあ。そのお金を元手に自分で事業を起こしてもいいし,悠々自適の生活を送ってもいいし,気が向いたら勤務している会社の株を証券会社を通じて買えばいいし,使い道を自由に選べますから。株じゃあ,給料の現物支給みたいだしなあ。 ポチッとね♪ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010.04.16 19:25:55
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