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2008.07.19
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カテゴリ:カテゴリ未分類
魏志倭人伝

魏志倭人伝

考古学と歴史の接点

歴史の実地を試みる。できるだけ多くの資料と史料を調べ、
それについての学説をを広く読むことである。
しかし、資料と史料がそのすべてを正しく語っているとは限らない。
古代になればなるほど文献がなくなり空白が増える。
 その空白を埋めるには推理によるほかはない。
歴史上の推理を「史眼」という。
史眼とは単なる空想や憶測では無く、誰もが納得する説明がなくてはならない。
難しく言えば論証である。
乏しい資料は、ポツポツと散ってる点である。
点と点に線を引いてつなぐのが推理である。
だから、推理が間違ったら線の引き方も間違うわけで、
さらに見当違いの点に線を引けば、
結論はとんでもない方向にそれる。
歴史上の推理も探偵が謎を解いていくのと同じである・・・・

清張の文章である・・彼の小説の原点を見る思いです。

この時代(卑弥呼)に文献なぞあるはずがない。
なぜなら・・文字がなかったから・・
なのに文献?資料に史料?・・・これは魏志倭人伝をいう
資料は中国人の目で見たか聞いたかの文章だ・・





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Last updated  2008.07.20 01:48:43
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