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カテゴリ:歴史・邪馬台国
魏の都は洛陽 南、投馬国に至るのに水行二十日。 長官を弥弥(ミミ)、次官を弥弥那利(ミミナリ)という。 五万余戸ばかりがある。 また南、邪馬壹国に至るのに水行十日・陸行一月。 ここが女王の都するところで、長官を伊支馬(イキマ)、次官以下を 弥馬升(ミマショウ)・弥馬獲支(ミマカキ)・奴佳(ナカテ)という。 七万余戸ばかりがある。 女王国より北の諸国は、その戸数と道里をほぼ記載できるが、その他の周辺の国は、遠くへだたり詳しく知りえない。 ここが、魏志倭人伝の最大のポイント・・・・ 水行30日・・陸行1か月・・・ この記述が九州説を否定する・・ つまり・・まともに解釈すると・・九州を突き抜ける・・ なのに・・なぜ?・・九州なの?・・・ 大分県宇佐市にある神宮が卑弥呼の墓だとわかってこそ・・・ この謎が解けてくる・・・・ 魏志倭人伝・・これは文章だ・・ 文章には必ず書いた本人の「心が」文字に乗り移っている・・ よく読めば・・感じて来る・・・ 作者は・・喜んでいるのか? 悲しんでいるのか? 苦しんでいるのか? 笑っているのか? よく読めばわかる・・・ さらに・・人間は・・人を動かす者と動かされる者 魏志倭人伝の文章は動かされた者が書いた・・・ 動かされた者は動かした者の心が読めない・・・ 動かした者・・卑弥呼 動かされた者・魏の使者・・ つまり、魏の使者には卑弥呼の心が読めない だから・・謎のなっている・・ いや・・使者は文章を書いて・・やっと、理解した・・ 卑弥呼の策略に・・・・・・・ 邪馬台国までの道のりの謎は・・・卑弥呼の策略だった お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.07.21 21:55:25
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