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カテゴリ:歴史・邪馬台国
魏の都は洛陽・・邪馬台国の都は宇佐・・ 宇佐と洛陽を直線で結び・・20:1 4000KM:200km そのポイントが・・金印の発見場所志賀島だ・・卑弥呼が金印を埋めた場所 金印は・・道しるべだった 南、投馬国に至るのに水行二十日。 長官を弥弥(ミミ)、次官を弥弥那利(ミミナリ)という。 五万余戸ばかりがある。 また南、邪馬壹国に至るのに水行十日・陸行一月。 ここが女王の都するところで、長官を伊支馬(イキマ)、次官以下を 弥馬升(ミマショウ)・弥馬獲支(ミマカキ)・奴佳(ナカテ)という。 七万余戸ばかりがある。 女王国より北の諸国は、その戸数と道里をほぼ記載できるが、その他の周辺の国は、遠くへだたり詳しく知りえない。 卑弥呼は思った・・・ 魏の使者を招くにあたって・・・馬鹿にされては困る・・ まず・・魏の国は大きい・・倭の国は小さい・・ だから・・大きく見せたい・・・・・ そこで、卑弥呼は策略を練った・・・ 策略 1・・対馬から志賀島から・・ 水行すれば・・5日 陸行すれば 7日 のどちらかで邪馬台国に着く それでは・・1か月もかかる魏の大きさに比べれば・・ あまりにも・・・・小さすぎるから そこで工夫をした・・・・ 最短距離をやめて・・右回りコースをとらせた・・・ 佐賀ーー長崎ーー熊本ーー鹿児島・・薩摩湾に上陸し・・ 後は陸行・・鹿児島ー宮崎ー大分を縦断させた・・ しかし・・それでも時間は余る・・・ あまった時間は魏の使者が消費した・・ 「ノーパン、しゃぶしゃぶ」の接待だ・・ ここが・・「壱国です」と称し・・酒と温泉と女で・・接待・・ 失った時間が・・距離が距離が増える・・ 使者の立場から・・王に報告する・・倭とは何ぞや? 遊んで消費した時間は・・絶対に報告できぬから・・ この・・卑弥呼の策略は・・日本人の子孫まで・・騙せた・・ 徳の高い霊能者・・・何をもって・・「徳が高い?」という 「できるだけ遠くの未来が見えるもの」だと私は思う お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.07.22 07:17:12
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