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テーマ:鉄道(23021)
カテゴリ:鉄道旅の記録
いよいよ今回の東北旅最後の列車となった。最後に乗る列車はE657系電車「ひたち22号」。 山下駅から常磐線の普通列車で相馬駅まで向かい、「ひたち22号」を待つ。 車両はカツK17編成。同車は2022(令和4)年より、1997(平成9)年から2013(平成25)年まで特急「フレッシュひたち」(「ときわ」の前身)として運行していたE653系電車の塗装を復活させた車両として運行している。「フレッシュひたち」塗装車両は5編成おり、K17編成は「グリーンレイク」と呼ばれる緑色に塗装されている。 僕が乗車した区間は相馬駅~上野駅間。途中、原ノ町駅、浪江駅、双葉駅、大野駅、富岡駅、広野駅、いわき駅、湯本駅、泉駅、勿来駅、高萩駅、日立駅、常陸多賀駅、大甕駅、勝田駅、水戸駅に停車。浪江駅、双葉駅、大野駅と、日立駅、常陸多賀駅、大甕駅の3駅連続停車が2回あり、福島県内、茨城県内は意外に停車駅が多い。 常磐線の福島県内の区間は2011(平成23)年に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)及び東京電力福島第一原子力発電所の爆発事故の影響で、長期間にわたって運休を余儀なくされた。なかでも浪江駅〜富岡駅間は、発電所に近く、事故による放射能汚染の影響で2020(令和2)年まで運休を余儀なくされた区間。 震災から13年の時が経ち、少しずつ復旧・復興が進むことを願いながら、列車に揺られていた。しかし現実はそううまくはいかず、双葉駅がある双葉町の居住人口は103人で、これは日本一人口が少ない市町村である東京都青ヶ島村の人口(166人)よりも少ない。 大野駅がある大熊町では、原発から太陽光発電の町へ生まれ変わろうとしている。 富岡駅は海の近くにある駅の1つ。旧駅舎が津波で流され、大きな被害を受けた。現在の駅舎は運転再開に合わせて2017(平成29)年に建てられたもの。 富岡駅停車中の列車から海側の車窓を見る Ocean-side view over train window at Tomioka Station ここで仙台行き「ひたち13号」とすれ違う。 相馬駅を発車した時点では空席もちらほら見られたが、次第に席が埋まっていった。僕の隣の座席も日立駅でお客さんが座り、水戸駅発車時点で満席になった。 水戸駅を発車した頃には窓からの景色はすっかり夜になり、列車は上野駅までノンストップで、最高速度130km/hで走り抜ける。 列車は水戸駅を発車した時点で4分遅れていたいたが、上野駅には定刻で到着した。 全線での運転再開から4年が経過し、やっと僕は常磐線を完乗することができた(路線としての日暮里駅~岩沼駅間も、運行系統としての品川駅~仙台駅間も)。今回の乗車距離は309.2km。在来線特急に300km以上乗車したのは、2019(令和元)年の「スーパー北斗」函館駅~札幌駅間(318.7km)以来だった。 I travelled by "Hitachi 22" from Soma Station, which was the final train I boarded during the travel. The carriage was an E657 Series Katsu K17 set with a revival body livery of E653 Series "Fresh Hitachi" until 2013. "Hitachi 22" stopped at Haranomachi, Namie, Futaba, Ono, Tomioka, Hirono, Iwaki, Yumoto, Izumi, Nakoso, Takahagi, Hitachi, Hitachi-taga, Omika, Katsuta, and Mito Stations before arriving at Ueno. The 2011 Great Tohoku Earthquake, Tsunami, and Fukushima Nuclear power plant Disaster brought Joban Line a long-term service suspension because of radioactive contamination. It took 9 years to restart the train service on the entire line. During my travel, I wished the reconstruction in Fukushima had gone smoothly. However, only a few people returned to their houses before the disasters. In Futaba Town, 103 inhabited people live (less than the population in Aogashima Island, 166). Okuma Town started to install solar power plants instead of nuclear. Tomioka Station stands near the coast, which caused the station building to be washed away by the tsunami. An opposite-bound "Hitachi" also came there. When the train departed from Soma Station, there were some vacant seats. But someone sat on the neighbouring seat and almost all seats were occupied after leaving Mito Station. As the train departed from Mito Station, it got gradually darker. The train ran nonstop to Ueno and up to at the speed of 130 kilometres/80.8 miles per hour. The train was delayed four minutes but ran on schedule arriving at Ueno. I could finish my travel in 2024 and travel the entire section of Joban Line. お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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