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テーマ:てんかんについて(183)
カテゴリ:夢を求めて
夏休みのこの時期夏祭りの他催されるのが、三者面談。 仕事休んで息子の高校へ。しかしちゃっかり屋の息子、部活の朝練に遅れるから送ってと言出す。朝練の為朝っぱら6時家を出る。仕方なくグレートも車に乗せ、三者面談用の着替えと化粧をバックに突っこんで早朝車を走らす。 グレートだっていい迷惑、オシッコもウンチもご飯もみんな未だなのでじっと我慢。 息子を送って学校の近くでやっと散歩
他の朝練してる子ども達を眺めるグレート ここは私の手術した病院のすぐそば。お友達のピレのポーラちゃんに会っていこうと思ったのですがポーラちゃんはお留守。後の白い建物が病院で、私は入院中よく抜け出してはポーラちゃんちでお茶してました。 するとグレートを見つけ偶然友達と出会う。おしゃべりに夢中になってるとグレート君、退屈して脱走・・・でも朝練してる子ども達や先生に囲まれ、触ってもいいですかの質問ぜめで遠くには行けません 前置きはこれくらいにして 主治医からメールが来た てんかんの外科治療についてもっと広めたいので始めてのシンポジウムを開催する、場所は東大安田講堂12月1日(土)。主治医も呼ばれてるらしく、私には発起人の一人として参加してみてはという内容だった。 私は、ワーイDr.Sと東京行けるぅ~やったぞ!と言った感想、しかし先生は身の危険を感じてか???私に誘惑されないようしっかりもう一人お邪魔虫付きでのお誘いでした。なんてね。 そんなことより主治医がてんかん治療の選択肢の一つとして外科治療を広く世間一般に知ってもらうことで、少しでもてんかん患者の苦悩を救いたいという気持ちの芽生えに私は驚いた。 私と出逢ったばかりのDr.Sはクールで冷静で 私の悩み悲しみなんてどうでも良くてとても患者の内面に共感するようなドクターとは思えない頭の切れる人といった印象だった。それが術後の経過観察で私達は否応無く何年か付き合って行くうち、何か変化したような・・・・ 先生が医者としてというより一人の人として一回りも二周りも大きく成長したような・・・ 私の体当たりの人生にほんの少し翻弄され影響されたのではなかろうか そのシンポジウムは、今回始めて作られるもので患者と家族のためのもので外科治療を広く検討し、手術した経験者これから受けようと考えてる患者のために話し合う場を設けようと考えられた。 なんでもお医者さんや看護士、患者・家族が集まり患者のためにシンポジウムが行われNHKの方が司会、作家の方が基調講演 脳外科医記念講演が含まれる内容になっていた。このシンポジウムに参加し他の患者と連携を深め発起人の一人になってみてはという内容のメールだった。そしてDr.S自身がこのシンポジウムを手伝いたいと言出してる 私は、今現在はてんかん発作は影を潜めそろそろてんかん関連は卒業生になってもいいかなと思い始めていた。でも先生が、患者のためを考え私も他の患者の幸せにもう一度目を向けようかなと思う 私は自分の夢を誰と達成したいのだろう、誰と壁を乗り越え喜びを分かち合いたいのだろう。そこにDr.Sが必要なのかもしれない。主治医との4年間は私も変わったし、Dr.Sも変わったような気がする お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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