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2024年05月02日
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カテゴリ:哲学研究室

 <カテゴリー論>

 しつこく繰り返している、が。
 カテゴリーには「範疇」といった言語学上の権能はないのだ。

  無から勝手に型鋳造なんて出ー来るもんでは、ないということ。
 そもそも、言語みたいに共有発明できん。
 カテゴリーは倫理的制約であるにすぎない。

  範囲を鋳造することだとなると、その、図式の図式はどっからくるというのだ。
 という問題が必ずでてくる。
 人の感性以外に、何があるというのか。

 自然と言う名詞を仕立てんならん人たちが。
 しかし名詞は時空を持たんヨ、となって。
 素材とされた感性はしかも、まるで共有世界の奴隷みたいじゃんかヨ。


 カテゴリーは、<ロゴスの(多様な)倫理的カタログ>であり。
 プラトンもアリストテレスもカントも、その数を限定してきた。
 が、おいらは無数にあるんだと思っている。
 言語のものではなくて、自分という、人格を制限するためのものなのだ。

 人格が多ければこれも増える。
 人は1つの人格しか持たんわけじゃない。

 生きた心身統一理解の目的の、つまり哲学上、自分の無知を知るための。
 享有倫理操作の言語規則、みたいなもんがカテゴリーなのである。
 共有はまったく関係ない。
 (哲学ということにも、共有知識の意味あいは皆無なので、注意されたい)。
 (個々人の、無知の享有理解こそが、哲学)

 カテゴリーは特に、徹底して<享有概念>に対して働く命題なのである。
 共有の世界で、奴隷にして利用できるモノなんぞではない。
 カテゴリー論議に際して、これをまず金輪際理解すべきなのだ。
 わかってないひと、多すぎ。

 現代用語でのカテゴリーは「範疇」の意味で使われてしまうが。
 まったく正しくない。
 それも、ヘラスのアリストテレス先生の物とは金輪際別物となって。
 まるで別の、理解しがたい空虚な概念になっちまってるのだ。

 享有ということを、全く理解できない人たちがいる。
 現代西洋の、主人筋の人たち(金満家が多い)である。

 彼らは超賢くて、宇宙人臭い連中なんだが。
 彼らの宗教は、キリスト教やイスラム教、ユダヤ教や、あるいは悪魔崇拝無宗教と言うべき代物。
 一神教徒だ。
 宗教持たなくても1神教徒。

 大概が、心に(共有の)光を持っている悪魔主義である。
 共有崇拝する、選ばれしメシアを戴く。
 無宗教(特定の宗教教義を持たない)であっても必ず、<一神教的信仰>なのだ。

 共通して、その1神は地上に、今この世には、いない。
 つまり時は熟してないか、もしくは存在しない。
 これも彼らの特徴。
 時間空間を超越してあると考える。

 彼ら一神教徒カルトたちが、アリストテレス先生のロゴスのカタログに出会って理解できず、困惑した。
 そのことは想像できる。
 彼らもまた、享有の個々人の運命の中で生きている、じつは個体なのだが。
 一神教信仰のカルト教義上、自己享有が認められてないからなのだ。
 そぎ落とされてる。

 彼らメシアでない者もメシアも含め、神の奴隷である。
 だから、自分のパラダイムに、たいそうな不都合が生じるのだ。
 自分たち人間の創造者を、時空とは別の共有名詞として作り上げねばならない。
 共有オンリーの世界に生きる、気の毒な奴隷人たち。

 だから連中は、この共有化できないカタログ部分を、バッサリやったともいえる。
 そぎ落として見えなくしまうこともやれた、というか、実際にやっちまった。
 またそうしないと。
 見えないカテゴリーが、彼らの行動を制約にかかるから、動詞が働かない。
 わけがわからんままに動けなくなるのだ。

 この削除は、<メタバシス>行為として、哲学の世界では一般的に広く知られている。
 反倫理的な行為なのである。
 ある種の自己否定ともいえる。
 つまり命の自傷行為の一種でもある。
 リストカットのようなもんだと考えていい。

 実際には、特定のカテゴリーをそぎ落とし、排除した。
 メタバシスによって、その享有の持つ倫理観を、自ら、そぎ落としたのである。
 首にかけられた縄を切ったみたいなもん、と本人はみなすようだが。

 カテゴリー命題がもともと、人の命みたいなもんだ。
 なので、ちがうやろ。
 そのカタログが享有に(倫理的に)働くので、その制限する力に囚われまいと図ったのんやろ?

 彼らには時間的なものが、オイラたち以上によく見えているようではある。
 図式の力を多用するし、その力を利用はしてるんだが。
 それは共有世界では組織ぐるみで隠す。
 つまり陰謀をやる。

 この組織的共有陰謀が、世に言われる陰謀論ということの本質だ。
 陰謀論は現実に、世に、いっぱいある。
 次々と暴露されたので、都市伝説ではなく世の真実になってきてしまっている。
 彼らの共有組織が、現実に、社会で悪辣な陰謀活動をしていたのだ。

 それを、選ばれし者だけの秘密にしておきたい、というのもあっただろう。
 真実は大衆から隠しておきたい。
 その最後のほうのもんが、例えばカテゴリーなのだ。
 彼らは言語の持つ権能だと考える。
 違うのであるが。

 特権者は、自分のカテゴリーをメタバシスで取り去ったので特権者となった。
 これを自分だけの特権にしておきたいので、組織ぐるみで事実を隠した。
 これを、メタバシスをやったのは、修道院のオッカムであり。
 そのことで、数学論理が人の享有認識から自由になって、共有できた(と彼は錯覚した)。

 実際には、構想力が道具的に組織的に隠れて。
 図式利用、魔術的に悪用されたのである。
 一般人には見えてない力を操るのだから魔術だ。

 享有が、むりやりぜんぶ共有にされて。
 魔術のための魔柱、人柱として立てられ。
 それを使って。
 魔術的に、<他人の感性が利用できる>ようになったのである。

 この部分は、カント先生の図式論(シェマチスム)に十分通じていないと理解しづらいと思う。
 おいらにも、かなり難しすぎる。
 きれいに見えていない部分が、まだ多くある、ということ。

 カテゴリーは、一般にも、プラトンやアリストテレスの述べた概念として知られているが。
 実のところ理解されていない。
 範囲認識形式を鋳造する言語の力だと誤解されている。

 その別名を、<純粋悟性概念の図式>ともいう。
 これはカント先生が見出した成果なのだが。
 特権者以外に、これを理解できる人がどれほどいるんだろう。
 (もちろん特権者は誤解しているのであるが、利用できている)

 くれぐれも言っとくが、カテゴリーは範疇ではない、よ。
 範疇などと言ってたら、組織陰謀に隠されて、見えなくなる。
 あるいはメタバシスやって悪辣な仲間に加わるかしか、なくなる。

 純粋悟性概念のこれだけを述べると。
 「純粋」ということは、経験を伴わないという意味なので。
 構想済の概念であるのに無経験、という、じつにおかしなものだ。
 あえて、純粋と言う(うふぉ)、考えて立つ、時間の事を言っている。
 図式の構想力のこと、なのである。

 身構える、<心構える経験前の、時間・空間形式のこと>、なのだ。
 こうまで言っても、わからん人にはわからん、と思うが。
 この形式が、じつは構想力の実体が感性なので。
 カント先生においては、これは時間の事とされた。

 おいらは、空間も同時に関係する、と思っている。
 哲学より上位にある数学的時間のことでもあるが。
 享有の意味。

 つまり人の、有限な生きた身体のオルガを形成する時間・空間のこと。
 なので、「表象」するんではなく、<イコン>するものといえる。
 写し絵にしてうふぉにして、無理やり理解したもんだと言う事。

 経験認識を伴わない(うふぉの)時空認識の、その形式のようなもんを。
 (倫理的に、つまり享有へと)扱わせるもの、なのである。
 それがカテゴリー。
 オイラにも難しいし、ちゃんと見えてない。


 無から形式を「鋳造」するんじゃない。
 素材は人の身体が持つ、<生きた感性>なので。
 感覚、そのものだ。
 共有の神経のほうじゃない、享有の感覚の方途でもある方。

 カテゴリーは「範疇」なんぞじゃおまへんよ。
 あれは共有の、科分離され、死んだ政治理念。
 目的が先立つことになっちまうから、別物の魔法陣建てなのだ。

 こっちは享有の、生きた哲学概念なので。
 目的どころか、対象ブツすら、はっきりとは立ってない。
 図式として憑依できる、つまり陣立てできるだけだ。
 半ば(うふぉ)世界の、つまり共有的に言うと<先験的>な出来事のもの。

 しかし享有が理解できないと。
 共有世界に持ち出された倫理のほうも、皆目見えんのだと思う。

 此処で扱う、「構想力が、時間ということだ」と、この言葉がちゃんと理解できてないと問題が起きるのである。
 これはカント先生が述べている言葉であって、オイラが考えたことじゃない。。

 そもそも世間の人間世間では。
 賢い奴ほど倫理観に欠如が見られる、という致命的問題があるから難しいのだ。
 賢いやつが倫理解ってんじゃ、ない。
 まるで逆なのだ。
 カテゴリー枠の扱いが緩い、いいかげんなやつほど、賢い、とみなされている。
 創造性が豊かなんだと。

 賢さは、知性が高いということで。
 これは瞳着能力の高さ、といっていい。
 写しが完璧に出来るほど、知性が高いとみなされる。
 つまり、真似する能力の高さに、賢さは比例する。

 この瞳着能力が高いほど、倫理観の<鋳造能力は高い>、はずなんだが。
 カテゴリーは鋳造能力とは無縁なので。
 鋳造能力が高い分だけ、倫理的気づき能力がなくなってるともみなせる。

 鋳造の出来がいいほど、一体的素材の忘却度は大きい、と考えたら、わかりやすい。
 ホントは素材も使わないし、鋳造、ではないし、科分離ではないのだが。
 そう考えたら、知性的に理解できたように今日のオイラたちは感じる。

 カテゴリーを純粋悟性概念の図式であると正しく認定したカント先生もまた、(超賢いゆえに)ある種の倫理観には欠如が見られた?
 が、そんなんどうでもいいことなんで、そこは無視して。

 ともあれ、心身分離の科学の世界では。
 <構想力>が、魔法のおとぎ話に化けちまう、という特徴があるのだ。
 すべてアリストテレス先生の心身合一の哲学において、論議されるべき内容なのであるんだが。
 これが別の話に、すり替えられた。
 カテゴリー命題が。
 享有倫理命題ではなく、知性オンリーの、範疇精度問題にすり替えられた。

 まだピンとこんだろうと思う。
 この問題をわかりやすくするためには。
 短絡的に、カテゴリー問題の種明かしを先にするしかないかも。


 科学的世界観では、世を取り仕切ってる図式(生きている人の直観の形式)が、魔術の魔法陣になっちまってる。
 そう言う非倫理問題が、現実社会に共有的にあるから言えるのだ。
 一神教の特殊な社会では特にそれが、マトリクスを形成してしまって人々を奴隷化している。

 享有者を共有のパラダイムの内に閉じ込めているのだ。
 こっちも多神教徒で、仏教も神道もクリスマスも悪魔のお祭りもごった煮のオイラたちには、理解しづらいだろうが。
 それが現実。

 オイラここで、無意味な命題事や思い付き構想の、出まかせを言ってんじゃない。
 要点に拘れば拘るほど閲覧数は下がるが。
 <現実共有の哲学史で起こったことの、<超重要な要点>を、なるべく易しい言葉で言い直してるつもり>だ。
 おいらがしがない生涯かけて食えなんだ無駄な哲学やってきた、その最要点部分なのだ。

 カテゴリー問題は、名詞や動詞の関与する言語問題ではない。
 つまり時空といった感性ナシの関われない、名詞問題ではないし。
 時を示し時刻を刻む動詞の問題でもない。 
 むしろ構想力の問題だっつうこと。

 カテゴリー問題は、享有理解の哲学問題だと言う事が言いたい。
 カテゴリー問題は、メタバシスやれる言語の問題と言うより倫理の問題なので。
 こういったことがらを全部理解できてないと、わからんはずだ。 

 これ言うと、ますます干されて世間的に食えんなるだろうし。
 多分、誰にもわかってもらえずに、このまま消えることになるとは思うが。
 もともと哲学では食えてないから、ええわいナ。

 舌足らずなのは、オイラのロゴス的能力不足で、これは仕方なし。
 おいらは点取り虫じゃない。
 クイズ100人に聞きましたなんてのが大昔にあったが、ぜんぜんダメだった。

 カテゴリー問題はじっさい、心身合一の過去の哲学の、些細な一部分だったみたいに思われてる。
 哲学から奪い取ったと、これは「言語学での問題なんだ」、と言う輩もいる。
 倫理そぎ落として殺せる、もはや死んだ過去だ、と思ってるメタバシス容認派の連中もいる。

 特に科学者は、メタバシスなしに数学が自由に使えんなるんでは困るようだ。

 だが。
 そのロゴス的諸権能には、ミュトス的権能も働いている。
 常に一体のモノ。
 ここが超ややこしい点で。

 科学的に分離しないことには、一意に、現前に対象化認識できない。
 たとえばカテゴリーとは、といった論点がボケる。
 時空がハッキリせんので、そのように思ってしまう。
 原理・原則に差別的に当てはめん事には、理解の糸口すらなくなる。

 しかも理解しちまえば、解っただけで、証拠のブツは何もなくなるのだ。
 だから、無知の知は無視されて来た。
 これが学問の無視につながってきた。
 メタバシスやってカテゴリーの制約をなくし、同時に倫理観も失った。

 そして、だからといって。
 科学しちまえば。
 みんな<共有奴隷に堕ちて、虚無かAIか宇宙人かに、全員殺されるだけだ>。
 科学やってりゃ、そうなるだけだとオイラ言ってるんだ。

 だから、カテゴリーをまず哲学でちゃんと共有できるように、自分で享有して見つけるべきだ、と。
 時間・空間とその倫理的制約をちゃんと見つけて。
 心身一体のアリストテレス先生の哲学を理解すべきだと。
 こっちがほんまに言いいたいことなんだが。
 じつはオイラも、いいかげん。


 享有をみつけられないと、共有論議にはならん、という問題が初歩だろう。
 特にそれをそぎ落とそうとするメタバシスは、<享有・共有への犯罪>なのだ。
 事情隠してるから、メタバシスは組織的陰謀でもある。
 オッカムは、哲学界の犯罪者だ、とオイラ言ってるわけだ。

 これは、カテゴリーは、ファンタシアが表象ではないように。
 範疇ではない。
 言語学のものでも、おとぎ話世界の空想の物でもない。
 アリストテレス哲学が言う、<実在の証>、なのである。

 現実理解の鍵となっている、超重要命題なのだ。
 命題は無意味なので拘ってはならない。

 実在は、享有の自己認識というものがなければ、当然ない、のである。
 虚無主義では実在感がなくなるからなのだ。
 そのことを思い出すべき。
 現代科学も実在を捨ててテクノロジーに移行した。
 基礎の理論づけなど、無意味になって来た。

 共有主義だと、即に、実在無視ということになっちまうんだと。
 目的行動に際しては、共有が有効だが。
 残念ながら、なぜか現代西洋世界、特にフランスや米国は共有オンリーで、しかも価値世界オンリーだ。
 個人信仰に閉じこもるカトリック・カルトのトランプがマシにみえるほど。

 これは一神教徒の陰謀があるから、なんだが。
 (つまりトランプも同じ穴のムジナなんだが)
 そう見えてない。
 テクネーやファンタシア、オルガノン、カテゴリーなどの解釈が根本から間違っているためでもある。
 実在が、ウーシア世界が、まるっきし見えんなってる。

 実在とは、人が生きている、そのこと。
 <本当は、その存在理由>なのでもあるんだろう。

 科分類されたウソで固められて、見えなくなっているだけだろうとは思う。
 オイラにも、じつはほとんど見えてない。
 自分の享有存在に、つい空虚さが、つまり論理が忍び込んでしまうのだ。

 これ(実在)はしかも絶対に、共有世界の言葉ではなく。
 哲学用語の鍵となる、享有命題に立った言葉が支える、言葉。
 ロゴス。
 そのロゴスの、生きたカタログが言わせたものである。
 つまりカテゴリーが言わせたものだ。

 カテゴリーというのは、それで操ってんじゃなく、それで現実を支えてる。
 純粋悟性概念の図式として、享有倫理観にのみ働きかけてくる。

 特殊な哲学用語なのだ。
 ロゴスのカタログ。
 その<カテゴリーは、人の享有倫理観にのみ働きかけてくる>。
 その享有倫理観は、現実を、その実在観をこそ支える。
 これがわかりさえすれば、誰でもカテゴリーの倫理的な意味を掴めるはず。

 寡聞にして、カテゴリーに関して、この言葉を聞いたことはない。
 プラトン先生やアリストテレス先生やカント先生以外には。
 だからこれを大声で言いたい。

 <カテゴリーは、人の享有倫理観にのみ働きかけてくる>。
 範疇力ではない、有限な命の力でない力。

 カテゴリーは経験的物事を一切無視し。
 そこにある共有的経験事をも一切無視してくる。
 だから純粋、なのだ。
 (形式みたいなもんだということ、確かに範疇は似ているが)

 純粋化して経験を遠ざけ。
 おいら個人は何を志向すべきかといった、享有倫理観にのみ、有効に働いてくる。
 経験的なしがらみに囚われ、拘ると。
 有限な享有は、まったく見えなくなる。

 カテゴリーは、その享有に対して、それもゲバルト的に暴力的に働くのではなく、倫理的に、つまり自己実践阻止的に働く。
 オルガノン的になる、ということ。
 倫理規制委員会のアホには、絶対に理解できん理屈で、これは働くのである。

 ハッキリ言う。
 倫理規制委員会のアホだと。
 享有の倫理に、なんで共有社会が委員会組織で絡むねん、「あほちゃうか」とオイラ言ってるわけだ。

 この倫理 ー 享有 ー カテゴリー、は、相互にオルガノンで繋がっている。
 論理みたいなもんが確かに薄っすら、ここに見える。
 だが論理じゃないのだ。
 それがオルガノン。

 生体として心身合一の、哲学のもの、なのだ。
 共有もどこかでつながっているんだろうが、それはここでは、はっきりせんのである。

 これを、規則 ー 共有 ー 範疇 と読み違えてしまっているのが西洋の伝統なのだ。
 そのカルチャー的理解に囚われ、奴隷文化になってしまっとるのだ。
 だから西洋文化の基本は、このカテゴリーという言葉が握っている。
 誤った範疇が支配している、といっていい。
 正確に言うと、そのつどの盲目的な目的が、範疇力を、つまり図式形式を使おうとしているのだ。

 哲学と倫理の関係、これでわかりました?
 オイラ未だに十分には、わかってない。

 西洋において倫理が消えて、規則やエチケットのみが形式的にある、その理由がうっすらわかっただろう。
 それらはアリストテレス先生のカテゴリー論の読み違えで起こったことなのだ。

 テクネーは心構え、ファンタシアはイコン、オルガノンは心身一体の無知の知、ならばカテゴリーは?
 アリストテレス先生が述べた通り、「実在の証」。
 範疇ではありまへん。







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最終更新日  2024年05月02日 11時51分55秒
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