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2024年07月02日
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カテゴリ:哲学研究室

 トピカ解説の途中で脱線中。

 <内なる光の他者>5

 世は悪魔の天下。
  悪魔がぜんぜん人々に見えてないようだし、その基本をも見誤っているから、知らぬ間に悪魔に支配されている。
 現実ではなく、中性的なファンタジーものになっちょるから見えんのである。
 悪魔が人の首切って回ってるのに、人が殺されてるのに、みえちょらん。

 だから悪魔が見えるように、もっと例え話をいっぱいするしかないのかも。
 悪魔は、個人享有の希望の光と言う他者(共有のネガチブ部分)である。
 科分離思惟では見えちょらん。
 この典型にブラックホール理論がある。

 <ブラックホールの話>

 「ブラックホールにもデータがある」ということは。
 ブラックホール理論と、この世の自分の現実は、どこかで繋がっているということ、なんだが。
 つまりデータというもんが中性的なモノでない、ことの証明でもあるんやが。
 これを支えてるのはジンとかいう感性ではなくて知性的理論だということ、そっちを反省的に見なくちゃならんのである。

 重力の向きは一方通行で、他の力関係と形式の繋がりはない、とされている。
 ほんまかいな。
 これが、ネガチブ直で見ない、へんにズラされたブラックホール理論のモトで。
 ここに悪魔の介在があるのだ。

 悪魔は中性パワーなんかじゃなくて、<人そのもの>である。
 生霊と言われることもある。
 他者の一人、共有者という麻被った鬼人。

 なのに、悪魔という中性のパワーだというのが、常識になってしまっちょる。
 ファンタシア<表象>解釈が、そうさせ、隠ぺいしたのである。
 これが大間違いのモト、悪魔繁栄の理由の一つだと思う。

 ブラックホールにおける怖い悪魔は、その「未知の力」が怖いんではなく、人の理屈の狙いのほうが怖いのだ。
 いくら人畜の理解超えたものでも、オイラの感性が直接関係しているはずの時空で、<人の理論が人畜を脅かしている>だけ、なのだ。

 現実に、ブラックホールでは人の首狩りには来られない。
 ロミュランのウオーバードに乗ってくれば別だが、あれはファンタジー。
 (あんたにわからんだけかもしれんが。)
 つまり(オイラに)見えてる光は、現実部分の認識には必ず、<”オイラ”が必須>。
 感性ジンも、もちろん必要だが。
 そのオイラという、それも個人だけの享有ものの認識に忍び込む、未知の力が直にあるんじゃなくて。
 じつはブラックホールという<感性抜きの知的な>理論こそが、オイラに表象されてある。
 ファンタシア世界には<理論があるだけ>、なのだ。

 なんか、ずれてるやろ。
 ジン何処へ行った?と思うはず。

 これが他者としてやってくる<悪魔命題>だから、だ。
 ブラックホールっつうのは光を形成しとる重力場の理屈なんだが。
 その悪魔的命題の一言で、享有者の時空なんて吹き飛ぶ。

 一切、トンと無関係となる。
 個々の観察者もぶっとんで、突如、共有世界がドンと明るくなって出てくる。
 表象されるわけだ。

 ブラックホールなのに明るい?。
 その部分は、闇なのに?。
 これは、その理論に関わった学者個人が、<選ばれし力>誇る人、つまり悪魔だからだ。
 (選びとか、少数者を言う連中は悪魔だとわかってくるはず。)

 悪魔による時空の摩り替え事件が起きたのである。
 ネガチブ領域でできているのに、それを一切封じ込めて、パワーをこそ見せつける。
 感性通してるんだから、そこで個人の卑小な感覚で”ある”、と初めて言えるはずのものなんだが。
 個人の卑小な感覚なんて、ムシされ、ねじ伏せられる。
 享有は、ほとんど消滅して消されてるのだ。

 ブラックホールは、個人的に<ある>とは決して言えんものである。
 そもそも、なければ観察できんはずのもん、やが、あるとは言えん。
 必ず共有の、しかも<それ自身は見えてない命題もの>を、オイラたちは相手にしてるのである。

 周辺の星々の輝きで、超巨大ブラックホールは観察できると言う。
 が、これはブラックホールそのものを見てるわけじゃない、という理屈。
 つまり、あると言えんネガチブだけのものがブラックホール。
 感性通してない、こんなんは、ほんとは<現実ではない>のである。

 なのに理論が堂々と選び出されてあって。
 それが<共有現実>を主張する。
 人の現実でないのに、・・・強大無比の悪魔的なパワー力として、何処かに、いや大宇宙の至る所にその力があることになる。

 悪魔が、時空をズらして悪魔のパワーだらけに、しているのだ。
 そんなもの、ほんとうは<ない=ネガチブ>なんだが。
 あるのは、メタバシスな学者個人と数学的理論の、仮想のファンタジー時空だけ。

 光がある?
 ないんじゃよ。
 ブラックホールには本来、知恵である光すらも吸い込まれて、なんにも見えないものらしいんじゃ。
 強大な重力パワーが時空をねじまげ、圧縮した空間に吸収するという理論なので。

 ネガチブなものなので一切見えんが。
 周辺の光で推察可能?
 時空捻じ曲げて、ブラックホール本体でない周辺の事態から推測し、<見えた>とするらしい。

 他人も同じものが見えるように思えるというそれも、しかし感性ゆえのもんだ。
 ここで共有への、すり替わりが起きる。
 個々人の感性を超越して、ブラックホールは数学的理論上に、悪魔のごとく突発的に存在する。
 つまり、数学的理論という、ズラされた時空を被っとる、そういうことになる。

 特定の悪魔科学者の、これは中性的な(うふぉ)理論なのだ。
 ブラックホールが悪魔なわけない、というのは誰でもわかるじゃろ?。
 だが、誤った悪魔の定義がそこにあるとは、誰もわからん。
 オイラも確証ない。
 中性のパワーで君臨し、それが、か弱い感性をビビらすもんで。

 ところが。
 感性通さない、いやむしろ享有者の感性を、力づくで捻じ曲げて飛び込んでくるような、そんな光以上のものが、実はここにある。
 (と誰もが気が付くはずになっちょる。)

 それは現実に、おいらたちの日常をも支配していて。
 自分でリンゴ投げ上げてみればわかる。
 感性でも、わかる。

 ブラックホールは、光の代わりに重力が支配する、闇だけの世界の理屈なのだ。
 ルー・サロメじゃないが、重力の恩寵?がある。
 じつはブラックホールが、その質量パワーでもって、支配者の重力をねじまげている、んだそうだ。

 見えんものに知性で瞳着、認識するという、この事態に。
 実は重力と言う、もっと上位の支配者が絡んでいるのである。

 なんと、重力のこれもじつは、一切見えてえへん代物。
 しかし解るので、恩寵があるので、つい安心してしまう。
 光と同じ穴のムジナなのに。

 強大な重力で光をも外に漏れ出さないブラックホールという悪魔的命題も。
 重力と言う、そこで見えない力も。
 じつは<表象された優生学的存在者>だと、これで、気が付き解るようになっている。
 重力が上で、それに逆らうブラックホールがあり、光が閉じ込められることでわかるんだろと。
 光は、重力によって従属の時空間自体を曲げられる。
 なので重力のほうが光りより上位なんだってよ。

 そこにはヒエラルキーがある。
 つまり優生学があるのだ。
 それらは、中性のものとされた感性が生み出した、悪魔的科学認識の諸形式体系なのであるが。
 これがつまり優生学。

 固有の時空における<力関係>も、その<形容>をも一切無視しにかかる。
 <未知の優生学>のモノなのだ。
 未知のこの宇宙論(形而上学)的優生学では、光のさらに上に重力という恩寵がいる。
 そのように見えさせている。

 重力が居れば、質料があり、そして量も必ず居るのであって。
 メタバシスは成り立たないはずなんだし、変なんだが。
 むしろ心身統一の理論の彼方に、未知の重力理論が待機して待っているのが見える。

 ここにも人の感性的認識が先立ってあるのだが。
 それは投企され、ゆがめられてある。
 つまりここに悪魔が居るのだ。

 それら認識を形成しているのが、瞳着という光の表象<形容>と<力関係>であって。 この二つはアリストテレス先生の、心身統一オルガノン理論命題でもある。
 しかもこれは、そいつを心身分離させたもの。
 表象すればそのまま質料ゼロの光をすら外に出さないとする、科学理論になりうるのだ。

 へんな、悪魔的にねじれた、誰か科学者の命題理論なのである。
 つまりこれは典型的な悪魔命題なのだが。
 悪魔自身じゃない。
 その悪魔を重力が支配する?。

 じつはそういった、おとぎ話の一つなのだと、わかるようになっている。
 sfファンタジーが、形而上学的問いが、みつかるように出来ている。
 命題の背後に、<目的を隠し持つ宗教があるから>なのだ。

 じつは時間・空間の<在る>ことが、つまり享有する質料のあることが、場を支配してる。
 だが。

 そこに知的認識のモトとして(図式瞳着があるのだが、それ無視して)質量ゼロの光を想定し、その光に主導権を与えてしまった。
 そのたために優生学がしゃしゃり出てきて。
 悪魔人格が優生学で、主導権を握ってしまった。

 つまり主導権を得た悪魔が、知的認識を操っているのだ。
 共有する時空の場のほうをズラそうと、図ってるのだ。
 そういう知的な筋書き、図式がここにある、っつうこと。

 人の享有認識をズラせて、共有認識へともたらす。
 つまり仮想の時空へと、力づくで持ち込む。
 そういった類の、ブラックホールというこれは、人工的、知的な悪魔的認識の理論。

 悪魔個人の科学理論なのだ。
 神をも恐れぬ無神論者の、享有理論。
 命題に拘り、瞳着した知性が、ここにはある。

 ブラックホールは、黒い、光すらも通さぬ重力の穴という命題なんだが。
 つまりオルガノンのファンタシカではないのだが。
 宇宙をオルガン構造に見立てて、むりやり表象(ファンタシア)にした、というわけだ。

 これって複雑そうで。
 単純に科分離思惟などはできそうにないんだが。
 つまり科学的知見を得るのすら、簡単ではなさそうなんだが。
 もはや誰も、ブラックホールの存在を疑う人はいないという始末。
 優生学持つ悪魔に、言いくるめられたのだ。

 だから知識の対象を同定して、名声を得たい、それがために。
 地上にブラックホールを創り出す実験やるような悪魔まで、でてくるわけだ。
 本物の悪魔が出てくる。

 オルガノン無視で、sfファンタジーでの優先力を操りたい、わけだ。
 地上でブラックホール創り出して災害起こそうなんてのは、こいつら本物の悪魔科学者。

 しかしこれらもすべて。
 人の<享有する感性>が、<あくま>で人間の共有社会ではモトだということ忘れちょる。
 なので、対象の個々人が見えんなっちょるのだ。

 自分の享有認識の背後に、誤った形而上学を持つ宗教が居る。
 そのことに気が付いてない。
 無神論者の科学者に至っては、虚無主義論理に身を任せたメシアが居るのだ。

 理論においては、時空は中性的である。
 ファンタスチックで、軽い。
 ファンタシアが表象と理解されてるから、そうなってるのだ。

 質料ゼロの光の知性が支配の享有。
 それら享有とはとは無関係の、ネガチブ部分は見えてないまま、<共有光の他者>が一人歩きしてる。
 あたかも中性の悪魔命題だけが独り歩き、に、見える。

 現実にも、暴力的にあるとわかるネガチブな光を、<予想させ企画させる>何かが、つまり図式がここにあるのだ。
 図式の働くそこに、予想的に導く悪魔の力。
 これは重力だ、というファンタジーに仕立てているのも、これも悪魔本人なんだが。
 おとぎ話になるので、図式の怖さがわからん。

 サロメなんて賢すぎる女は、ニーチェには実際、悪魔だったんやが。
 悪魔の扮装されてムチ打たれて喜んでた?

 もちろん<最初から共有>のファンタジーは、おとぎ話である。
 いくら怖くても、ファンタジーだと夢物語で済む。
 共有のここ、ファンタジーには、本物の悪魔はいない。

 個人が<自分の優生学の光>を見出して、そこにのみ本物の悪魔が出来上がっているのである。
 優生学の光なんてウソだから、つまり時空が仮想のモノだから、ファンタジーは現実には怖くない。

 重力は、これも科学がまったく科学的に同定分離しては力として読み取れてない。
 ネガチブな、他者と言う光みたいなもんである。
 見えてない光パワーは、見えてない重力世界で、未知の現象を司る。
 それがまさに、<優生学的に悪魔的認識を想定>、ということなのだ。


 ポシティブ・ネガチブ両面ある、知性の光に。
 その、科学に読み取れてないネガチブな光の他者に。
 重力をファンタジックにハメ込んで、発明的な理論にした。

 それがブラックホールというファンタジーだ。
 よくできていて本物になった。
 悪魔の作品だ、と言えるだろう。

 他者のように飛び込んできて、未知の恐怖でオイラの感性をグチャグチャに泥沼にして、支配する。
 最後は他者に、その光に、なりきる。
 (実は重力場という時空になりきるのである。)

 人の知性が、悪魔認識そのものとして瞳着を通じて光に成りきれるのかも、と思わせてしまうわけだ。
 実際にブラックホール創り出したい最先端の科学者たちは、そう思っている事だろう。 彼らは悪魔になって、人類滅亡させようと本気で志向している。
 そのたくらみは成功しつつある。

 つまり知識上では、人は悪魔を(ファンタジーで)創造もできる、ということだ。
 軽薄なんだが。
 もしかして実際に作れる、空想の現実再現も可能なのかも。
 そうやって出来た既存ものに、人造のコヒーレント光なんてのがあるからだ。


 <人造の光>

 殺人光線は空想科学小説ではなく、現実のものとなった。
 ファンタジーがモトで、悪魔的創造が実現できたものだ。
 実は旧日本軍の開発した電磁兵器(電子レンジ)も類似品だという。

 現代ではもっと直截な、威力のある電磁砲ともなっていて。
 これは近日中に護衛艦に搭載されるらしい。

 コヒーレント光のレーザーなどを、悪魔の使う光という、<道具>として見ることもできるが。
 優生学が導入されている科学のものであるため、<道具>が主やら<使い主>が主やら、わからんなるという問題がつきまとう。
 悪魔が姿を隠すので優勢学の主が見えなくなる、そのためなのだ。

 理論発明主が悪魔というわけではなくて(ファンタジーだから)。
 悪魔的用途を提供した奴が悪魔なのかもしれんが。
 この共有力相互の関係も、同時に姿を隠してて、見えんなってる。

 悪魔的な部分は、科学分離した人工物。
 ファンタジイからできたこれが、コヒーレントな光、レーザーなのである。
 道具が優先か目的が優先か、わからんなってる、っつうこと。

 タ・プラグマ-タ的な、優生学的関係の特徴だし。
 これについては過去にも述べた。
 ネガチブ部分は、まったく見えてない。

 と言うか、彼らモトモト見ようとしてないし。
 線源はもちろん、見えてない。
 電気を大量に使うが、電気がナニかは、科学的にも、一切わかっとらん。
 電子という荷電粒子として同定できるというのはウソである。

 いろんな結晶体使って、光をズラせ、散乱させずに直進させ、要は悪魔的に利用したいだけである。
 そもそも線源が見えたら、すでに目がグチャグチャにやられてるらしい。

 これなんぞ、まさに悪魔の仕業の典型といえる、”力想定のもの”なんだが。
 悪魔と言う中性の力がそこにあるというのは、こっちは先に述べたように「ファンタジーだ、悪魔じゃないおとぎ話だ」、とオイラ言ってるのだ。
 ファンタシアと言う言葉の、古典ギリシャ語理解の段階で、<時空の扱いを間違っとる>んだと。

 ヘラス語でファンタシアとは、<魂の宇宙規模の写し絵>である。
 心身一体の、イコンのこと。
 中性論議する心身分離の科学には、まったく馴染まんのである。
 ましてやアイコンには、ならん。

 悪魔は<本来の自分享有を許さない、しかし享有する他者の光>。
 なので、そこにある<真の知恵持つ者>こそが悪魔、ということなのだ。
 つまり、科学者個人が悪魔。
 生霊。

 中性的な、悪魔的な力が世にある、んじゃない。
 そう思わせてるのも、賢い悪魔の仕業なんだ。

 世の中のモノはすべてポジ・ネガ、両面持ってて。
 なおかつ、生体は必ず知性のほかに感性をも持つ。
 生体として心身一体のオルガノンを持つ。

 性をも必ず持ってて。
 中性の天使、なんぞではない。
 天使なんか、そもそもファンタジー以外には、おらん。
 キリスト教徒は、これを現実に居るとウソをつくが。

 現実に居るのは、人という名の悪魔だけ。
 悪魔という<享有者>個々人が、いるだけ。

 神々もいるんだろうが、唯一の造物主などはこの共有の世には<いない>し。
 享有的には、神は唯一神信仰という(うふぉ)の形でしかいない。
 神は光の他者ではないはずなのだからだ。

 (もちろんフランキストたちはそうは考えない。)
 (彼らは自ら悪魔を志向するし、唯一神の既存宗教は認めないがメシアは認める。)
 悪魔は、あくまで、その享有内部における、光る他者命題の概念。
 その対象となる享有認識上の時空における個人なのである。


 時空ズラされてるそこに、ネガチブな共有的割り込み者が、いる?のだろう、と多くの人が予想しているのだが。
 想定できる力はファンタジーの共有の出来事であって。
 享有の魂が綾織る、心の光ではないのだ。
 ズラされて詐欺られているのだ。

 だから時空がずれて、ファンタジーになってしまうということ。
 しかも<人工物>の、光の他者となることも多い。
 ナチス同様、悪魔は常に人の感性を利用して、人の世界で優生学的栄達を求めてきた。
 優生学を持つ個人、彼こそが悪魔、だからだ。
 (ヒトラーの背後に悪魔が居るんやない。)
 (レビ族の彼こそが悪魔なんだ。)

 常に悪さしてきたから(悪)魔、なんやけど。
 超賢い知性を持つ、感性のズレた人間。

 悪魔は必ず個人であって、集団の組織機関じゃない。
 個人のように動く、集団組織や法人であることは多いんだが。
 中性的な機械的組織じゃあない。
 図式を悪魔と見誤ったらあかん。
 必ず個人享有者のほう。


 これが共有善を装い、共に有ろうと主張するんやから、たちが悪い。

 悪も善も、自分享有の方向に向いてる<反省的思惟>による認識である。
 つまりネガチブ世界のものなんやけど。
 悪魔には悪魔自身が、たぶん全く見えてない。

 一方通行の知性や知識があるだけだ。
 ポシティブ思考のみの、無反省者、サイコパスなので。
 (これを見出したのは、心身一体で反省できる心理学の成果だと思う。)
 (心身分離の科学では反省すtらできん。)

 ナチスの幹部連中で、少しでも自分が見えてる人がいただろうか。
 大勢いたのである。
 みんな暫時排除されていった。
 ハイデガー先生なども、自分が見えているとはいいがたい聖マルチン教会の堂守出の人だが、オイラ以上にはオルガノンが見えてたようだ。

 その宗教臭いナチスも、悪魔チックなレーザー光も、今ではウクライナ戦場の惨めな英雄だ。
 これまでいっぱい悪さして大勢殺してきた悪魔が、さらに暴れまわって命令だしまくって、殺しまくっている。

 プーチンというラスプーチンの再来みたいなロシア正教のとんでもないKGB悪魔と、ネオナチスのゼレンスキイという悪魔が、がっぷりよつで戦争している。
 おいらはもちろん、今はナチスの悪魔を支持している日本人なのだ。

 不動産差し押さえというあこぎな商売やってたんで、オイラが間接原因で死んだ人もあるんだろうが、オイラは悪魔じゃない。
 何処にも誰にも選ばれなかった普通の無知なる人間。

 原爆作ったアインシュタインも、オッペンハイマーも、市民狙って集団で焼き殺したカーチス・ルメイも、本物の大悪魔達だった。
 だが、世の人々には、さっぱり、この<悪魔という享有者>が見えてない、ようだ。
 ほんまに見えてない。

 自己享有への反省がないから、だと思う。
 享有ということがわかっちょらんからだ。
 彼らは知的英雄や社会的英雄であって、悪魔的行為は反省してる、として胡麻化すのが常だ。
 しかし享有者であることは胡麻化せん。

 そもそも胡麻化して隠ぺいしてはいかん。
 黒塗り隠ぺいは、悪魔の特徴である。
 

 えてして賢い人ほど、自己反省の能力が欠けてくる。
 自分の知性が自分では見えんのに、もっぱら知性判断に頼るからだろう。
 つまり、悪魔的瞳着に頼る。

 だから、内なる他者の光に頼るから、自分が悪魔になっちょる、そのことが見えへんのだ。
 悪魔はパワーだとするキリスト教徒の言う俗説によって。
 あっさり世間ぐるみ、悪魔論議自体が隠ぺいされてしまっている。

 俗説では、ナチスに所属していた個々人の悪行は、単に悪魔的人格と分類できることになるだけで、悪いのは組織の出来具合だっつうことになる。
 だが彼らは選ばれし特権階層なので、つまり優生学優位の世なので。
 特権のほうは、周囲に隠ぺいされて問題にならなくなる。

 むしろナチスという、悪魔が指導してた法人組織や機関の理念ほうが、常にやり玉にあがってきたのが実情だ。
 これではいかんというか、悪魔をのさばらすだけ。
 悪魔が問題にならずに。
 その利用道具のほうが、やり玉にあがるわけだ。
 しかし一つも、その享有は反省されてない。
 まあ個人の心の内はわからんのだが。

 だから、道具を悪魔が使うのか、道具に使われて悪魔化しちょるのか、ますますはっきりせんなる。
 組織機関が悪いんや、オルガンの出来が悪いんや、と、露骨な責任転嫁も起きてくる。

 優生学的に、やり玉に上げると、そうなるわけだ。
 さらに、それを創り出した<教会組織の基礎理念が>出てくるべきなのだが。
 出てこれへん。

 これは社会全体がキリスト教支配なので、他の教派にも関係してくるので、そっちはすぐに声上げる人がいなくなるためだ。
 いつまでも声出してたら、悪魔勢力と神勢力双方から魔女だと言われて、拷問され殺される。

 それも悪魔的なカルト教義が、貝殻使って皮剥いて殺すんやない。
 悪魔である個々人が、快楽殺人鬼となって、嬉々として殺しに来るのだ。
 いろんなゲーム上で、人殺しpkというのは大人気であるのを見ても、悪魔は多い。
 人殺しはいかん、悪魔はダメ、という基本的なとこが理解できてない。

 聖書や神が殺すんやない。
 聖書や神の権威着て、優生学の恩恵に預かっている悪魔が殺す。
 (選ばれし<権威>というものは、<被れる麻だ>と、悪魔が悪魔となるモトなんだと、これで、わかるだろう。)

 おいらたちのご先祖は手に枝を持って権威となし、これを枝(シ)といってた。
 シュメール語でシは、権威の象徴だった。
 お払いに使う、あの木の枝を考えていい。
 ハッチでいうアン・ター・ス-ムの小枝。

 かくれてない枝ものではなく、明確に人造物とわかるバッグを抱えてた連中もいる。
 権威を人工によってもたらし、バッグに隠れたものとした悪魔科学者連中だろう。
 この筋を追求しても面白そうだが、長くなるので次行きたい。


 <輪廻転生>

 ナチスという悪魔的団体(悪魔の集まり)は、享有に介入する共有の力として。
 <輪廻転生>という権威特権を信じていた。
 これは優生学命題なのである。
 もう一度言う、輪廻転生思想は優生学である。

 神智学の影響もあるはずだし、ゲルマン種族における優生学丸出しなのである。
 ナチス連中は、自分たちが特殊な感性優先であることも隠さなかった。
 同じく、自分が悪魔であることを隠さないフランキストにも若干似てくる。

 そのフランキストには無宗教者が多いが。
 つまりこっちは日本人と似てくるが。
 彼らは選ばれし民の自覚者。
 日本人とはそこが違う。

 優生学持つので、神を持たないけど唯一神教徒、つまり<英知的論理主義者>なのだ。 日本人とは、似ても似つかぬメンタリテイ持っている。

 彼らは神の代わりに、英知の悪魔的パワーを信奉しているのである。
 力こそ正義という考え方だ。
 (つまり、世に広まってる悪魔の正体のウソは、フランキスト達が流布したのであると、これでわかる。)

 ナチスは、そのフランキストと違い、内なる希望の光としては、火と氷の永久闘争という<ファンタジー>の、ホルビガー神話思想を暖めていた。
 それが選ばれし同志の証でもあったようだ。

 それはフランキストのような心の内なる光ではなく、すでになく未だない、感性頼りの未だ見えてない企画ものだったようだ。
 (これはハイデガー先生の思想でわかる。)

 ポシティブ一本槍の、積極的キリスト教実践宗教理念信仰を持っていたのは、フランキストと同じである。
 だがフランンキスト達は、もっと異質なのだ。

 フランキストは、感性的判断をも英知のものとみなす、英知絶対主義者の集まり。
 なので、ナチスみたいな中途半端な反省は一切しない。
 そもそもファンタジーが、ファンタジイとしては見えてない。
 現実なのだ。

 多分、全部<現実に>英知的に見えるのだろう。
 オイラたち普通人には、認識のねじれがある。
 そのねじれで見る者見られる者の特異点を形成していて。
 そこで知性と感性がねじれてて。

 それがバーチャリターを形成している、のだが。
 つまり、この享有認識の反省のねじれこそが、それが現実、ということなのだが。

 フランキストには感性も見えない。
 なので、悪魔を現実とは見なさず、自己反省もないので自ら悪魔となる。
 ファンタジイも、あの世の出来事とみなしたのだろう。
 結果的に、悪魔の行為は、<純粋知性の単なる理念>となったのだ。

 そんなフランキストとナチスは、主張方向こそ違うんだが、強大な悪魔的パワーを信奉するとこは同じで、かなり似ている。
 まあ、種族的に同じ。
 理不尽な闘争や戦争にこそ、見えてない未来を見出すものたち、なのだ。

 ポシティブしか見ないのもフランキストと同様だ。
 というか、西洋人の大半はもともとポシティブオンリーで、ネガチブ見てない。
 王がへりくだることなど、ない。

 個々人に居座る、そんな享有理念だが。
 選ばれし優生学に入り込まれて、ナチスは組織ぐるみ、その指導的悪魔の隠ぺいに利用されたのである。

 一方のフランキストたちはというと、やはり種族的迫害ポグロムという選民思想に取りつかれ、マルキシズムやジオニズムに蝕まれていったんやと思う。
 カースト制度もポグロムも、純血思想も、進化論も、根は同じだと思う。
 これらは選ばれし優生学である。
 仮に神がいなくても、輪廻転生思想があるかぎり、差別思想もなくならない。

 ナチスの悪行の実態は、<個々人の悪魔の悪行>。
 ジオニストの悪行も、同じ。
 悪魔が取りついて組織がやってんじゃなくて、個々人が、もともと悪魔だった。
 悪童が、そのまま悪魔になっていった、だけ。

 組織というのは、つまり悪魔たちの居心地いい<カルト組織>のことだが。
 宗教組織に対し隠ぺいの意図があると、その悪魔が霞んでくる。
 悪魔は隠れるのに都合がいいので、それで、安易に組織をも利用するのだ。


 <見える光>

 病気が伝える光癲癇で見える光、なんぞも、少し事情が似ている。

 この光は、おつむに居座る、超きれいな輝くギザギザ光なんで。
 これも光癲癇病人が見る、<自分だけの光の悪魔>であるにすぎんのやが。
 病気を隠ぺいせず、享有者に知らせているので。

 ソクラテスも、こっちは本物の癲癇の発作の際に、見えるはずのないイデアを見てたらしいのだが。
 おいらの最近よく見るこれも類似品か?
 善魔かも?いや病気なんである。

 癲癇の光は享有品であって、いくら他人に説明しても共有できないし。
 天使なんじゃないんだから、他者ではない。
 オイラ固有の享有の脳の血管狭窄が起こす、ありふれた病気らしい。
 おいらの親父も、この病気持ってたこと知っている。

 その悪魔光が天使にされる、つまり他者化されること、もあったようだ。
 この手の、天使を装うような、超大物の共有の他者、悪魔が居るのだという論議があるので。
 その論議のための、悪魔の出汁出そうとしてただけだが。

 ちょうど光癲癇起こって、思考力も低下するみたいで、でてこんなった。
 なので、あきらめて別の言い方で直に言うことにする。


 病気ではなくエロースの矢が、例えば悪魔の本質として語りたいものだった。
 これは矢と言う道具か、というと?
 いいや、悪魔の本質において、<道具と個々人享有者は区別できん>のである。
 チェーンソーにコキ使われている首切り男、を考えればいい。
 人より優越した武器を手に入れたばかりに、pkに精出す殺人鬼ゲーマーを考えてもいい。

 人が人格と区別できんように。
 心身一体の、オルガノンモノであって、本質は出汁出るが出汁にはならん。 
 ということを騙りたかったんやが。
 悪魔の本質は、やっぱり人間の出来損ない、欠陥病か?とも思えた。
 欠如欲求愛、なんてのも、まさに悪魔(個人)を突き動かしてると考えられるからだ。
 エロースの矢は、「小悪魔の矢」とも呼ばれることが多い。
 エロースもよく、天使に例えられるし。
 (悪魔と天使は、キリスト教では、ほとんど同じものであるように同列で扱われる。)
 しかし超大物悪魔がエロースの矢を使うんだとは、思われてない。
 大悪魔もこの享有時空の欠如愛を、じつに積極的にかつ効果的に使うのである。
 ネガチブにではなく、ポシティブに使う。

 それ、欠如愛を、共有世界の何らかの<共有組織物と、すりかえて>個々人に持たせるのだ。
 つまり麻を<被らせる>。

 (これが極めて大事な部分なのだ。)
 (自ら被り、同時に被らせる。)

 この論議は一見、世界共有のもののようには見えるんだが。
 実はエロース的欠如と言う、感性的かつ、極度に享有的な時空世界のもの、である。
 悪魔によって、この<享有の欲望愛>が、露骨に利用されている。
 (それでトピックにした。)

 麻で、すり替わって鬼の個人が悪魔に化け、共有を装う、わけだ。
 これのファンタジー化が、まさにナマハゲ。
 子供の無病息災、悪魔忌避に、日本のこちらでは逆利用される。
 現実に悪魔が居ることを子供のころから教えてきた。
 それを笑い飛ばすのは悪魔たち。

 たぶん悪魔は、大麻とか麻薬とか使って共有を装ってた。
 被害者は麻薬使わされ中毒するが、悪魔は被るだけで、自分用には麻は使わない。
 つまり悪魔には、麻薬密売人と言う特徴もあるのである。
 (享有の欠如的欲望愛を利用した、麻薬販売と言う悪魔行為者が悪魔、っつうこと。)

 麻薬は東インド会社や英国が有名だが。
 関東軍も日本軍も中国戦線で、地域の有力者に弁当箱をばら撒いて政治パーティーやって事前撤退お願いして、それで数倍の敵相手せにゃならん個々の戦闘に勝ってた。

 中国語が達者なので現地で下請けやらされてた語学の先生に、直接会って聞いたことなので、間違いない。
 京大で、かっては満州語の権威だった先生は戦後は追放され、落ちぶれた生活保護の暮らししていた。

 麻薬使うと、時空が摩り替えられる。
 アルマイトの弁当箱を現地人の有力者に届けると、それで戦場の流れが変わる。
 ここで、エロース的欠如に、十二分の<充足が偽装>されるわけだ。
 そのことが、人の感性上でも、実際に起きる。

 これがまさに他者のもたらす「光の愛」の共有つくりである。
 つまり麻薬被害者の精神にとっては<昇華>が起こる、ということなのだ。
 双方の兵士は死なずに済み、会戦の緊張は一気に円満解決。
 同時に肉体への害毒も与えられるんやが。

 この昇華理屈も、悪魔によって偽装されている。
 これは<悪魔>がやっている、<本当の享有を与えないということ>、なのである。
 <希望の光>が、仮想の共有をもたらすためにやっていることだ。

 これこそ詐欺師が言う<神の愛>の、偽物組織化の一つ。
 共有の世界仕立て。
 欠如愛が昇華されて、悪魔的な宗教組織になり、欠如が欠如でなくなる。
 享有が共有に化ける。

 それら昇華を使う欠如愛を使い魔に、さらなる光の愛が、享有に、また共有にも、もたらされていく。
 そのように見える。
 欠如愛は昇華と言う教義となってカルト化し、広く布教されるのだ。
 敵愾心もつ兵には麻薬がいきわたり、和平達成となる。
 (一神教宗教が享有者を篭絡する過程を述べているつもり。)

 自然な欠如欲求を、かくれなきその享有の様を。
 まず<偽装>させて。
 自然と言う、共有のモノがあらかじめあるかのように、<昇華>させる。
 現実の享有部分である感性は、必ず優生学で偽装され。

 その共有の未来<想定>へと、知的に、瞳着的に将来<投企>される。
 自己精神(時空企画)のほうが、逆に未来へと時空投企されているんやが。
 未来などという、そないな時空、未だどこにもないものだ。

 だが、この未来志向の悪魔人は、現代には溢れているのである。
 享有の欲望欠如愛が図式利用されていて、<知性表象>に化けて、それが未到来から招いているのである、
 つまり昇華は、こうやって共有企画できる。
 日夜、されている、のである。
 
 悪魔製造工程が日常的だといってもいい。
 そして未来へと偽装企画された図式が、悪魔の居る時空の証拠なのだ。
 科学では決して見えない、が。
 哲学では見える。

 魂の形が表象によって瞳着させられて、見える形となり。
 時空を持たない、悪魔的な優生学精神として未来企画されうる、わけだ。
 これが<悪魔に利用されてしまう>ということ。
 人殺しが楽しい人たち(悪魔)に利用される。
 (選ばれし者が出来上がる、工程の説明のつもり。)

 つまり詐欺られてしまう、ということなのだが。
 悪魔が見えんので、それにも気が付かん日常がある。
 太陽のせいにする前に、自分たちが何やってるのか考えろっつうこと。

 反省がなければ、そんな享有的事態は一切見ないで済むからだ。
 入信して共有に安心立命して、カネ巻き上げられて満足して、それで済む。

 まず立ち止まり、深く反省して初めてやっと解ることなので、騙されてたと気が付く人は極めて稀なんだろう。
 悪魔的な光、虚構の図式が形成したファンタスマの光が、詐欺の虚偽悪魔理論上に居座っているから。
 騙された人には現実が一切見えてない、ということになるのだ。

 悪魔の霊的な光として、現実上にうっすら見えるのが、<ファンタスマ>。
 あの世の光の、他者。
 「霊」と言うのは「詐欺」の別名だ、と、ここではじめてわかる、わけだ。
 (つまり霊と出てくれば、詐欺だと思え、とおいら言ってるわけだ。)

 霊魂というものは、詐欺師が使う<魂の表象>の事だが。
 悪意ある目的のために悪魔が使うことが多いのである。
 しかし霊媒物語が好きなカント先生は悪魔でも詐欺師でもない、優生学にちょっとヤラレテただけの学者。

 哲学の話してるんやない、いわゆる霊感商法のこと言ってんだよ。
 あれは悪魔のやる昇華詐欺なんだ。
 現実にある悪魔の行為の一つ。


 悪魔は特に。
 <本物の自分の過去の享有時空を、その享有者個人に本当には使わさせない>という特徴があるようなのである。
 必ず仮想の時空を仕立てズラせて、詐欺って、やっている。
 だから悪魔というんやが。

 麻を被るだけじゃない、<被って仮想の時空を仕立てて>いる。
 <虚偽の表象>をやっている。
 虚偽があるから真実があるかというと、表象自体が誤りだから・・・。
 (わからなくなる、が正しいだろう。) 

 感性が、過去から今へと向けてやるみたいに。
 現実をヴァーチャリターを仕立てることで、空虚な論理をねじらせるんじゃなくて。
 悪魔は、ヴァーチャルな時空を、逆に、自分の力で扱おうとする。

 <現実へと、力づくで自分の力で、時空を持ってくる>、のだ。
 ズラせて自分の身体の方向変えて持ってくる。
 ファンタシアを表象と変え、テクネーを技術に変え、カテゴリーを範疇に変えた。
 つまり必ず、未来志向の詐欺をやってきたのだ。

 悪魔の力は極度に<知性的>なんだが。
 かつ常にズレていて、いつも将来的に、啓蒙的に働いてる、ということ。
 そのために虚偽の現実時空をも持ち込む、性質があるのだ。
 (だから、仮想現実は悪魔の居心地のいい世界なんだろう。)

 自分の過去を騙し、隠ぺいし、将来へと詐欺る、という悪魔的特徴もあるようだ。
 享有偽装のこれを、共有にもたらす詐欺だ。

 たとえば有名大卒業してない自分の過去を、カネ使って共有のものに作り上げて自分の優勢を世間にアッピールする。
 こんなんは、まさに悪魔の特徴。
 あんたが1票入れた悪魔のことだ。

 つまり持ってるはずのものを、持ってないとだまし。
 持っていないはずのものを、特権使って持っているとして利用する。

 この騙しは、感性ではなく英知の光がやるのだ。
 つまり優生学自体の<知識が、直に>やる。
 (光が、優生学の基礎に置かれている、とわかる。)
 (英知の光は優生学そのもの、瞳着だ、とも、わかるはず。)

 享有すべき個々人の未来ではなく、共有未来を持ち出して、そこへと騙す、詐欺る。
 悪魔には、人格において、そういう光る詐欺師特有の際立った特徴がある。
 だから個に帰する善魔はいなくて、悪魔は必ず共有に心身一体で悪く帰するんで。
 だからだから悪魔と呼ばれるんだが。

 悪魔となる、もとから魔なのだが、それが悪さして悪魔となる。
 悪魔と言うこれはもともとは、麻被った鬼の種族の仲間のことを言ってたらしい。
 字ズラ見てるだけで、詳しくは知らん。

 一筋の光明に見えた享有のものである(ほんとうは過去の自分のものである)希望は、容易に共有のものへと偽装され。
 これも悪魔に利用される。
 それは希望が、私だけの<見てる見られてる、もの>のみではない、からなのだ。

 それどころか、享有のオイラとの関係を偽装され。
 つまりこれから先は、享有物ではないのに、現実は与えられてないのに。
 必ず共有の代用品を与えられて昇華させられ、オイラの享有の方は欺かれ、捨てられる。
 (享有の命が、その肉体とともに果てるように)

 <隠れ無き様>のもの(自然)でなく。
 投機的未来という<うふぉ>ものが、仮想現実の時空が、自然の代わりに与えられるのである。
 つまり、<自然というウソ>が与えられる。
 悪魔の絡むこれらは、ウソである。

 自然(あらわ)でない、不自然な<仮想の時空が使われる>のである。
 (おいらたちがそろって悪魔的自然共有へと落ち込んだ、現代のへんな自然観のこと言ってんだよ。)

 共有する新世界秩序の提供が、必ず他者としてそこにある、ということなのだ。
 これは悪魔に騙され、ヤラレてる場合の特徴だ、といっていい。
 卓越した優生学の他者が、必ず顔出して出てくるはずだ。
 文明だ、とかいったような。

 悪魔は、自然(かくれなきこと=あらわ)を特に投企的に利用して、人の享有現実を偽装的に扱う人。
 だから悪魔なのであるが。

 モトはオニに大麻をかぶせて、感性を騙して、悪さをさせるのが古来の悪魔だった。
 あるいはオニが大麻を被って感性をズラされ、悪さすること言ってたのかも。
 そこんとこは、よう知らん。

 悪魔はまた、あの世の霊体だ、とか普通はいうが、霊体なんかでもないよ。
 あの世のもんでもない、のはもちろん。
 この世の個人が、個々人に対して悪魔行為する、生霊の悪魔。
 ここにも騙しがある。

 意図的に目的を隠し持って、享有者の時空ズラせて、共有させて欺く。
 この世の、個々人者こそが悪魔なんだ。
 科学的に悪魔はまったく見えんので。
 霊体だとか、悪魔的人格だとか、組織が悪いんだとか、仮に想定して言ってるだけだ。
 想定誤りの、その時空の範囲すら見えてないんで。

 繰り返すが、悪魔は、個々人にとって<悪さする個々の人>である。
 あくまで<享有概念>なのである。
 その人にしか通用しない命題。

 オイラの悪魔論の最大の特徴であるのがこれだと、やっとトピカルに言えるようになってきた。
 <悪魔は享有概念>なのである。

 また、人格を持つ<人工の図式モノ>であることも多いのかもだが。
 こっちは暗すぎ。
 これは世に全く見えてないし、オイラにも難しいので期待せんように。
 次回、これを中心に騙りたい。









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最終更新日  2024年07月02日 10時45分11秒
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