トピカ解説の中で脱線して、長ったらしい悪魔論になっちまった。
なんとかトピックにまとめて終わりたい。
それには図式(シェーマ)を騙らんことには、終わらん。
<図式>
つまり陰謀家は、必ず悪魔であり。
それ、陰謀は現にある。
証拠として世に悪魔が居る。
彼らが組織作って、人殺し、やっちょる。
世の陰謀なるものはことごとく真実であった、そのこともわかってきた。
世に陰謀はない、なんてのは悪魔が言っとるだけだ。
悪魔の見分け方もわかってきた。
彼らはすぐに、物事を隠したがるし、他より優れた、あるいは優越した未来を言い始めるのだ。
人殺しが見えんでも、他者より優れた、とか言うやつは悪魔。
黒塗り大好き人間は悪魔。
人と虫けらのアリの間に優劣はないのだが。
この優劣を無理に使う、優生学を言い出す、という特徴がある。
不都合なことは黒塗りする。
悪魔はその優越心に囚われた、陰謀家自体なんや。
(麻被って、自分の偽装収奪を隠ぺいして国を亡国へと追いやってる修辞学に長けた政治家連中のこと特に言ってんだよ。)
彼ら政治家は特に昔から、麻薬密売業者やって力付けてた連中が多い。
同時に、それで味占め跡継ぎも作った世襲者だった。
勝ち組、とか言い出す悪魔的特徴あるし。
陸軍組織御用達の人たちが最初に手がけ、免責された防疫部隊関係者なども加わった。
勝ち組を言う連中の事だ。
予防接種が必要だのと言ってる連中。
海軍はフリーメーソン組織御用達だった、っつうのもとうにバレてんだが。
部下を死地に追いやっといて生き延びた連中も大勢いた。
選ばれしエリ-トなんて、文化破壊目的の<文明的陰謀家>だった、といってもいい。
文明開化の名目で始めた戦争のその繰り返し。
それが悪魔であることを証明してる。
悪魔というのは、超悪賢い連中である。
そのことは万人が認めるはず。
アホであることは、絶対にない。
(ということは、アホに悪魔はおらんのだよ。)
(逆に言うと、<知力は=悪魔>とも言えるんや。)
倫理観のおかしい点取り虫が、優生学で世を支配して滅ぼしていく構図が見える。
この構図が問題の図式の見えてる部分。
悪魔的文明の推進者を名乗る、という、その特徴もモロに、悪魔にあるのである。
副詞であった命題もの、<自然>をムリヤリに細分化して環境化し、名詞化したりもしてきた連中。
彼らは組織法人であることもあるが。
それは他の神を認めない一神教宗教組織などの、悪魔集合団体の法人に限られる。
悪魔は絶対に「霊体」、ではない。
生きた人間。
これが、これまで流布されて来た悪魔論議の最大のウソじゃろう。
「悪魔が霊体として取りついた」、と言い訳してきた。
そうじゃなくて、生身の人が悪魔であって、しかもファンタジイじゃないってこと。
(精神力だけ科分離して見れば生霊になるが、これも、うふぉ。)
現実に麻被った、実態は人と言う獣個人や、その複数集合の法人なのだ。
ブロンドの野獣?
優生学見えるが的外れやろ、中身は知らん。
宗教に利用したい悪魔連中が居て。
悪魔に雇われたピエロ人悪魔の宣伝屋マスゴミ、つまり悪いチンドン屋もいて。
彼が「悪魔は霊体だ」、とウソをいってきたのである。
霊はあの世の主人かもしれんが。
この世では主体性を持たずに利用されるだけだから、未だ悪魔でもなんでもない。
霊はその背後に、利用関係者が必ず居る、のだ。
悪魔本人が居たり、魔法陣が立てられていたり。
霊はまた知恵そのものではないから、悪魔と無縁。
英知そのものを持つ、悪魔実体がなければ霊はポルターガイストにもなりえへん。
必ずこの世の実体である人間が悪魔。
現実に悪さして、<他人を現実に殺すから、悪魔>というんで。
利用される媒体に責任押しつけは、特にいかんと思う。
ファンタスマに、悪魔の名をかぶせてはいかんのである。
幽霊が怒るじゃろうて。
自然にできることを、自然と言う名詞にかぶせて、ずらせた命題にして。
これを将来に置こうとするのも、宗教的教義のカルト的陰謀だった。
悪魔的特徴だ。
人の感性や知性を、悪魔的仮想世界に誘導し指図する。
指図する。
(これが問題の図式。)
揃って誘導されちまったのが、現代のへんな自然観だ。
環境、ミリュウなんていう怪しげな考え方が、まさに悪魔的だ。
(ライプニッツあたりで論議した記憶があるが、記憶曖昧?)
悪魔利用者の宗教組織もあって。
彼らが悪魔を利用してきた。
彼らの将来的優生学実現、そのことのために悪魔を使ってきたのだ。
仮想世界であることを<暴いて、本人にその無知を悟らせる>んじゃなくて。
そこへと、<目的>を立てた<予定企画へと「誘導」、「指図」>してきた科学がある。
(科学は図式的に操作されてきた?)
(そのとおり。)
つまり悪魔は科学をやる、科学者個人、個人なのである。
しかも導きの、教導啓蒙の科学をやる。
自分のノート(指示書)を参照し、再現技術の知識を扱う、あくまで個人。
ここに、<悪魔は科学者本人?>でもあるようにも、見えている。
希望を鼻先にちらつかせておいて、自分の予定企画へ誘導するからだ。
オイラ、科学者は悪魔だ、と言ってる?
そのとおりだ。
だが微妙にずれてる認識が起こす、その理由もあって。
科学者=悪魔と言い切れない部分が、どうしても残る。
科学は心身一体では成立しない。
もともと心身分離思惟の、<死んだ怨霊であるにすぎん>からだ。
どうしてもファンタジイが導くファンタスマ的なところが、あるのだ。
だから科学者と呼ばれることは、<死んだ怨霊>の使い手と呼ばれてるわけだが。
現代社会における選ばれしエリートであることは間違いないので、成り手は多い。
自分で科学に疑問を感じてる科学者も、ごく少数はいるみたいだが。
科学者のような知識人には反省できない人が多い。
なので、本物の悪魔になっていく人のほうが多い。
といっても、科学の何たるかを、その本質をちゃんと掴んで理解している人なんぞは極少数)
なので、本物の悪魔は人間全体の中ではごくごく少ないんだと考えていい。)
ファンタスマのお仲間が、科学の立つ時空、なんである。
だから科学者なんて、死霊みたいなもんなのだ。
(これはオイラこれまで想定してなかったことだが、事実だろう。)
(ファンタスマのお仲間が、=科学。)
つまり悪魔に利用されうる実践啓蒙運動、その形而上学的理念のほうが現代のテクノロジー的科学の基礎に出会うことで。
かえって科学の方が(その図式が)見えて来たんだが。
これは必ずしも、<人の持つ光る知恵>じゃないからでもある。
(テクノロジーと科学は、まったくの別門でっせ。)
すでに科学(科分離化、学(技術)術化)された命は、ズラされた。
それだけでなく殺されてて。
これらはすでに悪魔自体じゃなくなってる、とも言える。
その悪魔の手先に利用されてるノートと化しているだけだ。
多くの場合、<科学は悪用される>のである。
これに気が付いている人は結構多いようだ。
だから科学=悪魔、という図式は成り立たないが。
むしろ科学=幽霊のお仲間、と、あいなってるわけだ。
(図式ってのは、こんなものですが、完全な暗喩だと見えてこない?)
科学を導く、<享有者の心に忍び込んだ><共有の推進光>のほうが、やはり悪魔なんである。
推進光の光というこれが、やはり悪魔そのものじゃろうて。
人の個人的英知として見えているもの。
<享有者の心に忍び込んだ><共有に導く啓蒙的推進光>。
まさに、瞳着として働く、<知恵>の事だ。
知恵や英知そのものに、悪魔を見てしまう人が多い。
その理由は、これで理解できるはず。
(優生学を持つ英知の光こそ、悪魔なんである。)
純粋悟性概念といった英知自体は、カテゴリー抜きには想定できない。
心身一体のオルガノンものの哲学だからだ。
だが、メタバシスやってカテゴリーの制約から外した英知が悪魔、ってのは、誰でも理解できる内容だろう。
悪魔は霊世界のものではなく。
欠如理念など使う現実世界の個人であり。
特に、権力への意思などをも使う、英知の主、本人の享有で理解できるものごと。
狂気発病前後のニーチェの主張なんて、まるで悪魔の主張、そのものなのだ。
つまり唯一神への<信仰>こそが、悪魔の正体なんであるとオイラ言いたかったわけだろうが。
享有のものでありながら、悪魔は共有を装うので。
英知の光としての、悪魔ルシファーは、信仰ではなくて。
個人という共有体上みなされる、<人格>の方である。
信仰は、それ(共有体)が使う道具のほうだ。
ニーチェは悪魔にならずに、許可されていない享有体であることを、狂人となることを選んだと言える。
但しこの人格という概念は、すでに優生学を持ったものだ。
共有に片足突っ込んだもの、なのである。
こころの奥底に巣くった共有の希望の光なんぞは、だから。
即、悪魔だといっていい、のである。
悪魔ルシファー。
(ついに悪魔の図式が見えた)
共有の光のモトを、原因を言うこの連中は、しかもなぜか常に仲間を募っている。
優生学の<犠牲者が必要>なため、そうするのだ。
悪魔は共食いをやるのだ。
サバトの宴をやる。
まさにフランキスト悪魔の集団、じゃろうて。
異教徒の一神教徒を、悪魔祓いと称して、異教の灯を消そうと拷問し殺しまくった悪魔もいたらしいが。
人のこころには、永遠の光なんて、もともとあるはずない、のである。
人のこころは、眠りにつくという、あの世にいくという運命が決まっている。
必ず死すべき、いずれこの世からは消えるべき、この世ではうすぐらい<幽玄な存在>だからだ。
自分で覗き込んでみればわかるが、心には闇が広がるのみ。
しかるに、よそにある表象は、極度に明るい、のである。
あれは忍び込んだ<共有の光>、つまり優生学持ってるからだ。
悪魔だからだ。
必ず優生的に、勝ち組主張してギラついている。
自分の心の奥底には、無知という薄暗さがあるのは確かだが。
これは決して。ネガチブだけのものじゃない。
すぐにあるかどうかも、<英知の光>に邪魔されて、定かではなくなるが。
図式的な導きもあるのだ。
それを邪魔するこいつらは、小賢しい知恵と言う、光る悪魔。
知恵が出てきたら、感性の図式は消えて見えなくなる。
幽玄、つまり有限な薄暗い時空の世界が、人のこころというものだ。
瞳着した一体の光なんぞが見せてる、<表象>、なんじゃない。
あえてこれを科分類すれば。
いじけて破綻した、死すべき無知な自分がいるだけとなるが。
しかしそれも、真相じゃないと思う。
感性の、壮大な図式世界があるはずだが、それは一切見えてないのだ。
人の心は必ず、ポシティブもネガチブも兼ね備えているし。
読み取る力もあるはず。
選ばれし優生学などとも<無縁の存在>のはず。
永遠に生きる、んではなく、死ぬ存在であるんだからだ。
人は死ねる、眠りにつける。
永遠という優生学は、人の心の図式には成り立たない。
ネガチブな優生学に囚われてると、一切見えない世界がここにある。
享有の反省では、大事な部分が悪魔の光(英知)に隠されてしまっている。
見えてないのだ。
ここには有限な、限りある、しかし生きている限り強靭無比な、<感性の世界>があるはずなのだが。
仏法の言う貧者の一灯のような大切なものが、稀にはみつかるはずなのだが。
(おいら仏教徒ではないが。)
死ねば、享有的には何もなくなるので。
共有的にも、この世での鹵獲物は、ぜんぶ返さねばならなくなる。
そこから先がない未来時空想定が、それを隠ぺいして、見させんのであるのだろう。
有限ゆえの、限界があるのだ。
だからと言って、無限は優生学の悪魔世界だとは、誰でもわかるはず。
わからない悪魔連中も確かにいる。
(輪廻転生の永劫回帰は、優生学的な悪魔世界。)
知識もまた同じ。
いずれ雲散霧消する未来が、これは明確に悪魔的に、あると言える。
知識は、すなわち光だからだ。
いずれ消える貧者の一灯でもある。
知識は光であり、悪魔ルシファーの優生学における道具である。
共有世界と享有とのつながりは、相変わらず不明なままだが。
だから一筋の光明に出会うと、誰しもそこに希望を見てしまう。
人は容易に、悪魔知識に魅了されてしまう、ということ。
つまり悪魔に魅入られる、ということが、必ず起きてしまう。
自分が享有的には無知だと知らず、不足認知状態だと、特にあっさりそうなってしまうようだ。
エロースの矢が働くからである。
しかしモトモト未来の光もってりゃ、そりゃ、自分がメシアそのもの、っつうことだよ。
そいつはもっともっとダメな、最悪の優生学だよ。
享有の未来は薄暗くて、光が欠如してる。
なので、つい光にすがってしまうのだが。
自分の享有に光の導き(共有)を見出したとすれば、それは<必ず詐欺的偽物>。
共有へと誘う、悪魔の詐欺の導きだ、っつうこと。
自分がメシアだ、詐欺師だってことの主張が、モロダシになるんだからだ。
享有を気にしない人には、こんなことは一切わからない。
だからプロテスタントたちは、(気にさせようと?)享有を禁止にする。
(実はカルト図式優先させるためにそうしてるのだ。)
彼ら宗教カルト団体にも、磔にするメシの種メシアは1人で十分なはずなんで。
光を心に持ちましょう、では、全員がメシアになっちまう。
事実、フランキスト達は、全員がメシアの自覚持ってるはずだ。
だから、カルト教団の経営にはメシの種がなくなるので、非常に困るのである。
悪魔で、世が溢れちまうからだ。
フランキストと超原理主義者はいつも、激しく対立している。
彼らカルト教団は多神教をも、そういった理由で怖がってるようだ、が。
そっちはぜんぜん度外れでっせ。
一神教徒に、多神教理解のあんよ紐は与えられてないし。
多神教徒にはメシアなんて、そもそも要らん。
いっそのこと、と。
積極的にメシアを世に溢れさせようとした一神教徒が。
それが、このフランキストの連中なのだ。
ナチズムとはまた違う手の、<極度の優生学的積極性>の連中、なんである。
自分享有の、見てる、見られてる、それへの目配せをも含め。
享有全面禁止的な隠ぺい主義者が、プロテスタント。
享有管理を神父管理に一元化しよう、としたのがカトリック。
みんな同じ穴のムジナだと、わかるだろう。
<悪魔自体が、キリスト教徒特有の概念>なのだ。
悪魔がいなきゃ、キリスト教は成り立たない。
優生学がなきゃ、キリスト教は成り立たない。
(つまりキリスト教徒こそ、悪魔御用達宗教だってこと。)
そして彼らプロテスタントも、享有のない、共有(教会組織)だけのこころの光に、小羊を誘導する必要がある、のである。
犠牲が必要だからだ。
悪魔の生贄にするために必要。
これを、こころの光へのいざないを、プロテスタントたちも主張するのだが。
これがじつは、<図式使っての投機企画>にあたるのである。
つまり、陰謀的な、仮想の時空仕立て事なのである。
誘導行為が、即座に悪魔的行為推進、になっているのだ。
光は、その<感性的時空の過去を一切、自己参照しない>、からだ。
過去なんぞは、どうでもいい。
瞳着的に、知的には、反省など、させやしない。
組織の秩序が崩れるから?
そうではなくて。
知性的に、ただただ瞳着させるのみ。
つまり<表象>であって。
その知性にはもともと、<反省行為が皆無>なのだからだ。
逆の反省行為を担っているのは、これが感性的な感覚反省行為。
ネガチブで見えてない。
繰り返しが形成していく感性の図式。
もっぱら文語体の言語、だけの役割なのである。
口語体ではなく文語体のみ。
そしてこれが、カテゴリー制限がかかってる、というものなのである。
それ(図式)に気が付けば倫理的制約を見ているわけだ。
カテゴリー命題へと、享有者個人のみを倫理的に制限させる。
こころの牢獄をつくらせる。
知性は見つめさせ、瞳着させ、はするんだが。
その瞳着時空は、未だ<どこにもない>ことになる。
悪魔は消える。
しかし未来には、優生学的構想はある。
しかも未来にのみ、仮想的にある、から、そうなるのだ。
つまり虚無主義の論理に導いてしまうのである。
光が本来所属する時空は、仮想の希望側のもの、だからだ。
享有者は必ず、身体的な過去を持つ。
(過去を持たないものは、身体を持たない。)
これは自己享有が所属する<時、空>を持つ、ということ。
共有の、こころの光なんぞは、もとより身体以外まったく持たないはず。
文字通り質量ゼロ。
それは<悪魔に吹き込まれる>、それだけなのだ。
優生学的に、吹き込まれる。
もし持っていたら、<感性的時空の過去を一切参照しない光そのもの>、となっちまうからだ。
メシアになっちまうので、それではいかん。
最初から選ばれし特権者である、メシアである、そのことを自分から示してしまうことになる。
誰にも選ばれてないはずなのに。
それとも悪魔に選ばれた?
十字架に架かって果てるべき、全能のメシアと一体化させちまう。
果てて、再度復活するらしいが。
それもカルト教義の言うミステリーと言う名の、知的な瞳着のやる共有化の、これはウソだ。
うふぉ、ではなく?
果てたメシアの肉を食い血をすするなんぞ、海賊のやること。
ここらへんはオイラもまったく見えてない暗い世界のこと、なのである。
だから大声ではなく小声で言う。
しかしこれが、陰謀的詐欺に利用されてる。
光の子イエスとして、世に広く使われているのだ。
詐欺師のメシアは殺されて、利用された。
たぶん陰謀的詐欺が行われた。
具体的にどうやるかというと。
有限な人にとりいって、永遠の契約なるものをさせ、そこで契約の見返りに組織保障の「無限特権約束」を与える。
つまりこれが<優生学詐欺>なのだ。
というか、一神教の本当の基礎がここにある、っつうことだろうとは思う。
悪魔と、組織と、双方がここで絡んでいる。
不死特権だの、優勢特権だの、えらばれしもの、だの。
優生学のこれが、一筋の<希望の光>でもある、わけなのだ。
実は、<未来想定の輪廻転生>が絡んでいる。
もう一度、これは声を大にして言う。
未来想定の輪廻転生絡ませて、詐欺やってる。
希望を、まず見させ、虚構の組織特権でそれを助長させ、共有させているのである。
それは「ある現実」ではなく、「単なる(架空の)希望」にすぎんのだが。
拡大中の組織の、共有実在だからなんだが。
つまり公共のウソだってこと、なんだが。
それを、過去の時空と言う、享有の経験則に沿ってではなく。
未来に羽ばたかせる享有者の「幻想」として、<本人に抱かせる>。
信仰の部分だ。
(ここに図式が絡む。)
つまり人に将来へと<投企>させ、仮想の時空に<表象>させる。
これが共有の光の正体だが。
実態は悪魔図式なのだ。
ウソの正体部分。
だからこれが<悪魔の実態>といえる。
つまり知性的に<表象>させる、表(おもて)に像化させる、ということ。
が、これこそが悪魔の正体なのだ。
悪魔にずっと薄っぺらさを感じて来た理由は、それが表象だからだ。
(しつこく言っとくが、この古典ギリシャ訳である表象は、トピカのやった誤りで、アリストテレス先生のオルガノンモノじゃない)。
ほんとうは、ここに魔法の図式が使われている。
陰謀操作が行われているのだ。
それ(図式)が、享有者に指示命令している、のである。
悪魔の行為のように見えるのは、その<図式の働き>があるから。
感のいい人には、「見えてないけど何かがある」、と思うのだろう。
図式シェーマを、抱かせた希望という<幻想の光で享有者に描かせ、心構えさせた>、のである。
技術が使われる、もウソである。
享有者に、繰り返し図式で<心構えさせた、心構えさせる>、が真相。
つまり共有の光を心に抱いて、自分で、時間・空間の見取り図を反復し、自分で描いている、そういうことになるわけだ。
(それが知性だ、っつうこと言ってるの。)
図式は感性で出来てるが、感性の裏にネガチブな知性もいるのかも?
以後はその図式が、悪魔の光の代理人となる、のである。
自動で、その時空の享有者を導くようになる、のだ。
魔法陣として立つ。
架空の時空のアルゴリズムが、以後は魔法陣として有効に、反復して働くわけだ。
いわば自分が抱いた過去の幻想に、自分が以後は命令される、ということなのだが。
そうは見えずに。
(悪魔契約では反省できない、自己享有ないはずの契約なので)。
「未来に投企した企画のみが今の自分を導く」ように見えている、わけだ。
つまり悪魔に魅入られて、彼は騙され、利用されていくのである。
本人が抱く幻想は、本人にとって大概が「いいこと」なので
いいことづくめのように、一見、思えてしまうかもしれん。
だがこれが、<悪魔との取引の特徴>というものなのだ。
必ず、過去ではなく(ありもせん)未来が使われる。
そういう特徴がある。
図式が絡ませられる、という特徴がある。
ほんとうは、過去に未来企画した<自分の光幻想がモト>、なのである。
アイドル志向のアイデアや、心に描こうとしたイコン幻想がモト。
輪廻転生の優生学命題は、いきつくところ。
<不死>の欠如願望なのだろう。
それが、「特権」化され、投企された未来から導く、ように見せる。
優生学特権が、そう見せているのだ。
選ばれし者が見せて保証する。
享有を一切反省して見ずに、組織の共有のみに目を向けているから、そうなるのだ。
はっきりせん未知の魔物や神々、ではなくて。
明確な<自分の信仰図式>が、英知の光となって。
自己享有する背景の感性が、自分に命令してくるようになる。
(その図式部分は一切見えない。)
つまり、自分で陣立てした魔法に、彼は自分でかかってしまう、わけだ。
それは「お金儲け」であったり、「栄誉の獲得」であったり、「学問の成立」であったり?
学問は絶対に完成しないのだが、完成の栄誉幻想もありうるのかも。
「幸福の成就」、というのもあるだろう。
幸福を騙る詐欺?
そういえば「幸福の科学」なんてのあったな、この手の図式的仕組みなんかどうかは知らんが。
自分うちだけでの個人享有企画だと、自分でこの仕組みが理解済なら、全く問題はないんだろうが。
実は企画や立案なんて、大概そういうもん、なんであるんだが。
本稿も、その自分だけ企画でできてんだが。
共有の組織、特に宗教が絡むと、いかん。
これが詐欺や犯罪に、直接つながってくるわけだ。
悪魔を出すことにもつながっている。
享有は問題ないが、<共有>や<組織>が絡むと、いかんのだ。
倫理の牢獄を、他人にも押し付けることになる、からである。
倫理がベツモノにされとるので、これもわかりにくいだろうが。
不死や輪廻転生という嘘に載せられて、人は優生学で悪魔になっちまうからだ。
これらが共有社会で、享有ということに無知な者相手に、陰謀的に執り行われる危険があり。
しかも現に起こっている事なのだ。
実際に詐欺的に、ネット上でも、この図式利用は盛大かつ悪魔的に多用されている。
たぶん、やってる本人が気づいちょらん。
シェーマは、概念自体が超むづかしいし。
モトが感性モノの構想力なんで、世間では一切認知されてない。
カント先生が論議に持ち出したが、世間にはほとんど理解されなかった。
純粋悟性概念の図式、というのがカテゴリーということだとわかっちょる人なら理解できる。
大学でオイラも卒論に選んだが、見事に沈没したので冷や飯の一生だった。
今は、超賢いユダヤ人が、彼ら共有のその魔術に利用するだけ。
幸福も、享有者個人のものである。
なので、共有関与の幸福成就などは、絶対にないはず、なのである。
そして個人享有はいずれ、すべてを返して無に還るだけ、なんだが。
輪廻転生理論に、どうしてもすがりたいやつが出てくる。
優生学やらんと納まらんやつが、出てくる。
どうしても他者他力信仰にも、これは誰でもすがりたくなる。
だから選ばれし特権享受もしたくなる、が。
それはいかん。
<自己だけで享有する他者の光は、悪魔>ということだからだ。
輪廻転生に拘るあまり、この世での悪魔転生などをせんようにしたい。
小乗座部の仏教はだからこれを(輪廻転生を)真っ先に、完全否定して仏教が始まった。
おいらは仏教徒ではないが、輪廻転生を完全否定し、こころに享有する貧者の一灯を悪魔の共有光と区別する者である。