<優生学、再び>
優生学には、ローマ人の古典ギリシャという堅固な基礎がある。
享有に思い込ませる共有詐欺だが、根の浅い簡単なものではない。
悪魔的な一神教の宗教信仰という、これがモトになってて。
特に根が、堅固な宗教教義になっている。
その宗教信仰の一部をなす基礎教義が、文明へのアジェンダなんである。
<選ばれし者>
<光の子>
<輪廻転生>という、キリスト教特有の思想教義が根っこにあるのだ。
仏教では釈尊も入滅を言うが、輪廻転生は否定しても主張しません。
これ言うのはキリスト教の特徴。
なので、一神教徒でない日本人などは、こないなもん、持ちようもない。
オルガノンを生んだヘラス人も同様だった。
死んだ後の事なんぞは気にせんのである。
なんにもないんやから。
あるのは生きている証拠。
つまり生きている「享有の信仰」が、人の個人思惟のモトにあるはずだが。
特権者として選ばれちまうと、まず倫理が消える。
自由の意味が変わり、共有一辺倒に、立っている時空が人工化するのである。
全てが<自分に由来>ではなく、<自在に表象可能>へと変わるので。
中性風になる。
ファンタジックな、教養的な教義にもなる。
倫理同様、優生学なんてのは、享有する自分に対しての話。
享有理念の範囲でしか有効でない代物という問題もあるのに。
一神教の神は、そもそも享有の信仰に応えるための神であるのに。
実際には、共有時空に対してしか、対応してこなかったという。
へんな神だ。
というか、宗教という代物がもともと、そういったもの。
てっとり早く言うなら、公共利用の<優生学詐欺教義>のことなのだ。
だから神道や仏教は、公共のものであっても詐欺宗教となることは避けてきた。
この認識がない人、最近増えた。
優生学は一神教徒に選ばれたのだが、騙す目的が隠れちょる。
優生学は、その享有信仰に対して図式的に働く。
感覚の繋がりで出来ているので、わからんままに感性を導くのである。
倫理などネガチブな規制とは根本から違う、独特のポシティブなアプローチをしてくる。
まず享有の信仰に、共有の免罪符を与えてくれ、応えるのだ。
カトリックが資金集めに使ったものだが、他人として見ているのは氷山の一角。
免罪符は優生学の基本なので奥が深い。
与えられた神からの特権で、時空ズラされて、ヒエラルキー的共有の時空、となって。
自分もすっぽりそこに納まっちまう代物なのだ。
優生学というのは、そういう<人工のウーシア構造図式な>、わけだ。
この共有時空はもちろん、宗教特有の目的をもつ。
但し明晰判明とはなりえず、必ずアジェンダとなるのだ。
つまり、メッセージ付きの人工ものなので。
今日のイカガワシイ、メッセンジャーRNA思想とまったく同じものだ、ということがすぐわかるはず。
信仰のそれも、人工物で、いかがわしいんだが、組織に属してしまえば居心地よさに変わる。
世の人の健康や免疫力も、mRNAでもって消えた。
ローマ人がそれまで持っていた、先祖との共有維持目的の多神教信仰、なんぞとも無縁とされて。
紀元前後あたりに侵入した、曰く不可解な一神教の信仰となって。
帝国ローマはやがて強大化して、死んだ。
アリストテレスという優生学知識体系の基礎を打ち立てたこれが。結果的にローマ人という種族をボロボロに侵食して、辺境へ追いやっていったのだ。
そして選ばれし王族の血筋だけ、はいろんな周辺の種族の血筋に輪廻転生して寄生して生き延びていく。
宇宙人の介入、侵略みたいな出来事が起こった、大事件。
ホンマに宇宙人介入してるんや?
宇宙人なんてありえまへんて。
億見だが、企画売るためのウソ八百やと思う。
キリスト教徒、特に新興宗教は、宇宙人介入説を表に出すことが多い。
もともとその教義の一部にあったようだが。
それで、図式操る詐欺師のウソだと、わかる。
宇宙人いたら、星の距離を超えて来たものだ。、
人間みたいな未開種族に介入して、何のメリットがありまんねん。
アホな種族に君臨しても、優生学優位なんぞ、一切得られん。
介入無意味ないというのが、宇宙人介入のない証拠じゃろ。
優位がなきゃ、教義に採りこむ意味もないわけで。
さわらぬ神に祟りなし、お客様は神様、の、オイラたちには、こんな無意味は理解できん。
昨今、レプティリアンに代わって登場し。
スピリチュアル業界で日本でも人気なのが、プレアデス人とかオリオン星人あたりなんだが。
これらは、地上の新興宗教団体のキャンペーンモノ。
正体もバレてる。
一神教の教義の特徴が際立ってて、言い回しも同じなので、それがよくわかる。
名前からして、宇宙とは無関係なのだ。
星団自体が、宇宙にはありえんものだからである。
(地上から見た、星の輝きの優生学神話や星座物語。)
(まさに優生学の団体様ご一行なのである)
しかしイタリアの絵画を見てても、ホンマに、宇宙人の介入があったようにすら思えることが多いじゃんか。
光る他者の空飛ぶ円盤まで、ちゃんと、有名な絵画に描かれちょるもんで。
その、後先騙される光の描写に、どうしても騙される。
まあこの宇宙人の介入つうこと自体が、もともとキリスト教の主要アジェンダ・テーマにある。
宇宙から最後の審判にやってくる。
それをネタに、聖書が読める階層の賢い享有認識層へ浸透し、共有的に支配してきた宗教教義。
モトネタはマニ教で。
そのさらに元ネタはゾロアスター教やミトラ教、つうのもわかっちょる。
ヘラス人なんか、この特定宗教の言う事聞かんので。
(彼らが言う)異世界の力の介入によって、種族ごと奴隷に落とされて、この世から消されたのである?。
ヘラス社会や文化はほんま、陰謀と奴隷制度と海賊たちの力に屈して、消えた。
さらに過去の歴史記述をも捻じ曲げられ、時空までずらせて聖書史観が作られ。
ファントム時間まで創出された。
一神教の信仰力は、時空を捻じ曲げるほど、じつに強力なのである。
ルネッサンス期直前の、悪魔の光が持つ力はホンマに若干異常だったとは思う。
そこは説明つかんけど。
オイラは、優生学に宇宙人無関係と思う説なんで。
人の種族的変身物語にも、宇宙人なんて関わってないと思う。
むしろ自分でやったこととちゃうか?
ローマ人王族が自分たちの力で、自分たちの滅亡への基礎を築いたみたいに。
古代のオーパーツや各地に残る遺跡などから、
古代の核戦争あったことなどは、見直すべき時代が来てると思う。
虚偽の優生学アリストテレスからたった2千年で、悪魔は原爆を持った。
人の関わるの電磁波の力は、今や地球を庇護するバリヤーにまで手を付け始めている。
それらぜんぶ、アリストテレスの名を、基礎に借りただけだ。
ぜんぶ古典ギリシャの、優生学の力なのだ。
享有者を共有に取り込んでいく、<力、と、形>とでもいうべきもの。
神の力、神の形。
それはローマ帝国を乗っ取り、滅ぼし。
さらに西洋中に広がった。
特にキリスト教は、海賊を中心に広がり拡散したように思える。
聖書を読める知的な海賊。
マンガの話じゃない、こわ~。
オルガノンを、哲学ではなくオルガン製造機械技術の知識だと見たい、一神教に団結した、共有認識の科学のもの。
それらが、宗教信仰と一体になっているのだ。
科学技術の力と、キリスト教は、不可分かつ一体のモノである。
(コレ言ってるのはオイラだけ?みんな見えとらん?)
科学的合理主義思想に代表される、<文明>の持つアジェンダ力だと思う。
見えてない図式の力が、文を明るく照らす力が、見えとらん背後にあるのだ。
別名を、未来志向的な<優生学的自己保全思想>ともいえる代物がある。
まあこれって、<持続的に永続発展可能な予定企画>つうことですなあ。
アジェンダのこと。
そないなもん、ありえてはならへんもんやけど、実際に力が働いている。
図式の誘導力と指図があるのだ。
人工の時空が、表象企画されて、ある、というべきか。
図式だけ、見えてないのである。
瞳着的認識を最重要視し、そのありえぬ今を未来投機していく。
これは<予防防疫思想>でもある。
知性先導で勝ち組を増やしていく、ネズミ講でもあるのだ。
これらが、詐欺で滅んだこのローマ文明から輪廻転生して、今日の世間様に寄生し、居座っているものだ。
それらは魔法陣様の、見えない図式(シェーマ)を広く形成している。
見えんままに、悪魔に利用させている。
つまりこれらぜんぶ、宗教のやる魔術なのだが、金銭優生学が深く絡んでいる。
この力と形容(その目的)に、西洋世界は征服されていった。
(図式の目的は見えちょらんのである。)
つまりこれは古代ギリシャ古典に基づく。
アリストテレス全集の持つ文明の力であり、科学技術という名の、優生学アジェンダなのだ。
これに日本もすっかりヤラレた。
優生学は、科学技術というキリスト教世界の<時空共有信仰>なのだが。
これに寄生され、すでに半死半生。
(蓄財は世界一らしいが。)
カトリックは享有信仰を打ち出すが、優生学という騙しがあることで、享有自体がズラされてしまう。
これが見えてええへんと図式は見えんので、しつこいと思うほど繰り返すが。
享有者を篭絡させて、教会組織において、選び、共有化することと。
科分離認識のアジェンダ技術によって優生学を個人享有から共有への道筋を作らせ。
さらに図式への信仰心構えを作らせる、これが。
同じ優生学。
この一連の操作が、つまり図式の作用なんだが。
これが文明と言う名の、信仰教義でもあるのだ。
科学技術 = 一神教信仰 = 優生学 = 文明アジェンダ、という、一連の誘導図式がここにある。
それがわかるだろうか。
・・・・と続いていくうちに、享有の感性は、もともとの感性ですらなくなっている。 遺伝子は変わってゆく。
一神教の宗教信仰は、この世に悪魔を解き放った。
人間をも犠牲にする、全焼の小羊を増やした。
それのみでなく。
勝ち組だのなんだのと、ウソ言って誘って。
下賤に見下した芸者も平然と殺した。
人も生贄に加えた。
優生学は信仰となり、科学となり、技術となり、アジェンダとなって。
その時空も確保され。
今や支配階級は小羊集団そのものをも、絶滅へと追いやっていく。
選ばれし特権者たちは、アドレナクロムに頼って自分たちの肉体の長生を確保しようとしたようだが真相は闇のまま。
ピザゲートでも失敗したがほとんど無傷で生き延び。
さらには魂の輪廻転生へと手を伸ばす、かのようだ。
小羊は騙されて従順に、豚のように殺されていった。
だが賢い牛は屠殺場への道すがら暴れる。
市場の列柱の雑踏に隠れて、抵抗を説いた先達者たちも確かに、大勢いたのだ。
優生学への抵抗なんで、とうてい哲学とは言えん目的ものだが。
れっきとした抵抗運動。
ローマ時代におけるストア派の興隆は、この<抵抗運動>だと思う。
優生学に対する心構えの態度は、常に二択である。
受け入れ、奴隷支配されるか、逃げて抵抗するか、だ。
いずれにせよ死ぬんだが。
死んでも、選ばれた優生学信奉者は、輪廻転生させてくれるんだそうだ。
テクネーは個々の享有者のもの、なんで。
へんな寄生虫を生き延びさせる目的の優生学であっても、個々人が自分のこころの信仰に選べる。
ここがミソである。
<信仰の核>は、宿主となる<享有者>の信仰。
操作してる寄生虫のほうじゃない。
そんなsfあったな。
たしかゴアウルドとかいってた学芸会。
優生学に対する心構え(テクネー)の態度、これは。
「悪魔を選ぶか、神を選ぶか」の二択じゃないので、決して間違わんように。
神を選べば、悪魔は必ずついてくるので、これだと一択になる。
悪魔を選んでも、神が必ず付いてくる。
また自分の心を騙すか、相手を騙すか、でもないので。
享有に共有の騙しが入ると、これは疑心暗鬼が起こる。
鬼になる。
疑心暗鬼にされんよう要注意。
悪魔は必ず、個々の人。
その「全体」、なのであって、この世の人。
あの世の霊体ではない。
一部の人格が憑依してやっても、その「個体人全体」。
人は心身一体の存在者だからだ。
肉体的存在者であって、それが精神持ってるだけ。
精神が宿ってんじゃない。
瞳着して一体であって、引き剥がせば死んじまう。
だから悪魔も当然、肉体や精神同様に、「死すべきもの」、なのである。
死刑執行すれば消えちまう。
中性の個人情報に豹変しての輪廻転生、など、しない。
ところで最近の科学は、悪魔的思考言語をおつむに書き込める技術までが出来てるらしい。
読み取りの方も、ほぼ達成しかけているという。
だが、勘違いせんように。
人は心身一体のオルガノン的存在なのである。
身体共有する人格へは、個々の享有者が全責任を負うしかない。
図式魔法陣の成果と、悪魔的人格を混同してはいけない。
だから、「心神喪失で無罪」、という、今の法制度はありえへんよ。
殺しても無罪放免、最近コレ多いが。
人格の一部が殺しました、おいら関係ない?。
乗ってたサイボーグの車がやったこと、おいら関係ない?。
これでは輪廻転生認めてる、優生学認めてることになる。
おいら、病気での心身喪失者の犯罪も、当然有罪だ、と言ってるわけだ。
そもそも犯罪者て、みんな病気なのだから。
一神教の神は、悪魔の導入者のほうなので、人とは事情が違う?。
こっちは不死になる?。
実は神も、人と同様に死ぬのだ。
信仰者達全員が死に絶えたら、共有の神々も、あっさり消える。
ハッチのテリピヌ神話がそれを、教えてくれた。
神は英知そのもの。
なので、構想力の持つ瞳着的な力関係や形容と、不可分では<存在しえない>。
この事実を、古典ギリシャ神学では、「神は超越者である」、といって中性に仕立てて胡麻化してきたのだ。
(時空)超越しちまうと何にもなくなるわけで、あの世のファンタジイにしかならん。 ならんどころか。
不死の神っつうのは、憑依転生する、寄生虫みたいな化け物だ、ということになる。
意思決定機構に寄生する、輪廻転生してあたかも共有種族のように生きる寄生虫誕生させたというわけだ。
一神教の神は、それ固有の時空を持たない図式構想にすぎない。
目的もあいまいで、未来志向のアジェンダ。
生命科学の言うDNAみたいなもんだと考えていい。
構想は示してくれるが、一神教の神は種族ごと淘汰すること、しかやってこなかった。
今は悪魔祓い主の顔して、悪魔作って回ってる。
これが解って来たのは。
悪魔の跳梁や、テクノロジー利用上の横暴というか。
倫理やカテゴリー無視する、彼らの組織の酷い振舞の現状などから、だが。
わけても優生学によるキャンペーンの数々からだ。
そもそも猛烈な優生学キャンペーンのもとに居る現代のオイラたちに、<倫理>も<カテゴリー>も一切見えなくなっている。
倫理は享有者の牢獄にしか見えず。
カテゴリーは命題の規則にしか見えてない。
(じつは純粋悟性概念の図式。)
なので。
昨今のテクノロジーという新事態にも、発明家以外誰も対処できずにいる。
「テクノロジーというこれは科学と同じだ」なんて、哲学博士が言い出す始末で。
これは、実に情けない事態なんである。
優生学を受け入れた連中には、自分の眼先の享有目的しか見ちょらんのである。
それが自然で、じつは、見え見え(自然である)。
悪魔連中には、科学もテクノロジーも、同じものの扱いとなる、というわけだ。
常に優生学で判定してるので、同列になる、らしい。
科学は、理論が先行して再現を伴う。
なので、利便性高いと思うかもしれんが、理論が邪魔して目的物ができんこともある。
テクノロジーは、その出ー来させる<心構え>から逆利用するので、発明が自由に可能なのである。
失敗すりゃ再挑戦できる。
これはエジソンが言ってたな。
永遠に挑戦可能。
テクノロジーは、これも過去に書いた記憶があるが、テクネー・ロジック。
やはり優生学の別門である。
形而上学的な問い立てから始める科学技術的的思惟とは、まったくの別門。
科学とは異なる手法の、図式的<発明品>なのだ。
科学が追及する「再現」品ですらない。
「発明」をやるそれが中心、それが証拠。
悪魔チックな図式を使う虚無主義の、「論理絶対主義」ポイエシス利用の、ポイと絵の仕組みを出ー来させる、新技術なのである。
テクネー利用なのに、優生学の奴隷利用なので、技術となるわけだ。
心を逆に支配し、構えさせる。
メタバシスした図式に従って、目的物を「出ー来」させる。
優生学目的優先なので。
技術であるのは多分変わらんのだが、時空の実際にはテクネーが使われる。
それも古典ギリシャの技術ではなく、ヘラスのテクネーが直に。
心構えとされて優生学に奴隷化されている、というべきか。
設計図は、これも表象され、描かれるのではなく。
心に、奴隷的に構えさせている。
ここでは図式が、直に操作されているのだ。
原料はそれだけ、なのだ。
表象はない、つまり設計図などない場合すらある。
つまり、絶対に技術やそのインスタンスコピーだけではないのである。
むしろ正しいテクネー解釈がモトになってるかのように見える。
なのに、<技術の奴隷>なのである。
優生学で立つからだ。
材料との道具的関係を、瞳着的に多用するから、である。
製造過程に深く関わっている感性にまったく気付かぬまま、知性だけに頼る、というべきか。
瞳着によって、道具も目的物も、優劣無くなる。
だから科学的思惟でもなく。
むしろ絵画造形的だ、とは言えるだろう。
享有認識ではなく、すでに時空がズレている。
心構えができて、それに指示されている。
(これは科学のノートにあたる)。
こうやって、はじめてモノは、発明されるのである。
(ここからまた、メタバースという知的な構想力も一部が反省され、蒸し返されて出てきたようだ。)
しかしメタバースは、メタバシスのことである。
歴史の繰り返しにすぎんのである。
オッカム同様、カテゴリー命題無視し導入た、倫理の見えてない魔法陣使うこと。
その<心構え>も一律に、<技術>と訳した古典ギリシャのアリストテレス理論。
間違いの解釈がモトなのだ。
優生学が先導するので、ロジックの対象全体がおかしくなって、ボケて見えんなってる。
対象認識しようとすると、分母が見えんなってくるのだ。
この見えんなる理屈は、その昔、windowsのAPIのbitbltだと述べた記憶もある。
闇が深く、いっさら事態が世間には見えとらん、わけだ。
科学思考傾向の若干あるおいらにも、ほとんど現代世間の動向は見えちょらん。
もちろん悪魔的傾向も、その持ち合わせは若干ありまっせ。
だから優勢学がわかる、理解できてる、わけだ。
勝ち組に入りて~、かねほし~、ってのも優生学。
悪魔は霊世界のものではなく、現実の人そのものだ。
平然と他人の首切る人こそ、悪魔存在者。
植物体が、地中で根を絡ませて何処かでつながっているように。
この世の出来事は、もともと心身一体であるはず、なのだ。
おいらの感性でつながって認識されてんだから、という理屈。
(感性反省が、享有、共有といった科分離思惟でない、の、わかるやろか。)
優生学がすべてを仕切っているように見えるのは。
共有の希望の光を、よそに、自分ではなく<他人>に見ているためだ。
共有的にも、すべてのものが繋がっているのだろうが。
それは、わからん。
(おいらは超常のテレパシー能力なるものが一切ない。)
科学的思惟はオイラたちの日常に浸透して、それらを隠ぺいしており、わからんことだらけ、が本当に日常にあることだ。
あること、は本来、<享有>という。
享有は日常のことのうちでのみ有効だからだ。
共有の、他者認識は時空が違う。
享有とは一見、無関係なのである。
(コレつなげているのは図式。)
オルガノンを哲学だ、と理解している人は未だ、この共有の繋がりをも感じているわけだろうが。
それを道具に使う悪魔が出てきて。
さらにメタバースの設計企画までなされるようになって。
何もかも隠ぺいされて。
しかも享有が消えてなくなる。
わからんなってしまってる事態となる。
これはぜんぜん誰にも、ヤラレる本人に見えてないわけだ。
オイラにも、完璧には見えてんじゃない。
図式は、うっすらとあぶり出しのように(しかし中性ではなく危険なまま)見えてるだけ。
ただ、この隠ぺい者を引きはがすのは、じつは、<言うのだけ、書くだけは簡単>なのである。
実に簡単。
だから多言弄してる。
いくつかの命題言葉を、誤って使ってる古典ギリシャ語からヘラス語に戻せば、いいだけなんで。
核になる言葉が、「ファンタシア」、「テクネー」、「カテゴリー」、そして「オルガノン」だった。
ほかにもいっぱいあるはずだが、頭脳容量最近いよいよ小さくなってきたオイラが騙ってるのは、この程度の狭い範囲のものだけだ。
心身合一は、ポジ、ネガ<両面ある>オルガノン思惟なので。
これがヘラスの哲学用語であって。
もっと古い時期に生まれた科学的思惟は、ネガ部分を反省できない欠陥商品であると、そう悟ればいだけ。
それらの反省がしかし、科分離認識では「一切できんなる」、のである。
人は、この世の出来事をファンタシアできる。
それは反省も持つからだ。
オイラたちは、個々の享有の存在者、反省できる個人個人なんだが。
英知だけで、心身合一思惟のこれを、瞳着的にやるとなると。
反省が無いのでうすっぺらくなって、メタバシスでつながって、ファンタジーやファンタスマになっちまうからだ。
おとぎ話や幽霊に化けちまう。
ファンタシアという、このヘラス言語は。
中性的に「表象」できる、という(無反省の)誤った意味じゃないので。
いつしかファンタジーやファンタスマにされちまったのが実情。
これらはしかも表象化が起こした、誤った道なんで。
それを辿ってしまうと。
魂の宇宙像に、うすっぺらく形容、力関係化できる、ということになっちまうだけのこと。
つまり形而上学で宇宙の本質を求めたら、エイドス、エネルゲイアになるわけだ。
アリストテレス先生に帰された、超有名な二元命題なのである。
これについては若干(形而上学自体が)イカガワシイし、わからんし誤謬もわかっとるんで、あんまり相手したくないというのが本音。
その<魂の宇宙像>がエイドス、エネルゲイアに収斂するのだが。
明晰判明には描けないのだ。
それどころか、理論を突き詰めればこの形而上学的問いは必ず、破綻していくしかないのだ。
「心理学」、「宇宙論」、「神学」は、<先験的に破綻している非哲学論議である>。
これを(形而上学を)哲学だ、というのは真っ赤な嘘。
辞書にはそう書いてあるが、ウソ八百のコンコンチキ。
というか、この事実(形而上学の先験的誤謬)を見出し公表したのは、心霊現象もお好きなフリーメーソン組織の、カント大先生であるので。
先生の御威光借りて、オイラ言ってるわけだ。
純粋理性批判という、クリチーク・デア・ライネン・フェアヌンフト、っつう人類最高峰の著作で、世に示した。
もちろん世間は理解できず、誤解のまま基礎に踏み固め、麓階建築にした。
(ついでにオイラの優生学的人類最高峰を、あと二つ騙る。)
(タ・メ・タ・タ・フィシカというアリストテレス先生の誤解本と、ザイン・ウント・ツアイトという、ナチスの破綻本。)
(ほんとはオルガノン出すべきだろうけど、ムリ。)
世間は哲学を六階してて理解できない、ので。
イコンは一神教宗教のカルトものだと思われている始末。
禁止の宗派もあるようだ。
そうじゃなく、魂の宇宙絵全体像イコンは、有限な人の有限な感性の本質。
つまりオルガノンの本質なのだ。
カント先生は、純粋悟性概念の図式がカテゴリーであることも見出したほどの人なので、オルガノンには十二分に通じてた。
石工組織はオイラ大嫌いなんだが、哲学上、この組織を利用して世に出たカント先生はオイラの大先生なわけだ。
但し、ポジの積極的な形容は、必ず感性に基づいて出ー来ており。
ネガの力関係も、感性の反省的思惟のことだ。
ここに図式や構想力の世界があるのだが。
科分離思惟なので見えてなくて。
しかも基礎認識が最後に必ず誤る、と、きちょるので。
カント先生も、図式論議は、わざと素通りしてたような経過がある。
なので、正しいファンタシア訳とかテクネー訳とかは、現状では、ないんである。
正しいオルガノンも、オイラの現状能力では明らかにムリだ。
ファンタシアに、イコンと言う言葉を無理に当てはめたが、誤解もされるんで。
その原因は、科分離思惟してしまうためだ、とはわかってきたんだが。
存在に関する神々の力、(シュメール語でメーという)なんぞも、西洋世界にはない概念。
(シュメールは最近、アカホヤ大噴火から逃げた縄文人の一分派だということがハッキリしてきたが。)
(血筋は同じでも、イコール日本人じゃないよ。)
(日本人は侵略・征服者の方。)
科分離思惟では、メー・オンは無である。
無にすぎんなる、わけだ。
テクネーというヘラス語を「技術」だ、と図式風に訳すことで。
これは副産物として絵画を生んだ、そのことが、わかっている。
絵画は、中世のローマ帝国範図のなかで、特にイタリアで生まれた。
ヘラスどころか、古典ギリシャの世界にもロクに絵はないのに。
(戯画とか、漫画に似たものとかはあったが。)
それまで人などは二次元に描くものと言うより、もっぱら三次元造形してた。
現実に似せたものだった。
風景も神殿メタバース設計じゃなく、大衆視点で造形してた。
絵画の素材は、感性のモノなのだが。
なぜか現実に似せてない。
享有者の科学的再現が狙いなので、(つまり図式操作が目論見なので)、心を操るようなメタバシス構想の導入で、絵画になってしまった、というわけ。
悪魔介入で、ずれてしまった。
さらにズレて、抽象化理論にすらなった。
この図式構造を、直に描いて瞳着させて、当初の感性を惹起させ。
コピーして売ってお金にしようと図るのが、「漫画」である。
戯画とかカリカチュアというのは、若干お門違いの、ファンタジーやファンタスマであるようだ。
図式の重要な要素である感性を、直視できてない。
遊びや、あの世のモノ、にしちょるが。
狙いは魔法陣でない、この世の図式。
漫画は、ある種の<心の構造のメタバシス>な表象であるのかもしれんが。
それは魔法陣的発想。
それでは漫画にならんのである。
仮想の現実をこそ描くからだろうが。
だから戯画とかカリカチュア解釈だと、現代風の、ダメな優生学になっちまう。
特にメタバシスでは一切漫画にならんという、この関係図式が面白いんだが。
ここでは、この論議自体を素通りするが、いつかやってみたい。
なんとか図式を直に剥き出したいので、先急ぐ。
科分離メタバシスは簡単なんやが、図式を注視するのは疲れる。
次節に、<図式はプログラムではない>という話をしたい。
特に「人相手のプログラム」なんて、最悪である。
これは「陰謀の事」だからだ。
科分離する対象認識科学は、同じものであるはずの電磁波も光も放射線も。個別に扱うが。
これらはオルガノン的には、人と、おなじものである。
科分離してわかる、周波数の違う振動だ、というわけじゃない。
デジタル認識など、そんなこと、どうでもいい。
プログラムで一意に図式化して、優生学的に扱いたいんだろうが、図式は(神の)プログラムではない。
神は悪魔に関係して登場してても、図式は神とは無縁、ということが言いたい。