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2024年08月13日
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カテゴリ:哲学研究室

 <魔法陣>

 魔法陣というのは、例えば現代に林立する5G用電波鉄塔のことである。
 また、人々を電磁波の媒体に安上がり利用するための予防接種、という、時空ズラせ目的の人体実験のことでもある。
 陰謀論に通じてる人にしかわからん話ししても、普通の人にはわからんと思うので、もっと見える具体過去の話をしたい。
  哲学という、無知の知の話をこそやっていきたい。

 魔方陣には、その英訳であるmagic squareの意味は全くないのである。
 英語のそれでは、魔法陣でなくなる。
 「四角い数学的数字ミステリー」を示す言葉にすぎん。
 そうやって数字の感性遊びを持ち出して、ケムに捲いているのだ。
 ケムトレイルやって、気象改変や花粉症作りの、めくらましキャンペーン。

 これを出してくるのが、そもそも悪魔。
 彼らのやるのは時空のズラし目的なので、そういった意図のものはハナから無視するべきなのだ。
 そう言いながら、逆に世間様にすっかり無視されてるのはオイラの方なんだが。
 これは哲学という領域が、もともと享有のものなので仕方がない。
 (1日の固定最低読者たった2名、しかもこの2名、ロボット臭い。)

 それが何を狙っての陣立てなのか、のほうが重要なんだが。
 知性、知識での、哲学の囲い込み撲滅作業かもしれんのだが。
 目的は見えてない。
 魔法陣を使う連中には、オイラたちに直に見えてない、狙いの<目的>があるのである。

 大衆を騙す詐欺る、という、時空ズラシ目的がある。
 ギミックという言葉の、最近の世間への積極導入流布で、これがはっきりしてきた。

 魔法陣使う、その狙いの目的とは?
 魔法陣は、{隠した目的達成のための、魔法的効果を狙っての<図式陣立て>}なのでもある。
 まさに陰謀論のメインテーマ。
 これが、魔法陣という用語の、正しい解説にあたるのだろう。

 しかもその図式(シェーマ)が、社会にまったく認知されてないので厄介だ。
 構想力だから、誰にも見えないのである。
 陣立てしても見えん。
 magic squareなんて、無関係の遊戯領域に入るのだが。
 こんなん出すしかないのかも。

 隠し事好きな黒塗り大好きな陰謀家たちが、小道具立ててやる大事業アジェンダなのである。
 彼らは、人に見えてない図式(シェーマ)を使っている。
 超賢い連中なので、見えずとも、頭で人工的に考え出す。
 同時にサブリミナル使ったり、サイコパスとかソーシャルパスといった心理学使ったりもするが、そんな問題はほっておいといて。

 とにかく見えてない、人に有効な方程式のような図式(シェーマ)を。
 魔法陣に使う。
 それで逆に、これを利用して社会に対し共有論議認知啓蒙ができると考えた次第。
 図式論は、半世紀以上取り組んできたオイラの専門である。


  <魔法陣と図式>

 シェーマは、感性のもたらす<構想力>のこと。
 思惟構成や反省解体のモトとなる、構想の力。
 なので、自分の感性が自分で見えてる人、反省がある人でないと、わからないはず。

 世の人にわからんそれ(図式)の利用が。
 <魔法陣立て>、ということであるのだ。
 魔法陣建ては人工のモノである。

  magic squareでは、見える数字使う数字遊び利用の(世のシステム魔法)なので。
 まったく別のもの。
 わざと数字のお遊びにしてしまって、見える物見せて胡麻化してると言う事だが、ヒントにはなる。
 わかってわざとやっているので、このギミック(欺瞞)は<悪質なもの>なのだが魔法意図は隠されている。

 言語ズラせて、あえて世に流布して、めくらましやってる。
 数学の数字が選ばれてるのも、確かに悪魔的意図の時空のズラしなのだが。
 陣立ての、本当の目的には。
 個人の享有的感性認識の導きがあり、それ使っての<共有化への誘導>、がある。

 対人攻撃的意味合いもあるのだろう。
 ホンマはカネ儲けか?、そこはわからん。

 一神教教義的に人工化がなされている、意図が示されている、ということ。
 図式は、人に普遍的にある見えてないオルガノン権能のことでもある。
 (優生学的権能など、ないが。)
 完璧な想定プログラム?
 (そないなもん、絶対にありえないが。)

 しかしこれを利用することで、<享有認識の共有化が可能>となるのだ。
 つまり教義知識への、カルト化結集が図れる。
 これが悪魔達のアジェンダ部分で、しかもこれが儲けの入口なのだろう。

 その狙いが巧妙。
 見えちょらん図式を直にではなくて。
 見える人の感性使って、何か(オイラたちに見えん目的)を達成すること。
 選ばれた図式の本来持つ、規則に沿ったようなナニカ。

 そういった欺瞞的実施がなされている、ということ。
 まあ、見えてえへんんもんが言うので、結構いいかげんなんやけど。
 使ってる連中にも、自分の描いた魔法陣立ては見えてても。
 シェーマは直には見えてないはず。

 つまり個々の人々に対し、優生学的共有化への「導き」、が狙いなのだ。
 信仰者を増やす共有化への<魔法を使う事が狙い>。
 (宗教への導きは魔法だ、と、これでわかるだろう。)


 <魔法>

 魔法と言うものは、かくのごとく、はっきりせんのでややこしい。
 魔法と言うのは、享有者に対し、<共有目的誘導で使用される悪魔の道具モノ>。
 ということもわかるはず。

 図式を、直に利用しているわけではないのだ。
 図式は誘導するが共有目的など持たないオルガノンの一部。
 連中にも見えてない。
 だから魔法使いが特殊な職業となる。

 悪魔の相手を、もともと共有とする人々が魔法使い。
 なのに、魔法の狙いは享有、という、時空対象がズらされた不思議さがある。
 <図式は、享有者にしか認知され得ない>ので、どうしてもそうなるようだ。

 何度も言うが、超賢い連中にも多分、図式は見えてない。
 図式は特に、意図を含まない感性なのである。
 享有者がそれに動かされるだけ。

 個々人が<自分に対してしか>認知できないものだ。
 他人の感性では、オイラの享有現実は認知できないように。
 自分だけのポジ・ネガ含んだ感性。

 なので、これを操ろうとする魔法目的は、必ず共有狙いなのだが。
 図式の性格上、その対象は必ず<享有狙いにする>こととなる。
 意図的に、現実と同じくする、こととなる。

 目的時空導入で、そこでねじれさせて。
 時空変節が起きている、ことにしちまう。
 人工の時空をもってきて、据えるわけだ。
 いわば純粋な図式は魔法に使えるが、人工の時空となれば、これは優生学なのだ。

 ここで時空がズラされて、利用されてることが、わかるだろうか。
 「時空」と言うのは人の、それも<享有者の感性のこと>なので。
 オルガノンなので。
 変節させないことには、悪魔にも享有者の共有利用ができないわけだ。

 悪魔の光による享有時空のズレは、現実の享有・共有のネジレを人工的に起こしているわけだ。
 現実のオルガノンにおいては、感性と知性のネジレが、それにあたる。
 これはバーチャリターと呼ばれる。
 人の(享有者の)現実。

 魔法陣というのは、その個々の享有者を狙って、感性を導きズラして。
 悪魔の戦列に組み込むことを目的とする魔法利用図式の陣立て。
 ネジレ起こす、欺瞞をやる、目的の人工物。

 だから普通の人は、こんな厄介な詐欺なんて、やらないのである。
 自分や相手を、直に騙そうとするのみ、のはず。
 直に騙すのは普通の人。
 日本人は自分を騙すのが上手で、外人はその逆らしい。
 手の込んだこれをやる連中は、普通人と違って、超賢い悪魔なのだ。

 普通の人は魔法陣なんか使わない。
 共有社会構成する、個々には享有者だが。
 ギミック(欺瞞)なんてのも、普通は一切必要ない。
 単純に、自分や相手にウソつきゃ、済むことだからだ。

 悪魔がやる人工の時空導入は、それとは違う、っつうこと。
 mRNA(メッセンジャーRNA)は、まさにこういったものの一つだ。
 悪魔が時空ズラしに使う、魔法陣立てなのである。

 コロ*予防接種に入ってたといわれる、はっきりせん代物である。
 コロ*被爆では死んでる人少ないが、予防接種では大勢の人が殺された。
 今後、オイラも含め死ぬ予定。
 (オイラはコロ*ではなく、一つ前の、高齢者向けサーズ予防でやられた。)

 この悪魔がズラす時空というのが、もともと共有のものではなく。
 <享有者の感性>だ、というあたりから、もう一度詳しくレクチャーして、ここらへんからホントの泥沼に入っていきたい。

 
 <時空は、=享有者の感性認識(形式)>

 オイラたちには、「時間・空間は数学的認識だ」という、へんな思い込み(優生学的図式誘導)が持たされてて、カルト化してしまっている。
 予防や防疫は世のため人のため、という世間常識がおかしいのと同様。
 やってんのが731部隊にいた悪魔だという認識が世間にない、それと同じ。

 時間・空間をも数学で扱ってるのは、それは確かなんだが。
 その認識は、数学的<命題認識>つまり無意味な物ではなくて。
 人の日常を、感性の仕組みで導く<図式認識>なのである。

 命題だと、たとえば数学と言う学問上においてのみ意味を持つはずだが。
 ズラされて日常にズレこんで、現実化されて、その日常が変えられてしまっている。
 時空は現実のモノだが。
 数学などよりもっとありふれた、日常の感性レベルのモノなのだ。
 命題にはその時空が使われる。

 しかもオイラの、享有日常の認識なのだから。
 これはオイラ個人に属する。
 正しくは、<オイラだけの感性に属する><オルガノン>が使われる。

 つまり時間・空間は、反省的思惟に属する(ネガチブである)ある種の命題なのだ。
 またオイラたちは、数学で割り切れないなんかがある、とも日頃感じているようだが。 数学利用で日常割り切ろうってんだから、どだいが無理な相談してるわけ。

 数学が、諸認識の基礎に、有用さを狙って人工存在している。
 それは確か。
 <命題における時空的においてのみ、存在する>のである。

 中性的に変容するかのようでもあるのだが、そのときはカテゴリーがある。
 独断論で騙られるオルガノンみたいに、生命に普遍的にある規則志向の適用がなされてる、んじゃない。
 特定の時空命題に、しかもカテゴリーを伴って命題化される。
 (ここでカテゴリーを範疇などと考えたら、ワヤになりまっせ。)
 カテゴリーは純粋悟性概念の、図式で、みえん牢獄。
 その図式は享有者の感性でできている。
 
 数学というこれは、人によって創り出された<共有の人工物の証拠>なのだ。
 宇宙の真理なんかじゃない。
 オルガノンには、決してならないが、mRNAにはなるかも。
 これは人工の構想物なので、ウイルスと違い、実在する。

 別の証拠にも、<純粋数学などはこの世にありえない>、つう問題がある。
 純粋数学を探している研究者も多いようだが、無条件にはありえまへん。
 必ず<特定の時空命題定義上において>の、数学となる。

 数学っつううのはそういうもんだ。
 つまり純粋にはならん。
 経験に先立つ者や超越者にはならない。

 数学が宇宙の普遍的真理なんだと、そう思い込んでしまうと。
 それがそのまま形而上学カルトとなるのだ。
 これは先験的誤謬に拠ってしまうので、必然的に自己破綻する。
 そもそも享有的反省がなければ、数学認識なんて、生じることすらもないのだが。
 純粋なんてのは享有的反省忘れようって魂胆なんで、欺瞞が生じる。

 つまり個々人が自分で、自分の思惟している対象と、その対象を思惟している自分を見返して。
 起こっている出来事を反省し理解しなければ、<認識>には、ならないので。
 そうなると図式もできんわけで。
 図式が神の側にないことの理屈、わかりまっか?

 数学を形而上学の基礎に置いたら破綻するなんて、普通には気が付かない。
 問いと回答だけでは、点取り虫がでてくるだけだからだ。
 しかも破綻するのは、真剣に猛反省できる人に限る。

 真剣に<はんせいする>時間・空間は、その対象にも自分の<心構え>にも、絡む。
 テクネーに絡む。
 オルガノンはポシ・ネガ両面を持つ共通項のナニカではあるのだが。
 それ自体は、客観視できる出来事でもなければファクターでもないことがわかるはず。
 真理の「要因」や「要素」、などではない。
 生命は、その本質物質を特定できない理由がここにある。

 図式の持つ時間・空間は、そもそもモノ自体ではないからだ。
 これは人の、<直観の形式>にすぎん。
 (これを見出したのもカント先生だった。)

 数学はこれを単に<表象>して、中性にして。
 次元だとみなして、論議の基礎に感受できるように置いた仮想の(時空)もの。
 みなして仮置きして、量や質といったカテゴリーで優生判断する。
 優生学で判断するんじゃない。
 カテゴリーで判断する。

 つまり(時間・空間を)空想想定して、数学の基礎に、その共有数学のファクターに据えている、わけだが、時空が先。
 メタバシスやれば違ってくるが。
 但しそれやっても、量や質のカテゴリーから享有者が自由になる、というわけではない。
 カテゴリーの束縛は、メタバシスやって、すべてを中性にしても止まない。
 それどころか数学は、享有者に直接手出しできないことがわかるはずなのである。

 方程式という、メタバシス化したある種の図式表象を使って、間接的に手出しできるようには、確かにできる。
 これはオッカムが可能にした画期的な悪魔的発明品で、図式の働きを隠したこれ自体をメタバシスと呼ぶ。
 つまりメタバシスで、質とか量のカテゴリーを取り去らねば、自由にはならんのだが。
 哲学での事情は、これら数学の事情とは、まったく違ってくる。

 そもそも哲学では<享有の、個人的現実をのみ扱う>。
 享有でないもの現実でないものは、哲学の対象とは、もともとならないのだ。
 だから(共有の)中性知識などとは、哲学では一切無関係となるのだ。
 数学では可能のように。一見見えるだけ。
 (つまり共有の中性知識は、哲学とは無縁となる。)

 むしろ(享有の場合には)<無知>と哲学は直に関係する、というわけだ。
 この理屈は、無知の知を説明できるだろう。
 時間・空間は、その<享有の無知が居座れるような、形式>となる。
 図式、ともなる。
 (無知の知の、形式と図式の、紙一重の様子がわかるだろうか?)

 これ(時間・空間)が、享有する個々人の直観の形式。
 なので。
 共有の知識などとは距離があると言うか、見えない図式を介して、まったくの別物となってるわけだ。

 これは、享有者が自分の無知を反省すること(哲学がそこに始まる)から生じてくる当然の帰結なのだが。
 当然、<直観の形式>をも、さらに自ら問おうとするに至るのは必然だろう。
 これが時間・空間とは何かという、形而上学的問いとなる、ということ。

 哲学だと過去に誤解されてた形而上学的問いだが。
 基礎に図式の指示があるのであって、無知の知は、ここにはない。

 信仰というモトがないので。
 おいらなんかの見習い哲学徒のやる問いは、形而上学ではない。
 だからオイラは、この哲学の問いを、うふぉへの問い、と表現してきた。
 答えは出ないし、数学みたいな方程式図式様態にすらも、なりえない。
 共有図式に指示されてない(信仰がない)からだ。

 哲学の問いは、およそ正確にも、なりえないものだ。
 そのかわり<厳密>となるんだと、これはナチスのハイデガー先生に教わった。
 的確に人間を立てて射貫ける的に、シュトレンゲになるんだと。

 これを享有者の信仰に求めて。
 心理学、宇宙論、神学としたのが、本物の形而上学なんだが。
 これが哲学でなくて知識探求の<先験的誤謬>であることは、これもカント先生が純粋理性批判で明快に示していたんやが。
 しかし当のカント学者が一神教徒ばかりなのでは、みんなして形而上学に落ち込むばかり。
 (ギミックと紙一重の、うふぉ、にならずに、ウソに堕ちた。)

 時間空間はそもそも、<モノ自体ではない>。
 人の直観の形式を示す<エトヴァス>にすぎない。


 <エトヴァスは見えん>

 カント先生の言葉の、一つ覚えが、つい出てくる。
 ホンマ、これぐらいしか知らんのやが。

 マン カン ザーゲン(人は言える) デア ゲーゲン シュタント(彼方に立つ=対象について)、アイネ ブロッセン(単なる) トランツエンデンタールイデー ザイ エトヴァス(先験的理念にすぎんと)。

 つまり哲学の対象となる時空は、先験的な形式を示す享有感性のモノなので、手がかりがいつも目の前に転がっている。
 なのに、この先験的形式の原則を示すこと(オルガノンではなく、オルガノンの意図を読むこと、図式を読み取る事)は、容易ではないというか、不可能に見えるのだ。
 それは神の意図を読む行為となるからだ。

 それの主たる理由は、オイラたちが科分離認識つまり科学に馴染んで、神々を冒涜してしまっているということに、おもな原因があると思う。
 (神は単数にはなりえまへん。)
 それも過度に馴染んでしまっている。

 科学的思惟に馴染むということは、一神教信仰教義に馴染みカルト化すると言う事で。 感性の正しい適用がなされるオルガノンを見失って、現実が見えなくなっている。
 そのためだとは、わかってきた。

 オルガノン界隈は、言語命題や、カテゴリーや、倫理といった個々の用語すらがいいかげんだ。
 まったく整理もされていないのである。
 それを(優生学的にアホな)オイラが哲学史を通して、見て来た、つもりだ。
 歴史記述してきたつもり。
 人工に陣立てすれば、みえてえへん図式ですら見えてるように感じる。

 優生学=科学的思惟=一神教的信仰=形而上学的誤謬、ほぼイコールで並ぶと、いまさらながらオイラ思う次第。
 科学は技術であり、思惟としてはまったくの科分離で死んでる。
 これは<死霊再現技術>。

 世の人は、現実と言うことがなんであるかの手がかりすら、理解していない。
 日常の図式が、ふんだんにあるのに、気にしない。
 それは<無知の知>を見出した哲学徒ですら、同様なんである。

 プラトン先生は、なぜ自分がイデアに囚われるのか、真善美にとらわれるのかもわからなかったし。
 アリストテレス先生も、自分が命題に囚われてしまう理由までは、わからなかった?。
 たぶん、そのためにオルガノン講義したのである。
 講義はしたし、親しくレクチャーもしただろうが、書いてはおらん。
 哲学徒の末席に座るおいらは当然、何もかも皆目わからんのだが。
 この現実への問いに、回答を与えるために、諸宗教の教義がある。
 それは確かなんだが。

 カルトに組みして同時に哲学なんてのは、欺瞞以外のもんではありえへんのである。
 (ギミックの出てくる意味に注目。)
 組織を利用して稼ぐ哲学者は多いが、その哲学は必ず<享有>となる。
 哲学者の数だけ哲学ができる、のが普通。
 組織と哲学はもとより無関係。

 それら享有が<知性>に瞳着してしまい、感性のカの字も理解できないへんな一神教教義に支配されて、カルトと化して。
 さらに世から消されようとしてるのだ。

 オルガノンの抹殺。
 それらは、哲学史という(もはや全貌も見えない売れん大著となったが)多言を弄して、見て来たとおりである。

 オイラたちは、自分の感性の正しい適用がなんなのか、これは哲学も含め、まったく理解の範疇には出来てない。
 (範疇の意味は、そういう悪魔の人工物だということ。)
 (オルガノンのカテゴリーではないのだ。)

 (感性も感性と言う中性のモノとして見えてんじゃなくて図式でもなくオルガノンなんだが、それがきれいに見えてないつうこと。)
 その証拠に、自分の進退(身体)すら、オイラたちは自分で自由にはできないじゃんか。
 オルガノン認識が正しくないので病気にすらなっちまう、ではないか。

 宗教は、この疑問だらけの病人に、回答を教義で固め、人工図式にして与えてくれる。
 だが、その回答で先験的形式の原則を示すことができているのか、つうと。
 現実をいじりにかかって、悪魔まで使って、ギミックやって霊感商法の始末だ。
 そのため現実は、バーチャルにねじれてしまっているばかりなのだ。

 ここにある、<享有こそ現実>つうこと。
 これを見出し反省し、世にディアレクチークしてくれたのが、ドゥンス・スコトゥスという英国出の大先生。

 スコラ学(スコラ哲学ではないので要注意)の、つまり学校の先生だが。
 <人の感性・知性のバーチャリターな様>=現実、は、現代においては科学に悪用されるばかりである。
 (もっぱらズラした仮想現実のほうが利用されるのだ。)
 この先生も、悪魔に囲まれて大変な一生だったようだ。

 科学技術が、詐欺をやる事すら公然と認めて。
 自分の基礎に、古典ギリシャというヘラスものでない偽物を居座らせている。
 ギミックを流布させている。
 そのため、欺瞞が世にはびこることになるのだ。

 これが最近の、オイラのおおよその意見。
 偽の理解や知識が科学的知見にも入り込んでいる。
 現実の時空をずらし、悪魔的に利用されている。
 端的に言って、科学界では、<いまだに優勢学が世を支配している>のである。
 これは事実。

 優生学は、科学を手放そうとしない。
 というか、優生学は科学と一心同体ではないんか?

 だから世は破滅へと向かって、そのポシティブのみの方向にズルズル、コックリサン効果で動いている。
 反省すれば、それがみえるはずだ。
 おかしいやろ、となるはずなんだが。
 ネガチブさが、ヤバい部分が、世間の指導者層の誰の目にも、ぜんぜん見えていないのだ。
 実はオイラにもきれいに見えているわけではない。

 オイラ一人で、世の中の事ぜんぶみえる、っつうメシアは確かに大勢いる。
 だが。
 そいつらはみんな詐欺師にすぎんことがわかるだけ。

 人は有限だし、全部見えるはずなんか絶対にないんである。
 図式論なんかは特に、半世紀以上やったけど、未だに、一切見えとらん。
 (なので、優生学=?図式論、つう疑問も一抹あるのだ。)
 (システムの図式論は、これは明快に悪魔図式論である。)

 悪魔は時空をずらす。
 エトヴァスを人工のものに欺瞞化して見るためだ。


  <時空>

 時空というのが、享有者の感性そのものである。
 実に単純なこのことすら、きれいにみえちよらん事なのだ。
 仮にその時空が共有時空であっても、そこにはまず、享有のオイラの感性が認識しているはず。

 共有は、その人工光で認識を立てる。
 認識と言うことの形式を、無知なオイラから切り離して、別に立てちょるのだが。
 この、共有になる前の心身一体が、オルガノン領域なんだが。
 図式は感性の形式となって、享有も共有をも操る。

 切り離せない、と思うのはまさに客観視できん、ということで。
 それが現実だ。
 <オイラから切り離せないオイラの現実の、その形式が、図式なんである>。

 図式論議は弁証法同様、跡付けの弁証論にしかならんものだ。
 実際に相手にしてる対象は時空であって、図式じゃないし。
 科分離して死霊にはできんはずの、プログラムにはありえへん、図式。
 それを切り離して人工にして解ろう、っつうんだから、どだい無理な相談。

 心身一体の指標たるものが、時空一体の人工のアルゴリズムではなく。
 個別のプログラムと化して図式立てられ、優生学に操られているのが日常の現実。
 更に、信仰がもたらす先験的誤謬が、今も人々を導いてしまっている、という問題もある。
 オルガノンの図式を操作できんので、操作のため優生学ができた、といってもいいほど。

 一神教を撲滅し、アリストテス先生のオルガノンが正しく刊行されれば済むことだが、それはもう望めやしない。
 おいらも。古典ギリシャ語で躓(つまず)いて、1年コケてもヘラス語まったく読めんまま終わったし。
 時空のなんたるかも、わからんまま、そのうち終わる。

 世は一神教徒の支配する、稼ぎ中心の世の中。
 おいらたち多神教徒も、その一神教教理の悪影響をモロに受けてしまっているのだ。
 <自然>という副詞の、名詞寄りの変節で、すでにわかるはず。
 オイラたちの認識は優生学に包囲支配され、隠れ無くあること(自然)も、高みの見物すら、できなくなっちまってる。

 八方塞がりで、この時空に希望はないか、というと。
 未だ生き続けてることが希望なんじゃよ。

 人間と言う種族は未だ、息しちょる。
 進退できる身体があり、時空がある。
 これは生命の、オルガノンの特徴だ
 死ねば、すべてを大地に返すだけなんで、優生学とも哲学とも一切無縁となるじゃろ。

 享有者が自分の無知を知ることも、生きているからこそ可能なこと。
 ポシティブなメー・オンが無を意味するようには、ネガチブなオルガ・ノンは、生命の死を意味しない。
 むしろ<生命の・法則>、という独断論的意味が、享有側に身体を通じてもたらされている。

 はっきりと言うべき。
 「生命の・法則」というこれは<独断論>だが。
 ただしオクケンじゃない。
 人々が生きている限り、これは<自分の無知を自分で確認して探求>できることを意味するからだ。


 老人性愚痴はそのくらいにしといて<時空>に戻りたい。

 <時空>つまり時間・空間は、享有する個々人の、<直観の形式>である。
 次元などという数学命題じゃおまへん。
 これらはカント先生のご意見で、オイラだけの意見じゃない。

 ここに、死した神や転生する寄生虫の形式を据えるんではなく。
 科学的分離志向思惟は一時ぜんぶ忘れて。
 生きたオルガノンの<生命の法則>を(独断論的にであっても)見つけて据えるべきなのだ。
 カテゴリーがそれを支持している。

 しかしすでに、優生学が取り仕切ってあるので、邪魔される。
 これが(すでにできてる)共有認識の現実。
 誤りが、まるで弁証法の言い訳のように居座ってしまっている。
 これを完璧に取り去らねば、生きたオルガノンなんて、見えようがない。

 生命体は、いくらでも身の回りにいるが、そしてジャイナも、生きとし生けるものを尊べと教えるが。
 切り殺して実験材料にするのが科学。

 殺したんじゃ話にならんのだが。
 切り殺して命の糧にするのが人間の本性というもの。
 オイラたちが深入りしすぎている切り殺しの技は、語源・ローマ発祥でスキエンチア、今、英語でサイエンスという。

 (科学と言うのは切り殺し優生学術の事。)
 魔法陣建てで隠されて、米ではテクノロジーに、まるっきし別物になっちまった。
 優生学は、一神教特有の(つまり選ばれし者達の)教義。
 生きた宗教概念である。
 かれらの教義の一部なので、じつに厄介なカルト(宗教教義)となっている。

 オルガノンの法則とは無縁な、その宗教教義や概念部分を見出し、それを捨てるべきなのであるが。
 じつは、もともとが共有で一体の、<一神教宗教>。

 享有の感性を図式操作する目的でもたらされた、他者を示す光が図示するのだ。
 光が表に出るので、ネガチブな図式権能は隠れて見えない。
 彼らには、直感の形式たるオルガノン理念など持てない、その、ちゃんとした持てん理由もあるのである。

 彼らはそもそも、<享有を対象化認識できない>。
 割り切れんその理由は、彼らが共有カルトだからだ。
 ネガチブな享有部分は見えてない。

 未知のものを、未知のものとして、科学分類、理解できようがない。
 うふぉ、がやれない、つまりネガチブを持ちようがない心身一体の、偽オルガノンの持主だからだ。
 しかし優生学すでにもっちょる。
 聖アウグスチヌスという、偉大な享有哲学者が創り上げた、万事に優生学主張しない、へりくだるカトリックですら、そうなのだ。

 一意に信仰で固めてしまうカルトなので。
 直感の形式たるオルガノン理念は彼らにとって、もともとのカルト教義の一部にすぎない。
 つまり彼らはオルガノンの誤謬に取りつかれているわけだが。
 形而上学的な先験的誤謬という殿堂から、彼らには、その誤りの殿堂から出る方法がないのだ。
 時空は彼らに取って、信仰の内なる他者の光でしかない。








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最終更新日  2024年08月13日 09時55分20秒
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