(空想)
空想と言うのは「絵空事」の事。
個々人の現実には無意味な、うそ事。
つまりは、<客観的に騙れる物事>。
衝撃のこの事実を、オイラこれまで知らんかった。
客観的に語る、という真実があるんだと思ってた。
客観には目的があるから実体があるんだろうと。
何かに託してウソを騙る、という目的があって、客に託され観るのである。
それが客観。
構想力の戯れに任せて・・・云々のウソを言って、「空に想いの絵を描くこと」が客観的な物事である。
(客観を騙るには、必ずこの「空想」が必要なのだ。)
(これに対して主観には時空の「現実」が必要となってくる。)
ここは世の一般常識と異なってくる部分なので、極めて要注意。
客観には必ず、この<空想が必要とされる>ことを、認識すべきなのである。
空想だからダメだと言ってんじゃない。
そういう独特のオルガノンがあるんだと。
(主観の「あり」から、この客観は語りだすことができないので、わかりづらいのだ。)
客観認識では、必ず「空想に仮託する」必要がある。
物理時間を考えるには絶対時間という周波数を決めにゃならん。
決めたものは現実にあるように見えて、実は空想だ。
空想を導くのはネガチブ部分の図式なので、普通は「この事実が」見えてないのである。
主観、客観そろってないとオルガノン的認識ではないのだが。
どちらかに偏重して認識しようとすると、ウソや不在が出て来るのだ。
科学では特に殺して要素に分離させるので、生きている生物学も死霊学なんだが。
帰納的な論理を主に使うので、言い訳は簡単だ。
優生学認めて、それに仮託すればいいわけで。
思いもよらんもんが出て来た気分だ。
空想の客観的事象というのは、まさに。
虚無主義に囚われた共有専門家が言う、「現実は存在しない」などといった意味のないウソのこと、なのである。
ほんまは、共有社会なるものが「存在しない」。
それは仮託された空想だからだ。
つまり共同幻想である(これは吉本隆明が述べてた)。
しかし享有の自分を少しでも振り返れば、そこに「あり」が、ありてある。
この「あり」、は<享有のみで、ある>のである。
客観の共有には、ない。
空想とーありてある、と、このバランスを取りながら人は生きてるのだ。
両方そろってないと、オルガノンではない。
つまり「現実は存在しない」などと言ってる人がいるが。
彼は、「私には自己反省能力がありません、欠けてます」、と言ってるだけなんである。
「有」は、共有にはネガチブに働き、享有に対してのみポシティブに働く。
図式の力は見えてないのだからだ。
「客」は、共有にポシティブに働き、享有に対してはネガチブのみに働く。
つまり享有に客されている、「見えてない部分」もあるのだ。
(享有が「アリ」をポシティブに捉え、共有では「有り」はネガチブに、つまり「無い」ということになるんだが、その見えてない逆転部分もある、っつうこと)
この命題は何度も出てきたが。
オルガノンの規則の一部なんだろう。
(これを形成しているのは「見えてない図式」であって、空想に客観的に描かれた設計図なんぞではないので注意されたい。)
時空に、ちゃんと描かれた構想ではあるのだ。
そのまねしにすぎん「表象は、関係ない」。
現代社会は、その「見えてない図式」を無視する。
そのために、空想の科学的事象や修辞学を、その社会と言う「基礎に据えて」利用する。
見えない図式の代わりに、人工の基礎を置いて、客観だとしてしまう。
共同の幻想的パラダイムは、危うく出来上がっているわけだ。
(享有の)時空の方も、(ありてある)ものなのであるが。
ダメな科学が、それを危うい死んだ時空にし、想定や予定で導いてますますダメにし。 カルト宗教が身内に採り込んで、荘園につくりあげてしまっている。
ユートピアなる空想社会が目の前に「表象」されて、ぶら下げられ。
溢れる多様性を見せずに、天上のカルト教義にばかり、衆人は導かれているわけだ。
それにみんな気が付いてない。
これに気がついた近代の人も何人もいたわけだろうが。
無視された。
カルトというのは、本来、空想とは異なる「実体のあるもの」であるはず。
堅固な世界のものなのだ。
だが。
共有社会のカルト化導入と、虚無主義論理学の支配が進んだその結果。
「現実」というカテゴリーが、聖職者オッカムによって取っ払われてしまい。
これが同じ人工の悪魔領域時空となり替わりかけているというか、なりかわっているのだ。
共有のみの社会に生きる、今日の「カルト人間」たち。
彼らには「有の実体が全く見えてない」のである。
実体が「カルト」に成り代わっているんだから、共同幻想があるのみなのだ。
失われた時や場を求めて、虚偽の人工のオルガノンを立て、彼らは無辜の羊の殺戮を重ねる。
幼いころからの繰り返す教育が、そういった共同体の環境を作ったのである。
「絵空事をやってるように見えて、実はみんな、見えない魔法で操られてんだ。」
というのが陰謀論だが。
どうやら、都市伝説や陰謀論は、その「ことごとくが事実」となってきた。
オイラが陰謀論者になった、んではなくて。
世間が客観的に「ウソ事導入で、そればかりとなって」、そう言える、「ウソが真実だといえる事態」となってきている、ということ。
この節でわかってきたことは。
(客観的、というのは、<ウソ事で、空想して仮に観て言えば>、っつうことだよ。)
(あんた、それちゃんと理解してるか?)
(「客観は絶対の真実だ」、と思ってやしないか?)
脱線に見えるかもしれんが、やぶにらみに、そういった過去の陰謀論的事態を、このさいもっと多く列挙していきたい。
(優生学の凋落)、(心理学の妄想)、(医療の幻想)、(宇宙の破壊)について、予備的に十分騙り散らし倒してから。
そののちに(想像)を語りたい。
修辞学やってんじゃなく、オルガノン、哲学やってるつもりなんで、間違わぬように。
(優生学の凋落)
これは現代では、金満銀行家の「虚無主義的破滅」を意味する。
グローバル社会による世界統一政府という彼らの陰謀を、その破滅が破壊しつつあるのだ。
同時に、「哲学は共有する知恵の学であるというウソ」も、自然と、あばかれつつあるのである。
哲学とは、<自分の無知を自分で知る、認識し知識を破壊する事>。
哲学教授の肩書を持った偽物が、未だに世間で大きな顔で大勢いて、オカネもらって哲学を「共有の知恵に」したがっているのは事実なんだが。
しかし虚無的崩壊はしのびよって、事態を破壊しつつある。
環境工学の黄昏が、すでに来ているのだ。
点取り虫中心の、知識偏重で誤った学問の黄昏も、同時に進行中なのである。
これは地球規模の氷河期の到来で、いずれ表に出るだろう。
地球温暖化という儲け話、陰謀の数々をワヤにし。
賢い半機械人間の地上での優位性を、すでに揺るがせてしまっている。
サイボーグ009は全員死ね、(石ノ森章太郎!)というわけだ。
進化論が、「詐欺的な学問だ」と言われ始めて久しいが。
人の「進化」なる事柄についての「研究」自体も、ずいぶんと怪しいのである。
今や、地上で権力持ってるのは(ウソの)宇宙人なる、へんな存在。
オカルトが主流だ、ってえこと。
人はもはや、アリみたいな、それも実に惨めな宿借り存在になっちまった。
そのため今度は、人の精神性を宇宙人と同等にしたくて、未来の機械に頼り。
機械化できなくて(コロコロ死んじまうんで)、焦ってるようだ。
逆かもしれんという、意図的な人工削減が行われているという説もある。
地上に宇宙人など、どこにもおらんよ。
証拠もないし痕跡もない。
あるのは宗教家による「人の陰謀物語」ばかり。
絵空事が多すぎる、のだ。
火星の衛星や地球の月は、ブツが中空なので、宇宙船かもしれんのだががね。
もしかしたら遠い遠い過去の文化の痕跡が、孤立して残されてるだけかも、だが。
生き残り機械人間くらいは、未だ、いるのかもしれん。
日本なんてその意味で、「超怪しいんだ」、とよ。
この日本の過去が最近暴かれてきてる。
面白いので、ちょい、超古代史へ脱線する。
(脱線・超古代史)
列島は文明の中心地からは遠い「へき地だ」と、されてきたが。
発掘技術の進歩で縄文文化が多く見えて来るにしたがって、欧米の文化人類学者の意見なども、すっかり変わって来た。
ちなみに、この文化人類学というのも「形而上学の一種」だろう。
列島が、世界の人々へ文化を伝え続けて来た諸文化発祥の地だ、というのがわかってきたので、常識が覆った。
だから面白いのだ。
僻地ではなくて、列島は過去の文化の発祥の中心地だった、というわけだ。
但しその文化は、優生学的な今の西欧文化とは、まったくの異質なものだった。
「文明」というのは、前にも述べたがダメな言葉なので、使いたくないが。
文明とはなりえない、独特のローカルさ、をもつし。
「文字がなかった」なんてのが、点取り虫学者の言う、ウソ八百空想の総代表である。
くかみ文字から、あひるくさもじ、カタカムナに豊国文字など、さらにロンゴロンゴやハッチの絵文字に似たようなやつから、カロシテイ文字、オガム文字にルーン神聖文字やシュメール文字まで、無数に神社中心に残されてある。
なのに、列島には文字がなかったという、あほの一つ覚えを教科書は言う。
「稲作を中国から取り入れた」、なんてのも、今やダメ意見となったし。
鉄器も、縄文鉄が各地でいっぱい出土している。
今のところ鍛鉄中心と言ってるが、製鐵跡もあったはず。
砂鉄からのタタラ製鉄は大勢の人が声上げてきたが、無視され続けている。
ハッチのそれよりずっと大規模で、更に超古い物が出て来たりするのに無視だった。
しかし縄文人が日常的にコメ食ってたのも、縄文水田跡調査の「科学知識」で痕跡出て来てバレてきたし。
定住してた事実もある。
クリの木の品種改良してたのも、とうにバレてる。
現代日本人はしかも、「縄文人ではない」、のだ。
3-8世紀ごろ大陸から渡ってやってきた征服者諸王朝の末裔、がオイラたちなのである。
つまりオイラたちは「強盗や海賊のお仲間」なのである。
何故か、オイラたちは辺鄙な島へとやってきた。
文明の中心地を目指したのだろう、などと言われているが、文明はなかった。
超高度の鉄剣文化は弥生時代早期にあったが、鉄剣以外は見えてなかったはずだ。
但し日本人は、その血に古い縄文時代の男系遺伝子を多く(約2割と言われる)持っているのである。
つまり縄文時代文化も、その一部に過ぎんのだが受け継いでいるのだ。
なので。
強盗に入って征服し、古い文化を根絶やしにした、んじゃなくて。
郷に入って略奪はしただろうが、最後は郷に従った、ことがわかっている。
先に倭人が大規模に侵入し(これは帰還しただけとも一応採れる)。
あとからごく少数の日本人がやってきて、かぶさった、背乗りしたのだが。
倭人も日本人も現地の縄文人の男を皆殺しにはせず、ともに列島に同化された。
「権力」と「城壁」と「王」がそろっていないと、現代の文化人類学では高度文明とは、みなさない。
「戦争」や「優生学の痕跡」がないとイカン、というわけだ。
だから小アジアでギョペクリ・テペみたいなもんが出て来ても、説明のしようがない。 丘を掘ったら万年単位の古い高度な建造物がいっぱい出て来て、困っているのだ。
権力と城壁と王なんて、そないなもん、列島の過去にも、この三つとも、何もなかったのだ。
それどころか何万年もの間、ここで繁栄したことが、膨大な貝塚後でわかっているのに。
戦争の形跡すらない。
列島の、言語のモトが辿れないのは、当然のことなのであると、オイラもわかった。
日本語というこれは、「ウラル・アルタイ語の文法と南太平洋諸語の単語と、バーラタの特定種族の慣習やシュメール語の文化で出来ている」んでは、ないのだ。
基層にシュメール語を持ってるとしてた、オイラの過去の認識誤り。
訂正したい。
現代にみつかる、あるいは過去の各地域にいた、オイラたちと同じ遺伝子を持つ彼らのほうが、逆に列島由来の古い植民者の、些細な一部なのである。
縄文は1万6千年の昔、シュメールは8千年が最古の昔、どっちが古い?
列島で、ウラル地方の文法とアルタイ地方の文法が重なったんではなく。
まるっきり、逆だったんである。
日本語からウラル文法とアルタイの文法に分かれていったのだ。
日本語は、言語学者が全否定する「ウラル・アルタイ語」の諸文法で出来ている。
これは言語学者がいくら否定しても、消しようがない事実。
さらに南太平洋諸語の単語でも、できている。
それらが列島へと集まったんではない。
アカホヤの破滅的大噴火でコロコロ人が死ぬので、太古にみんな列島から逃げ出しただけなのだ。
列島も、当時は、今のように小さな島々ではなかったようだ。
海の低かった過去には巨大な大平原をも持ち、大内海を取り巻く巨大な島々の巨大円弧だったという説もある。
巨大な海洋を中心に、いろんな雑多な種族や諸民族が、まるで一部族であるかのように協調して、黒曜石や、翡翠や、宝貝、土器土偶などの焼きものも共通して持ち、いきてた。
弥生時代のような、白い粗末な服着てたんじゃない。
派手でカラフルな、様々な衣装着て。
装飾品も贅沢に付け倒して。
長いものにまかれ、「和を尊しとなして」暮らしてた。
ちなみにこれを<日本病>と言う。
だが。
まかれるべきものが見えず、和を知らない異教徒の新参者が、それを言うのである。
縄文集落には獣除けの囲い程度しかなく、堅固な城壁が作られた形跡がない。
武器庫にも、対人殺傷用の武器などなかった、そのことなどがわかってきた。
共有する地域の中心地には先祖の墓を置き、その周辺には巨大な集会所や作業場らしきものがあったが。
それは縄文鉄を作るための、巨大な共同作業場なのである。
王はもちろん、いない。
天皇が君臨してた、なんてのは弥生時代以降作のウソ八百である。
奴隷も兵士も、ただの一人もいないからだ。
政治家もシャーマンもいない。
そもそも世襲の専門家などは、いなかっただろう。
みんなが何でも屋。
高床式の立派な建物には(新米の)食料が蓄えられて供えられ。
人は皆、「古米」と雑穀と新鮮な魚を食ってた。
ここが大事。
飢饉に備えて、新米には手を付けていなかった。
古米しか食ってなかったのである。
新米は神棚に備えて貯蔵し、翌年用。
そんな社会では、優生学など誰も言い出さなかった。
ある時期に天候の激変が起き。
古米も新米も消え。
日本人のモトとなった、一度大陸に逃れた食い詰め連中が大陸を追われ、再度列島へ侵略して来るまでは。
(心理学の妄想)
日本病と言われる「特殊な心理」を見出したのは誰かは知らない。
たぶんGHQの回し者だろう。
オイラたちは敗戦奴隷だ、ということを忘れちゃいけない。
伝承に学び数万年を列島で平和に生き延びてた人々は、米人のような支配心理学など必要としなかった。
GHQは、日本人を立ち上がれなくするために、この心理学を駆使した。
日本病への予防接種知識だ、とウソ八百言って。
道徳を破壊し、ありもせん共有倫理を押し付けた。
(倫理なんて享有もんだから、共有的には「絵空事」になるんだよ。)
心理学は、その別名を形而上学と呼ぶ。
これは先験的に破綻している学問であって、「宇宙論」・「神学」と一体で同じものである。
パラダイム一体形成を必要とする。
カルト思想(一神教宗教教義)だ。
一神教徒たちの学問なのだ。
知識集積、データーベース的アジェンダ知識なので、哲学とは無関係となる。
修辞学が、それを生み出し。
社会で論議されるべきオルガノンの理ととして、社会を成り立たせ、人間関係を築き、個々人の思いを伝えるものとしても「空想された」ものである。
オイラはこれを「妄想だ、空想だ」、と、ハッキリ言うべきだと思う。
黄泉の国へと、なき女を忍んで探し求める類の妄想が作った、神話由来の学問なのである。
心理学は、哲学とちがって実務に役立つ。
知識使って他者洗脳扇動すればカネになるからなのだ。
享有のものではなく、最初から「共有」の、優生学ものだからである。
だからまっとうなものかというと、「実体は詐欺同然」であるだろう。
詳細は、哲学史で見て来たとおりである。
科学的知見、予見がふんだんに盛り込まれ、優生学的目的が、(不明瞭に)定められている。
つまり、目的があるのだが、わざと明確にはされない。
心理学の妄想は、つまり優生学的迷信に基づく「陰謀目的」の実践なのだ。
(医療の幻想)。
目的が明瞭にならないのは、共同幻想の特徴である。
医療機関や製薬機関、特に予防接種がパンデミックの根本原因であったこと、が、データーの上でも具体的にわかってきた。
そのことが明瞭に、科学的に、示され始めたのだが。
一部の人たちだけ大騒ぎしてる、だけで。
報道が皆無なので、大衆と陰謀家たちは当然無視。
しかしついには、専門家と言われる人たちの間で、病気が害悪ではなく人の「治癒への動作に過ぎん」こと、までが言われ始めている。
医療への根本認識が変わりつつあるのだ。
発熱が、「身体の自然な治療行為であること」などは、早くからわかってた。
なのにずっと、無視され続けてた。
熱覚まし毒の調合処方が、治療行為の一つとされて来たのが西洋医学。
ケガして使う消毒薬が、生体を破壊し治癒を遅くしている。
なのに、最近までヨーチンや赤チンやオキシドール消毒剤が使われて来た。
(今は使ってないらしいが、オイラの子供の頃は小さなケガにも消毒薬、てのは、一般的だった)。
上気道炎症に始まる風邪なども、ウイルスが原因ではないという「生体被爆説」が出て来たし。
破壊された人の細胞を検出してウイルスと言っているだけ、という、DNA検出はエクソソームなどの由来物だ、という説も最近有力となっている。
今やウイルス学自体が、その基礎の足元から揺らいでて、もはや倒産寸前。
パスツールなどは、もうとっくに詐欺師認定されて、その威信は地に堕ちてる。
インフルエンザも風邪も、地上に電気や電磁波をもたらした産業由来のものだと。
地球規模の害毒汚染由来の疑いが、濃厚に出て来てしまって。
金権を失いたくない人々が、カネや軍事力や太陽活動にすがって、それを必死に隠ぺいしようとしているのが実情。
太陽の活動活性化期に併せて、到達日の同じ日に地上でhaap実験を行って、地上で見られるようになった特異な赤いオーロラの原因を騙そうと謀ったり。
あげくには天文台封鎖して軍事権力下に統制したり。
なんじゃろね、これは。
今や人工の軍事兵器と判明した、コロナ風邪。
それも、もともと太陽のコロナ同様の、実にあやしげなものだった。
mRNAが害毒なんだが、コウモリさんのDNAが、気の毒に犯人にされてた。
しかし太陽の表面温度6千度なのに、その周辺のコロナが100万度。
なんじゃろね、これは。
今は太陽活動に全責任負わそうと必死だが。
太陽の地表温度は、実は6千度などよりずっと低いかも、という話も、ちらほら。
そもそも、低い軌道侵入の観測機器が無事らしいという?
ともあれ今でも最悪進行中なのが、予防接種の陰謀ではある。
マスゴミが立役者。
基本は現代まで生き延びた731部隊による、環境保守金権団体と組んだ悪魔行為である。
731部隊は戦後、米軍指揮下に入り優遇されて来たのである。
彼らがパンデミックを演出し、世界人工削減の推進役となった。
コロナ予防接種による被害認定者数はついに、これまでの全病気の予防接種での被害認定者数をはるかに超えたが、ロクに報道もされず。
しかも、次の自前増殖型コロナ枠陳である<レプリコン投下治験>が始まる。
世界中で拒否されたが、今後は日本でのみ行われるらしい。
これは原爆並みの被害をもたらすだろうと、ずっと都市伝説界隈では言われている。
なのに、何処も、やめようとはせん。
いろんな大企業が儲けを予測して、次々と積極参加してる始末だ。
医療行為が人々を殺していた事実がデータでわかってきたのだが、しらんぷり。
レプリコン枠陳は、多次予防接種原因で容易に免疫不全を起こす。
死ぬ本人以上に、「シェディング現象で近隣者を殺すかもしれない」、と言われている。
ヒポクラテスの医療というのは、もはや「幻想」である。
日本もGHQの目論見のとおり、もう明日は「ない」のかもしれない。
(宇宙の破壊)
最近、ビッグバン理論が、じつに壮大に崩壊した。
認めん科学者も、もちろん、いるが。
これを壊したのは反科学派じゃない。
「科学技術」の得た新認識なんである。
一昔前の電波望遠鏡ハップルではなく、ジェームズ・ウェッブ宇宙望遠鏡というのが、直接電波の目で見て、旧来の理論がなりたたんようにして、しもうた。
宇宙論の崩壊(形而上学の崩壊)がそこで起こったのか、と思えば、逆で。
今度は、人の「現実」が、実はホログラム「幻想」だの、「時間」が実は存在しないのだの、などと言い始めている。
果てはセルン利用で、「宇宙の方を破壊にかかっている」、というのが現状だ。
地上にブラックホール作りたがったり。
科学は、自分の行為の反省が絶対にできやしない。
「ある」、ということが見えてないので、つまりは「客観に頼る」しかない。
なので、その客観を支える現実が希薄になれば、すべてが希薄になるしかないのだが。
希薄になってても、もともと死んだものしか相手にしてないので、気が付かない。
倫理などとっくの昔に無くしてて。
自分の命、という支えとの繋がりがないのだ。
最後の支えのはずの、命を神に捧げて。
更に最後の拠り所だった神とその信仰を見失って、人という種族はどこへいくのか。
宇宙ともども、自滅するしかない、というわけだ。
享有の命を失うことが、宇宙の破壊につながる。
この意味は、享有が理解できないと、わからない。
次回は「想像」を語りたい。