命が助かっただけでも
何をするにもコストがかかる。無尽蔵にコストをかけることは不可能だから、ありとあらゆる事に無制限に対処できるような体制を望むことは出来ないだろう。聞き分けのない子供ならともかく、大人ならそれくらい理解できるはずだ。 それでも、自分の子供が身障者になった当事者であれば、我を忘れて理不尽な訴訟をすることも理解できる。でも、それをそのまま無批判に記事にするのはどうかしている。原告の言い分は、無い物ねだりのだだっ子と変わりがないと思わないのだろうか。胸に打球、救命措置遅れ後遺症と県を提訴 1月9日(水)信濃毎日 2005年に下伊那農業高校(飯田市)1年の野球部員男子=当時(15)=が練習試合で胸に打球を受け、「心臓振とう」を起こして今も後遺症があるのは引率教員の救命処置が遅れたためとして、男子とその両親が8日までに、県を相手に慰謝料など総額約1650万円の損害賠償を求める訴えを地裁飯田支部に起こした。 訴状によると、05年6月に名古屋市内の高校で行った練習試合で、守備についた男子は打球を胸部中央やや右寄りに受け、倒れた。脈を打っていなかったため下伊那農高の生徒が心臓マッサージをし、その後に到着した救急隊員が除細動を実施、心拍が戻った。この心臓振とうの後遺症で現在、介助がなければ日常生活を送ることができない体の状態としている。 原告側は、野球では球が当たることやそれによる心臓振とうは予測できたのに、引率教員は自動体外式除細動器(AED)を持ち運ばず、救命処置が遅れたと主張。代理人は「胸に打球を受けて倒れた場合、心臓振とうとみて、引率者が人工呼吸や心臓マッサージなどをすべきだったのにこれをせず、安全配慮義務を怠った」としている。 被告側は「対応を検討している」(県教委高校教育課)としている。下伊那農高の上沼衛校長は「訴状を見ていないのでコメントできない」と話している。 野球は日本では人気のあるスポーツだ。野球の練習や試合は数え切れないほど行われているだろう。滅多に起きることではないが、何処で心臓振盪が起きても不思議ではない。だからといって、あらゆる野球の現場にAEDを用意することは不可能だろう。野球の現場では常にAEDを用意すべきだと言うことになれば、野球をしないという選択肢しかない。 記事を読む限り、応急処置は迅速に行われている。命だけでも助かったのは、バイスタンダーである高校生が心臓マッサージをしたからだろう。引率者だからと言って、高校生よりも上手くやれた保証はないから、誰がやったかは問題じゃない。障害が残ったことを恨むのではなく、命が助かったことに感謝し、この高校生をたたえるべきではないのか。 シンポジウム 心臓震盪を考えるを見れば分かるように、心臓振盪では、命だけでも助かれば御の字だ。アメリカのデータが出ているので引用してみよう。救命症例数(北米) 1.Maron,B.J. et al. N.Engl.J.Med.vol.333,1995 2例/25例 心拍再開(2例も脳障害で死亡) 19例/25例(76%)で3分以内のCPR 2. Maron,B.J. et al. JAMA vol.287,2002 21例/128例 1年以上生存 (15例が完全社会復帰) 68例/128例(53%) 3分以内のCPR → 17例 38例/128例(30%) 3分以降のCPR → 1例 不明 → 1例 自然回復 → 2例 41例/128例 除細動実施(AED2例) 早期にCPR(心肺蘇生)を行っていてさえ、救命率は少ない。それでも、3分以内にCPRを行った方が、圧倒的に救命率が高い。「命が助かったことを感謝すべきであるとともに、CPRを行った高校生をたたえるべきだ」という私の判断を支持するデータだと思う。この親のなすべき事は、訴訟ではなく、AEDの普及活動なのではないだろうか。