【倉本聰】
昨日と今日の読売新聞に、作家倉本聰さんの記事が出ていました。私は、自他共に認める、北の国からマニアです。こんな二束のわらじ日記より、北の国からについて書かせたら、それこそ、24時間は書き続けられる自信があります。(笑)読んでくれる人がいれば、そんなブログでも書きたいな~。さて、その新聞の記事ですが、倉本氏が北海道に行った(移住した)頃の話が出ていました。倉本氏はN●Kの大河ドラマ「勝海舟」で、N●Kのやり方と衝突し、北海道に行ってしまったのです。当時、N●Kは労使関係が非常に悪く、労働組合が強い力を持っていました。ドラマ制作は脚本家が書いた台本が出来ると、本読みという工程に入ります。これは、役者さんが、集まって台本を読む稽古です。ここで、セリフの言い方など、いろいろ研究して、場合によってはセリフを変更したりすることもあるそうです。当時でも、脚本家が本読みに参加することはあまりなかったようです。しかし、倉本氏はいつでも本読みに参加していました。やはり、自分が書いた作品はまるで自分の子どものようなんでしょう。子どもなら、成人して、所帯を持つまで、孫が出来るまで、ずーと気になるものです。ドラマで言えば、放映されて、お茶の間の視聴者に見て、感動してもらえる所まで気になるでしょう。しかし、当時のN●Kの担当者は(労働組合所属)倉本氏が本読みに出てくるのが気に入らなかったみたいです。「脚本家は本が出来れば、仕事終わり!」という主義だったようです。倉本氏が本読みから帰ったあとに、こっそりセリフが書き換えられたりしました。そんな時、ある週刊誌のインタビューで、最後にN●Kに不満は?と聞かれ、しゃべったことで、N●Kを非難しているという記事にされてしまいました。当然倉本氏はN●Kから、つるし上げられます。そして、気がついたら、千歳行きの飛行機に乗っていたそうです。倉本氏から見れば、ほんとにドラマが放映されるまで自分の作品が大事なのでしょう。確かに脚本家の仕事の範囲を超えているといえるかもしれません。でも、仕事というものはそういうものです。たくさんの組織があって、自分の仕事をこなして入れば、それで済む大企業にお勤めの方はそう思わないかもしれませんが、自分の範囲を超えるということはとても大切なことです。それぐらいこだわりを持っていなければ、いい仕事できましぇん。実際、倉本氏は北の国からでは、撮影現場にも出てきて、役者さんやスタッフと、ああでもない、こうでもない、とやっていたそうです。それだから、あれだけの素晴らしいドラマが出来たんですね。効率ばかりを追い求めて仕事するのも大事ですが、何事にもこだわりを持って、自分の範ちゅうを超えて仕事するように心がけたいものです。ながーい文章最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。人気blogランキングへ