変則書評:塩野七生『ローマ人の物語』ゲージ
***********************************************************塩野七生著『ローマ人の物語』(12) ユリウス・カエサル ルビコン以後(中)(新潮文庫) 読破ゲージ:■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ ***********************************************************ポスト・ポンペイウス時代のカエサル。短い期間にやるべきこと山積。カエサルの理想は、ポリス(都市国家)を超えたコスモポリス(世界国家)。文化は共有しても文明は共有せず。ローマ世界の平和(パクス)を確立するため、目の上のたんこぶ除去へ。ファルナケスとの戦いでは、早くもキターーーーーッ、「来た、見た、勝った(VENI,VIDI,VICI)」、名台詞登場。世紀の決戦のあとは、ポンペイウスの地盤をカエサル側へ転換すること。ところで、博識と貴族的精神は別物、と。キケロ、好例。ポンペイウス残党との戦いが続く。筆者によれば、戦術とは、的を包囲することをどのようなやり方で実現するか(所謂、方位壊滅作戦)に尽きるのではないか、と。アレキサンダー→ハンニバル→スキピオ・アフリカヌスと磨き上げられたローマ式戦術は、カエサルのオリジナリティでさらに変幻。ただし、これはカエサルだけが駆使できる飛び道具。タプソスでは、兵士スト→功を焦ってのフライング、により予想外の戦端も、結果オーライ、勝てば読み通り。硬骨漢・小カトー、ウティカに堕つ。確かに、親戚縁者の身柄をカエサルに託したのはらしくなかったが、少なくともお前自身は腐ったミカンじゃなかった。敵すら許すカエサル流クレメンティア(寛容)は、古き良きローマを奉じる小カトーには容れられず。確かに、自由たる人間の処遇を、寛容であれ、非寛容であれ、一人の人間の一存で左右することは“暴力”には違いない。だが、時代は革新を、カエサルは革新を求め推進していた。小カトー、憤死で、カエサル宿願の凱旋式へ。それにしても、慣例とはいえ、市民による「市民たちよ、女房を隠せ。禿の女たらしのお出ましだ」なるシュプレヒコールはあんまりだ。戦場では孤独でなかったカエサルも、政治では常に孤独。孤独は創造の才能の代償で、孤独を嘆いていては創造の作業は遂行できない、とは著者のカエサルへの慰めと応援。暦の改定。紀元後1582年、法王グレゴリウスの再改定までユリウス暦がスタンダードであり続けた。ちなみに、グレゴリウス暦で修正されたのは、1627年間で僅か11分14秒。几帳面。ユリウス暦を作ったカエサルとエジプト人たちも偉かったが、僅かな誤差の修正にこだわった法王グレゴリウスもまたえらかった。旧ポンペイウスの蜂起は局地的に続く。スペインはムンダで会戦勃発。ポンペイウスの息子たちもここに敗れ、恐るべきラビエヌスも戦死。カエサル、帝政へ王手。カエサルの独裁政治のビジョンの源流は、統治する領域が広くなればなるほど、決定力が鈍る600人からなる元老院制の妥当性へのノン。史上例のない終身独裁官に就任。これが、遠くない後に「戴冠」の誤解へとつながることに。カエサル、ハンニバルすら攻略を諦めた、紀元前600年からローマを護って来た「セルヴィウスの城壁」を破壊。ベルリンの壁もかくあろうかと。本当に安全で平和な我らが首都・ローマは、壁要らず。開放の精神の発露。実現しなかったカエサルの改革には、造本事業があったとか。中世に入って、修道僧がカエサルの造本のアイディアを再発見。「三頭政治」時代の共謀者・クラッススの不名誉なる敗北の汚名をそそぐため、カエサル、ローマでなすべき布石をすべて終え、いざパルティア遠征を発表。終身独裁官として?暴君として?成功した栄えある革命家として?皇帝、あるいは王として。それが気に入らないのなら、摘むべき芽は花開く前に。不穏な影が、出立前のカエサルに忍び寄る…。なお、カエサルの政策の具体的な内容は、この12巻で一覧可能。(了)ローマ人の物語(12)■「旅から、音楽から、映画から、体験から生死が見える。」 著書です:『何のために生き、死ぬの?』(地湧社)。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。