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カテゴリ:メモ/その他
ドラマ「この世界の片隅に」を見ていると、心が洗われる気がする。
何もなかったかもしれないが、いまより、心は豊かだった気がする。 物質的ではなく、精神的にである。 主人公の名は、北條(旧姓 浦野)すずさんだ。素朴な「すず」という 名前すら素敵に感じてくる。今日の回は、玉音放送の回だった。 ネットで同じ名前に出会った。様々なアマチュアスポーツの問題から、 競泳の「千葉すず」氏のことが書かれていた。個人的に、いた、いた と思うが、いつの間にか突然姿が消えたのは、何があったのか覚えて いない。クロールの選手だったはずだ。 1992年バルセロナ五輪では200m自由形で、6位入賞を果たしている。 これは今もなお、同種目での日本最高成績だ。その次にあった1996年 のアトランタ五輪にも出場したし、1991年の世界選手権では400mで 銅メダルを獲得しているという。 何があったのか?であるが、選手が水着を自由に選べるようにしたい、 と日本水泳連盟と交渉するなど(当時は認められていなかった)、行動 と意志を明確に語る選手でもあったそうだ。 そんな彼女は、2000年のシドニー五輪代表選考会の日本選手権200m で優勝し、五輪参加標準記録も突破したが代表に落選した。その理由 が不明瞭で、大会期間中、日本選手権は目標ではなくオリンピックが 本番である、という旨の発言をしたらしい。 この発言が連盟の怒りを買うことになり、それに引きずられるように、 新聞各紙でも批判的に扱われたという。そんな経緯も落選理由として 取り沙汰されたというのだ。 その後、千葉氏は国際機関である「スポーツ仲裁裁判所(CAS)」に 提訴し、CASは千葉氏の代表入りに関しては認めなかったものの、連盟 に選考方法の透明化と費用の一部負担を要求した。 それが今につながり、競泳の選考は順位とタイムにより明確に行なわれ ることとなった。競泳界の風通しをよくすることにもつながったわけだ。 また、他の競技団体でも代表選考のあり方が論じられる機会ともなった のだそうだ。千葉すず氏は、その後どうなったのだろう?⇒公式ホームページ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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