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カテゴリ:本
「号泣する準備はできていた」
江國香織 / 新潮社 直木賞受賞作品、ということですが、「へ~?」というくらいあっさりした短編集です。 江國香織といえば、私にとっては、「なんとなくエキセントリックな主人公達の静かなる狂気」のようなものがテーマな恋愛小説という印象でした。 たとえば出世作の「きらきらひかる」とか、ほかには「落下する夕方」とか「神様のボート」とか「流しの下の骨」とか……。 だけど、この本の12篇はすべて、普通の人たちの普通の時間が描かれてます。 どれも人生の中のある一日だけを、あるいはひとときだけを切り取っただけのような、それだけの時間の話だから、大きな事件が起きるわけではない。 だから、印象としてはとてもあっさり。 どの短編も共通しているのは、主人公達が、かつて、もしくは今現在、もしくは近いうちに、何か(恋愛関係)を失ってしまった、あるいは失いつつある、もしくは失うかもしれない予感におののく、ということ。 作者のあとがきにはこうあります。 「……略…… たとえば悲しみを通過するとき、それがどんなにふいうちの悲しみであろうと、その人には、たぶん号泣する準備ができていた。 喪失するためには所有が必要で、すくなくとも確かにここにあったと疑いなく思える心持ちが必要です。 ……略…… かつてあった物たちとそのあともあり続けなければならない物たちの、短編集になっているといいです。」 失う前にも失う方向に向かいつつある時間の流れがあり、失いつつある今もそれに至る人生の瞬間があり、失ったあとにもそれを思いだし喪失感に耐え忍ぶ時間がある。 そういう1つのテーマのさまざまなシチュエーションが描かれているという感じですね。 でも前述したようにそれはあっさりと冷静に描かれているので、読んでいる方は号泣にはいたりません。 タイトルを見て、「泣ける本だわ」と思って手にとった人は、たぶんがっかりするだろうと思います。 個人的には、「洋一も来られればよかったのにね」がよかったです。 年に1度の恒例行事で、姑とふたりで温泉旅行に来ている主人公が、旅先でも考えているのは半年前に別れた不倫相手の男のことばかり。 あまりにも身も心も恋にやつしてしまったばかりに、先々のことが恐くなり、家庭に戻るために男と決別したのだけど、その喪失感はあまりにも大きい。 そのうえに、恋に落ちるとは、すでに帰る場所を失っているということ。 恋人を失う前に、すでに夫を(観念的には)失っていたということ。 そういうことがさらりと書かれていて、かえってずずーんと胸にきました。 それでもこの先えんえんと営まれる主人公と夫との結婚生活(それは描かれてないけど)を考えると、そのむなしさといったら……。 そしてその先続けられる姑との旅行にいたっては……。 人生は、まともに向き合うとしんどいかもしれません。 それから、「溝」。 これは部分的にだけど、私にとって、とってもリアリティありました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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