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テーマ:本のある暮らし(3295)
カテゴリ:本
彼女は結婚前、お針子をしていた。
彼女の腕は、同僚お針子の誰よりもよく、妬みさえ買っていた。 あるとき、彼女たちが注文を受け、白打掛けを縫っていたときのことである。 彼女の手元の白糸がなくなり、同僚に分けてほしいと声をかけた。 すると、彼女に手渡されたのは、なんと赤い糸だった。 彼女は驚いた。 「これは赤い糸じゃないの」 「そうかしら。私には白に見えるわ」 見回すと部屋中のお針子たちが興味深そうに見ている。 彼女は、自分が陥れられようとしていることに気付くが、彼女のお針子としてのプライドももたげてくる。 それなら、受けて立とうじゃん。 彼女は、赤い糸で純白の打掛けを縫い始めたのだった。 かくして、彼女が縫い上げた打掛けは、表からは全く糸目の見えない見事な出来栄えだった。 それを見た同僚の誰もが舌を巻いたのだった。 かの古典的名作、山本有三の「路傍の石」のワンシーンです。 主人公の少年の母親の若い頃のエピソードを描いたものです。 「路傍の石」は小学生の頃読んだきりで、はっきりいってストーリーもちっとも覚えてません。 なのに、なぜかこのシーンだけは忘れられません。 たぶん本ストーリーには関係ないエピソードであり、短い叙述で終わっていたと思います。 だけど、子供心にこのシーンはとても印象に残りました。 まさに「路傍の石」並みのサイドストーリーなんだけど。 主人公の母が縫い上げたのは、どんな打掛けだったのだろう? 赤い糸で縫ったのに、それがちっともわからない出来栄えとはいかなるものだったのだろう? とても、気になりました。 それに、周りの意地悪に毅然と立ち向かって、結局のところ同僚たちの鼻を明かすことができたという内容。 その彼女の意気も気持ちよかった。 惜しむらくは、単なる短いエピソードに過ぎなかったので、その後の彼女の職場の様子が描かれなかったことです。 その後、彼女は職場での立場はどうなったのだろう? そういうことにも思いを馳せたりしました。 そして、いまだに時折そのシーンを思い出します。 特に、服のボタン付けや、スカートの裾のほつれを直そうと、裁縫箱を出すと、そのシーンを思い出します。 読んで20年以上経っているので、思い出す内容は文章ではないです。 すっかりビジュアル化されています。 小学生のときに脳内で映像化された内容だけが、何年間も残っているということのようです。 どう脳みそをシャッフルしてみても「路傍の石」自体は全く思い出せないのですけどね……。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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