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カテゴリ:本
夏目漱石の「坊ちゃん」、といえば。 教科書にも載ってたし、漱石のほかの著書は未読でもこれくらいは読んでいるという人も多いはず。 「うらなり」は、その超有名作品のオマージュといえます。 うらなり、といえば。 「坊ちゃん」の登場人物のなかで、いちばん存在感の薄く暗くまじめな男というイメージが強い、主人公坊ちゃんの同僚の英語教師。 没落した旧家の跡取りで、母親と二人暮らし。 マドンナとあだ名される美女と婚約している。 しかし、彼女を狙う教頭赤シャツの策略で、遠い九州に転勤させられてしまう。 ついでに婚約も破棄となる。 ……という気の毒な人。 そんな不遇な男として描かれる「坊ちゃん」のうらなりが、本作品の主人公。 彼の目を通して、彼の立場や「坊ちゃん」事件、そしてその後の人生が語られていきます。 うらなり視点の「坊ちゃん」は、「坊ちゃん」とは全く違うしろもの。 同じ事件を扱っていても、冷静な知識人から見たものは、無鉄砲な江戸っ子から見たものとは違うということが、まず本書の面白い点です。 「坊ちゃん」では、さんざん気の毒がられ、坊ちゃん自身も義憤にかられたうらなりの不遇について、本人にとっては、人生の流れの中での通過点に過ぎず、わりと淡々と受け入れている。 それどころか、坊ちゃんの憤慨ぶりに怪訝に感じてしまうほど。 「あの男は、人のことに何をぎゃあぎゃあとわめきたてるんだろう?」 ってな感じ。 彼には、坊ちゃんという人物が理解できないし、ほとんど歯牙にもかけてないのです。 彼にとっては、坊ちゃんはまっすぐで正義感の強い痛快男(「坊ちゃん」でのイメージ)ではなく、世間知らずでなうっかり者、という存在で、ある意味けちょんけちょんに評されてます。 原作ファンには「そんなあ」かもしれませんが、読んでいて「そうだな」と納得させられるのです。 また、坊ちゃん・山嵐VS赤シャツ・野だいこの対決も彼は冷静に見ていて、その対決の本質やその顛末の意味合いも「坊ちゃん」ではよくとらえられなかったけど、ここではすっきりと腑に落ちます。 「坊ちゃん」って、痛快小説ではなかったんだな、と。 さわやかな痛快青春小説、というようなコピーがついていることが多い「坊ちゃん」だけど、何度か読んでもいつもそう思えなかった私の疑問がここで払拭されました。 本作品では、「うらなり」のその後も描かれます。 もちろんそれは、小林信彦の創作であるけど、なんとなくさもあらん、という展開です。 彼の彼にとって自然な流れの中で進んだ人生という感じで、その無理のなさが「坊ちゃん」での気の毒な印象をいくらかやわらげてくれます。 そして、マドンナとの数十年後の再会、というクライマックスが描かれるあたりも、「坊ちゃん」においてやきもきした気持ちをすっきりさせてくれます。 そんなふうに、ひとつひとつオセロのコマを返すように描かれた「裏・坊ちゃん」。 それによって、「坊ちゃん」を 読み返すと、それを書いた漱石の意図もよりよく汲み取れるのではないでしょうか。 「うらなり」 著者:小林信彦 出版社:文藝春秋 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006年09月07日 04時54分59秒
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