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テーマ:今日のピアノ♪(726)
カテゴリ:音楽
ピアノのお稽古を20数年ぶりに再開して、はや4ヶ月。
楽しいけど、大変。 同じ曲をやるでも、中学生のころと今とではマスターするスピードが違います。 中学生のころの脳の働きを新幹線・のぞみだとすると、今はたぶん普通列車。 その速さの差が、マスター時間の差となるわけです。 ピアノをひくということは、結構、脳みそを使うものです。 課題曲を初見で弾くという作業。 五線上の音符を瞬時に何かを把握して音をとるという脳内処理が必要となります。 これが、今の私にはひと苦労。 五線の中にある音は、ある程度すぐにわかる。 けれど五線の上や下にはみ出た音(すごい高音とか低音)はとっさにわからない。 指で数えてしまったりします。 さらに、それが3音以上の和音になったら、その苦労は3倍ではなく3乗です。 もちろん、シャープやフラットにも注意しなくてはならない。 なかなかな「脳力トレーニング」です。 きっと私には計算ドリルもDSソフトも必要ないです。 ある一定以上のレベルの曲って、やたらに速弾きの小さなおたまじゃくしの羅列になるか、団子状のおたまじゃくし(和音)の行進というより行軍(長いということ)。 つまり、おたまじゃくしがひしめきあっているような、紙面黒色度大な譜面なわけです。 見ただけで、一気に気分が萎えます。 ピアノなんて始めなきゃよかった、とまで思ったりします。 ただ、目的の曲を知っているかどうかでだいぶ違います。 メロディーラインを知っているだけで、すごいありがたい「とっかかり」になります。 音の間違いにすぐに気付ける。 曲のリズムも捉えやすい。 それだけで、「音をとる」作業はいくらか楽になります。 今は、昔と違って練習曲ばかりではなくて、自分の好きな曲を選んで先生に見てもらっているわけですから、その辺はクリアしているといえます。 しかし、それでも中学生のころの自分の能力には及ばない。 ただ、今の自分のほうが課題の曲に対して、ずっと楽しんでいます。 純粋に自分の楽しみでやっているので、今の私は、昔よりもずっと楽しく弾いています。 当時は音大を目指していたわけではないのですが、幼稚園のころからやっていただけにレッスンがほとんど義務化していました。 義務教育だから学校へ行く気分で、当たり前のようにピアノを弾いてました。 よって、楽しいとか辛いとかいう感情を交えるものではなかったのです。 楽しかろうと辛かろうとやる、という感じ。 曲をマスターするのも、「先生に指示されたこと」「さらに上に進むためにステップ」だったわけです。 その意味では、今は「曲を自分のものにするために」弾いている、かな。 はじめの音とりは苦労するけど、どの後は徐々にスムーズになっていくのは快感だし、曲に表情をつけていく作業はおもしろいです。 教えていただいている先生も1曲1曲、じっくりやってくれています。 通り一遍に弾けても、全くOKしてもらえません。 音楽として「形になる」まで何週間もやらされます。 何週間もやり続けて、技術的に向上し続けることはありません。 (そりゃ、もともとそれだけの能力はないのだし) でも、やっているうちに、曲を「弾けるようになるもの」ではなくて、「表現するもの」として捉えられるようになっている気がします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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