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カテゴリ:小学生の頃
小学生だった1950年頃の女の子はみんな、
部屋ではお手玉、おはじき、せっせっせ、 外では、まりつき、ゴム跳びをして遊んだ。 遊びには、多くは、歌がついていたものだった。 お手玉の歌 ♪いちれつらんぱんはれつして(ここのところ意味不明) 日露戦争始まって さっさと逃げるはロシアの兵 死んでも尽すは日本の兵 5万の兵を引き連れて 6人残して皆殺し 1月8日の戦いに(この月日は、うろ覚え) ハルピンまでも攻め落とし クロポトキンの首を取り 東郷元帥万々歳 東郷元帥万々歳 ♪ 今思いだしてみると、こんな残忍な歌を歌ってたのか?と感慨深い。 まりつき歌 ♪うちの裏の化け猫が おしろいつけて紅つけて 紅がないから買いに行って 人から見られてちょっと か~く~せ ♪ これは、何やらオカルトだな。 せっせっせの歌、(2人で、向かい合う手遊び歌) せっせっせ~ いちかけにかけてさんかけて、しかけでごかけで 橋を架け(ここで、2人で、卍型に手首をつかむ) はしの欄干手を腰に(ここで、手を腰) 遙か向こうをながむれば、(ここで、手をひさしのように) 十七、八の姉さんが花と線香手に持って、(ここで、両手で、花をもつしぐさ) 姉さん姉さん何処行くの、(ここで、お互いに肩をたたく) わたしは、九州鹿児島の西郷隆盛娘なり、 明治10年9月24日切腹なされた父親のお墓詣りに参ります、 お墓の前では手を合わせなみあみだぶつと拝みます(ここで手を合わす) 拝んだあとから幽霊がふうわりふわりと、ジャンケンポン! ほんとうに、こんなことやってたのか~~~と、 自分でも信じられない。 お手玉の歌 母さんご覧よ 向こうから 父さんによく似たおじさんが お馬に乗って 剣下げて たくさんたくさん歩いてる もしやぼうやの父さんが 帰ってきたんじゃ あるまいか あるまいか また母さんを泣かせるの 夕べも言って聞かせたが まだ坊やには わからない あの奥座敷の仏壇に そなえてあるのが 父さんよ 父さんよ まだまだ、戦争の香りがたくさん残っていたんですねぇ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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