夫の父のこと。(徳一郎)
義父が80才で亡くなって、はや、30年を過ぎた。
夫の父親の徳一郎は、ある地方のお城の家老の家に生まれた。
母親は、徳一郎を産んで亡くなった。
父親は、新しい妻を迎えた。弟が生まれて育った。
ある日、長男の徳一郎は、養子に出された。
それは、ずいぶん遠い遠い田舎の
官吏の家だった。 しかも、平民だった。
ある日、私が、義父に
「お父さんの昔話を聞かせてください」と、お願いすると、義父は
じっと黙っていたが、やおら口を動かして
「私のことなど、汚いことばかり...」と言ったまま、
何も語らなかった。
義父が亡くなってから、義母をさそって、
その昔、義父の住んでいたという
官吏の家を探すセンチメンタルジャーニーに出た。
義父が卒業した、遠い田舎の中学校にまず行って、
成績表を見せてもらった。
なんと!学校には、昔のアーカイブがあった!
義父の成績表が、ちゃんと取ってあったのだった。驚いた。
そして、昔の住所も分かったので、探したずねた。
しかし、もう、何の痕跡も残っていなかった。
ある人に、近くのお婆さんが知っているかもしれないから
行ってごらんと教えられ、たずねた。
遠い目をして、お婆さんは、
彼は、毎日、川の水を桶で汲んで、風呂桶いっぱいにしないと
学校に行かせてもらえなかったそうな、と、教えてくれた。
義父も、養子に行かされて、可哀想だったね?と、義母と語りあった。
夫の姉は、昔、
没交渉だった父親の弟の邸宅に行ったことがあったそうだ。
父が継ぐはずだった家督をちらりと見ておきたかったそうだ。
その家は、鎌倉にあって、
長い長い白い塀が、ずっと続く大きな屋敷だったそうだ。
叔父の家の方々は、やさしく、迎えてくれたそうだが、
2度とは、たずねなかったそうだ。