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カテゴリ:日常
私は丁寧語が使えない。
66才ともなってしまうと、 今さら変わることは出来ない。 もう、遅すぎて、いくら気をつけていても、 つい、口から、ぞんざいな言葉が飛び出てしまって しまった…と、ほぞを噛む。 恥ずかしい。 お里が知れる。 お座敷に出せない人間だ。 年々、自分の育ちの悪さを思い知る。 若い頃、 麗しい言葉が出来ない大人は、変人だと言うことに 一度も気が付かなかった。 たとえば学生時代は、 何でも、一個と数えるのが流行だった。 お魚でも、一個食べるとか、 何か一個しゃべって~、とか、 そういう言葉を言っていたら、夫に そんな言葉は使わないで、ちゃんと、一匹とか、 ひと言とか、言いなさい、と何度も言われて やっと直ったものだ。 (でも、大体、夫のお説教は、聞かない性格だったらしい) 直ったのは、一個という表現だけだった。 40才くらいになって、自分自身、 あれ?私は、おかしいんじゃないかな?と思うようになり、 少し反省。 電話口で、 「はい、○○○で、ございます」と言えるようになったのも 40才くらいになってからだ。 それまでは、「○○○で~~す」なんて。 馬鹿みたいだけど、 学生の時、何となく結婚したからなのか、 いつまでも、学生気分のまんまで、 年だけ取った。 何故?そんなアホみたいな大人になってしまったのか? つらつら思うに、 私が、飛んでる女の子だった頃、ちやほやされて、 いつまでも、元気印の、そのおかしさを、 みんなが愛でてくれていたことを、良いことだと錯覚したまま、 年を取ったからだろう。 (よくいるよね?変な婆さん。それが、私だとは思いたくないが…) その他 私は、一度も宮仕えをしたことが無い。 毎日、死ぬほど働いているけれど、お給料を もらったことがなく、まあ、夫のお手伝いであって、 突き詰めていけば、責任がなかったところが大きいのかな? 小さい頃、兄や姉の友人が全員 御父様御母様お兄様お姉様という人々の中にいても、 母は、 「お父ちゃんお母ちゃんと言って」と 教育した。 だからかもしれないという訳でもないと思うが、 何故か、私だけが、 敬語も、丁寧語もできない。不思議。 長女のお姑さんは、 「ございます」を連発し、 すばらしい流暢なていねい語で電話をかけてくる。 電話口に出た私は、どぎまぎして、 舌を噛みそうになるのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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