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カテゴリ:父
父は、アルツハイマーが少しづつ進行していったが、
まだ、囲碁を楽しんでいた。 元気な友人は、皆、忙しいから、なかなか父の碁のお相手は してもらえない。たまに、息子や孫が来た時、相手をしてもらっていた。 一番下の弟は、たった1級の力しかなかったが、 対で打っても、弟が圧勝してしまうその現実が悲しかったと 弟は述懐している。 父は、負けて 「ほう!お前さんは、腕が上がったなぁ=!」と驚いていたが 実は、萎縮した脳が、 碁盤上の全体を読む能力を無くしたにすぎなかった。 最終的に日本棋院から6段の免状をもらっていた父は、やはり 呆けていても、直感はするどく、ノータイムで急所に 打ち込んできたそうだが、時間をかけてじっくり読む力を 喪失していた。 あれほど強かった囲碁だったが 、他人は気の毒がって、 もはやだれも相手をしなくなったし、 自分も急速に興味を失って行った。 それを見て、 私は年をとったら、夫と囲碁を楽しもうかな~、 足腰が萎えても囲碁なら出来るから~~なんて 考えた事もあったのだが、 「ああ、呆けたらお終いだ、囲碁勉強は無益の徒労だ」と 思ったものだ。以後、勉強する気持ちを全く捨て去った。 でも、これを書きながら、 いやいや、もし私が少しでも囲碁ができたら… そして毎日、父の碁の相手を務めていたら… もしかして、父は、もっと長く生きられたかもしれないな~と ふと、思った。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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