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カテゴリ:小学生の頃
小学校の同級生と、再び年賀状だけの交流が始まったのは、
5年前からだ。 前の記事の山本さん。 赤城くん。 鈴木さん。 私のように、4つの小学校に通った人間は、友人が少ない。 たった3名だ。 半世紀もの間、お互いに交流がなかったのに、 懐かしい。 赤城くんのことは、一昨年、記事にした。 前の小学校の赤城くんから、私の引っ越し先に手紙が届いた時は、 私も幼かったからか、何だか恥ずかしくて、すぐに破って捨てた。 5年前に届いた集合写真の彼は、 すっかりおっさんになって、ちょっとしおれて写っている。 あの、野球部のキャプテンだったごっつい体の、 生き生きした目を持つ少年は、いなかった。 昔の教室では、生徒は、2人用の机だったから、 毎朝、漢字の書き取りのテストがあると、隣同士で、 答案をとりかえっこして、お互いに採点をし、 教室の後ろの棒グラフに記入するのだ。 私はいつも、棒グラフがトップだったのだが、 すぐ次ぎに赤城くんが付けていた。 でも、 私は、先生の信頼厚い生徒だったので、教室の一番後ろで、 一人で座っていた。だから、自分の答案を自分で採点していた。 たまに、しくじった時、ちょこっと棒の一片を書き足すというズルをした。 2度ほどやった。 それは、誰も知らないことだ。 だから、赤城くんと私は、本当はどちらが上かわからない。 もしかして、あの子のほうが上だったかもしれないのだ。 人知れず、ズルいことをした私は、 今や漢字を、みんな忘れて、常に困っている。 バチがあたったのかもしれない。 いつか、そのおっさんになった赤城くんに出逢ったら、 謝ろう。 赤城くんは、 今どき珍しくも、万年筆で書いた年賀状をくれる。 みずぐきのあとも鮮やかな達筆の文字をなぞると 自慢のパーカーで、5年日記を丹念に書く父の後ろ姿が 懐かしく想い出される。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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