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カテゴリ:日常
私の年代は、
結婚の相手は、ほとんどが、親や周りがさがして来た人と お見合いをして結婚するのが常識だった。 相手を見て、私の兄嫁のように、 いやだいやだと言う人もたまにはいたが、 まあ、大抵は、そのままOKだった。 それが、あたりまえの時代だった。 現代のようにお互いにインスピレーションを感じて お付き合いを長くして、 相手の事をよくよく知って、 気が合うし、考え方も似ているし、感覚も合うし、目的も合うし、 何よりも、心から大好きで! ああ、この人だったら一生涯連れ添うことが出来そうだと お互いが心底、信頼し合い、 真実の愛を育んで結婚するという事は 希なことだった。 昔風の考えだった私は、大人になってから、 若い人を、たくさんお見合いをさせて 結婚のお手伝いを何の疑いもなくせっせとした。 私は、もう、結婚して47年経った。そろそろ金婚式だ。 それなのに、 夫と、感覚的に合わないことは多い。 特に、 夫の運転する車に乗っていると強く思い知らされる。 私が、ここは右に行くんだなと、心づもりしていると 正反対の方に走るし、 ここは左に行くんでしょうね?と 内心意識していると、 右に走るし、 ここは大通りをまっすぐに走るのでしょうか?と こころの中で思っていると、 ひょいと辺鄙な細道を、ごちゃごちゃ走るのだ。 だからと言って、目的地には着くし、 困ることは何もないので、 (ほ~~そう出ましたか~)と、 あまりの違いに、ほとほと感心するばかりだ。 生活の上でも、 たとえばお客様にこういう接待をしたいと思っていても 夫は全くちがう事を思っているのに気が付いて 私は驚き、変更を余儀なくさせられることも多い。 テレビ番組や音楽の好みが全く違うのは、 私があっさり、自己主張を捨てたから、 日常のトラブルは全く起きなかった。 これは、母からの教えだ。 でも、夫の大好きな囲碁と、野球と、ボクシングと、 動物の生態番組、など、私は好きでも何でもない。 一生涯観なくても平気だ。 でも、ほとんど365日、47年間、 夫と一緒に観ているから、夫と上手に話を合わせることができるし、 個々の事柄の中で、一緒に笑い合ったり、感動したりは 枚挙にいとまがないのも事実だ。 夫と一緒に心底から楽しめるテレビ番組は、 外国の旅番組だけかも知れない。 音楽は、結婚以来、基本的には聴けない人生だったが、 たまたま耳に入って、大好きになるものも数々あった。 それは、録音したり、好きなテレビ番組なども録画していて、 ひっそり観たり聴いたりすることが出来るから、 どうってこともない。 私の人生は、捨てることから始まり、 捨てることで、うまく回っているようだ。 こういう二人でも、私が夫と生きて来れたのは、 夫の資質の問題であったと思う。 それと、 一般的に人は、 一旦夫婦になったら、 別れることは、現実的には考えないものである。 毎日の生活の中で、 小さな小さな喜びがちょっぴりでもあったら 一緒に生きて行く勇気が、 連続して湧いて出るものじゃないかとも思う。 でも、 無自覚の私の心の奥底には 夫が知らない私、 夫と全く同化しない自分自身の個性が、 自分の自由な世界を渇望して、うごめいているかもしれない。 何故なら、 ネットのブログの中でだけ、 パンクロッカーだとかヘビメタだとか 威勢良く訳の解らないことを口ばしって、 夫に対して アンチテーゼを匂わしてはばからない私もいたりする。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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