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カテゴリ:芸術
私の高校時代の絵を飾ることにして
まず、私の自画像を飾ってみた。 それは、 自分自身の大きな絵だからその辺に掛けるのも 気が引ける。 だから、ひっそりと自分の部屋の壁に飾った。 そしたら、やたらに絵が強すぎて、壁にしっくりなじまない。 ふ~ん。 しょおもない絵を描いたもんだとがっかりしたが、 何度も見ていたら、 それは、私の最高傑作だと気がついた。 高校生の絵だから、ひどく稚拙であって、巧みではないのだが ぐいぐいと自分を浮き出させて強烈である。 純粋に自分の絵を描いているのだ。 何にも囚われていない。 誰かによく見せようとも思っていない。 良い構図とか、より良いポーズなどにも 配慮がない。ただ、真正面をぐいぐいと描き、 自分自身の内面が露出した純粋な絵だ。 つたない絵だが、残っている絵は他にない。 私の絵画人生は未完で終わったのだから、これは、 私の人生の最高傑作であろう。 夏子姉さんの絵にも想いが行く。 夏子姉さんの絵は誰にでも喜ばれるだろう。 けだし、どんな家や、壁にでも、ぴたりとマッチして 家や壁を上等に引き立ててくれるだろう。 クールで垢抜けている。 100歩譲って、飾ってあってじゃまにならない作品だ。 それは、 私のように、自己顕示欲が全くない ひそやかにその壁や室内で輝く作品なのです 私の絵はどろくさくて、 どうかすると絵だけがめだつ。 部屋にしっくりこない。 部屋を身奇麗に引き立てない。 私の絵を掛けたらその辺がださくなる。 どなたかの何かに役に立たない作品なのです。 私の絵が似合う場所は、アトリエなのです。 汚れたアトリエの隅に無造作に置かれるか、 イーゼルにちょんと 忘れられたようにキャンバスが残っている そんな場所か、 薄墨いろに汚れたアトリエの壁にポツンと ちょっとゆがんで掛けられたら似合うのです。 変です。 不思議です。 そういう絵は 、もしかしたら、 その絵のために作った場所でなければならないのかもしれません。 (どやがお)えへへ よく大きなホテルとか、大きな建築物の玄関ロビーなどに 大画面の絵やタペストリーや、壁画が高名画家の名で描かれていたりします。 また、緞帳に有名な画家による絵が織られていたりします。 その大抵は、 ダサ~~~イ!と、私はいつも思わせられる。 何故こんなダサダサの絵を大切な緞帳などに用いるのだろう・・ 何故こんなダサダサの絵を大切な玄関ロビーの壁に描くのだろう・・ いつも、がっかりするのです。 でも、 私は分かったのです。 私があるとき、友人の詩集の挿絵を頼まれた時 出来上がった本を開いて、あっ!と叫びました。私の絵が、あまりにも強烈で、 詩がかすんでしまったからです。 それは、明らかに失敗でした。 友人は部屋にあふれた詩集の山を、誰にも売りませんでした。捨てたのです。 私の挿絵は、私の絵であって、詩を輝かせる挿絵にはなりませんでした。 私が高校の美術クラブで勉強した芸術は 芸術のための芸術なのです。純粋芸術なのです。 夏子姉さんの勉強は インダストリアルデザインでもあり ドレスデザインでもあり、 デザインイラストでもあったのです。 そして、イラストレーターとなり、デザイナーとなったのです。 出発点が全くちがうのです。 私の勉強した純粋芸術は、 夏子姉さんのめざした、何かの為に、誰かの為に心地よい 好みの何かを引き立てるためのデザインとは、 根本的に出発点で違うのです。 不思議なことですね。 以前、友人から母親の写真を渡されて、 肖像画を依頼されたことがあった。 私は、写真の着物の着こなしが、変だなと思ったけれど 不細工なものは、不細工に描いた。 すぐに友人から描き直して~と言われた。 2度とは、肖像画の依頼はなかった。 だはは :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: ありがとうございました。 皆様からの大きなコメントが私の支えとなりました。 楽しかったです。 この辺で 絵は、削除させていただきました。 ほんとうに、ありがとうございました。 うれしかったです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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