少年とストライカーと約束
2002年日韓ワールドカップでのデンマーク代表FWトマソンと1人の少年の交流記。感動を呼ぶエピソードとしてインターネットで流布されたため、ご存知のヒトも多いかも。
その実話をベースに、オシャレで温かみのあるイラストで構成した絵本。装丁もオシャレです。 話の内容については「トマソン 少年」などと検索すればきっと読めます。オススメ。
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上記絵本に出てくるデンマーク代表の監督はモアテン・オルセンといいます。
僕が初めて購入したサッカーダイジェストの86年メキシコW杯展望の記事の中で、初出場ながらダークホースとして有力視されているデンマークのキャプテンである彼が採りあげられていた。
当時の所属チームはベルギーのアンデルレヒト。誌面では、世界でも有数のリベロと書かれていた。(僕は見ていなかったが)84年の欧州選手権で優勝したフランスに次ぐインパクトを与えたチームがデンマークで、エルケーア、ラウドルップ等に加えて、優れた攻撃センスを持ったリベロのモアテン・オルセンが今大会の注目選手であるとのこと。
彼は語る。
「今まで対戦した中で最も怖いプレイヤーはヨハン・クライフだね。僕はミシェル・プラティニと代表・クラブで対戦している。たしかに怖い選手だが、こちらが何も出来ないということはない。全盛期のクライフと対峙したときは、なにもさせてももらえなかった。どちらが優れているかはわからないが、怖いと思ったのはクライフだ。」
「デンマークのサッカーはずっとアマチュアのサッカーだった。実際、サッカーで食べていけるのは今でも一握りの選手だけで、僕もサッカー選手として成功しなかったときのために、ペンキ塗り工の資格をもっているんだ。」
「ベルギーのサッカーはしたたかだよ。彼等は、そんなに派手なプレーはしない。けれども試合をコントロールする能力に長けてて、けっして負けないんだ。ワールドカップでも彼等はそのしたたかさを発揮すると思うよ。」
上記内容は、20年前の記憶によるものなので所々正確ではないかもしれない。中学生になったばかりの僕がサッカーを通じて初めて「海外」に興味を持つようになった時期で、かつ現在と比べ海外サッカーの情報が極端に入ってこない時代だったため、その頃のサッカー雑誌は隅々まで繰り返し読み込んだものだった。(ちなみに僕は“ダイジェスト”派だった。なんとなく“マガジン”より海外記事や通販のカラーページが多かったのがその理由)
しかし、それだけで単なるモノクロ1見開きの地味なページの記事を20年後まで覚えているわけではない。その雑誌を買ってしばらくしてからの、メキシコW杯でのデンマークの活躍が大きかった。僕にとっての処女W杯となったメキシコ大会は今でも僕にとってのベストW杯であるが、VTRを見るとわかるとおり、現代のサッカーと較べるとそのスピードの遅さ、スペースの余裕さにおいて完全に「昔はよかったなぁ」の世界である。その中でデンマークの“縦”に疾走するプレースタイルが特別なことは、当時でも一目瞭然だった。エルケーア・ラルセン、ミカエル・ラウドルップ、そしてモアテン・オルセン。予選リーグでは、スコットランド、ウルグアイ、そして西ドイツにも2-0で勝った。サッカーダイジェストのモノクロページで見た、やや枯れた表情の(当時でも皺が多かった)モアテン・オルセンは、すごい選手だった。リベロとして西ドイツ戦でもドリブル突破で攻めあがったりして、存在感抜群だった。
旋風を巻き起こしたデンマークだが、決勝トーナメント1回戦でスペインの若いFWエミリオ・ブトラゲーニョ1人に4得点を許すという崩壊を見せる。実はこの試合は、当時ニュース映像でも見逃してしまい、どのようにデンマークが
葬り去られたのか、今もって見ていない。ところが、YouTubeにそのシーンが少しだけUPされていた。ヒサンである。
さて、何故、今、モアテン・オルセンなのかというと、日本の次期代表監督に推したいから。国際的に有名な選手だったが、監督としてもアヤックスでリーグ優勝、デンマーク代表を日韓W杯で決勝T進出(予選リーグ2勝1分)、EURO2004ベスト8と充分。最近では、ドイツ代表監督としてアーセン・ベンゲルとともに候補者に挙げられたり、オランダ代表監督候補にもなったり、そういう存在です。今回のドイツW杯欧州予選では、6勝2敗4分でグループ3位となりプレーオフには進めなかった(2位のトルコとは勝ち点1差)。その後の去就が注目されたが、どうやらデンマーク代表監督を継続するようであり、日本代表監督就任というのはちょっと難しそうだ。。。