言葉2
隣に何週間か坐った女性が帰国の時、挨拶をしてくださる。もちろん言葉を交わすことはない。坐る時間を共有していただけだ。でも彼女とは一瞬で心が通じたような気がする。また会いましょうねと別れる。不思議な関係だが、心が通じたと感じて、暖かい気持ちをいただく。これは坐ることを共有したものでないと体感できない。坐禅は素晴らしい、とか坐禅をするとすっきりします。そんな言葉が空しくなる時だ。坐禅について語れないのもこんな時です。私はお寺にお世話になって、座って、挨拶をして帰るだけの毎日です。坐る時間をいただき、場をいただいています。修行僧の皆様とも言葉を交わすことがありません。ただ、出会えば手を合わせ、丁寧にお辞儀をしてくださいます。私もそれを真似ます。坐禅を始めて少しづつ言葉が少なくなったような気がします。