靖国参拝におもう。
靖国参拝について。ぼくは憲法を専攻しているので人より関心がつよい、かもしれない。いろいろな賛否があろう。私的にもいろんな考えがあるけれど、それは心にとどめたい。ただ1点、首相の行為の賛否はいろいろだが、これだけはいえる。政治の命=言葉・口いったん言ったことは貫徹する。これを守ってきている小泉首相は政治家としては信頼はできる。ちなみに、わたしは郵政民営化には最後まで反対している。一方の小泉氏は一貫して民営化を言ってきた。というかむかし、小泉氏は民営化をとなえたものの、だれからも支持をえられず、最初の総裁選だったであろうか、橋本龍太郎に微笑されたこともあった。それがいまはどうだ。みんなYESマンではないか。当時は自民党議員のほぼ全員が無関心ないしは反対だったではないか。自分のいったことには責任をもて。責任もてなければしゃべるな。これはぜひ、言っておきたい。それはそうと、この間の靖国訴訟は、、、うーんと考えさせられてしまった。っていうか今回だけではないが、、、。それは以下の観点から、である。首相の靖国神社参拝行為は違憲。けど首相勝訴。これはいったい、なんなんだろう。政教分離規定は客観法である。そしてこれに関する賠償規定が現在、ない。地方は住民監査請求からきた賠償規定がある。ようは、賠償規定がないのに裁判をしている、ということになる。これはなんなのだろうか。違憲判決をえるために裁判を行なう。これはこれで手法としてあるのかもしれない。敗訴した原告は上告しない、としている。おそらく、賠償を取れないことを認識しつつ、目的である違憲判決ができ、上告して覆される可能性をおそれたから、であろうか。違憲判決をえたわけで、目的は達成できた、ということなのだろうか。〔もちろん、勝訴であった首相側は制度上、上告できない。〕制度がなければ選挙で政策協定を結んでそういう法律を作ればいい。現在の裁判所が「賠償」を肯定すれば立法行為を行なうことになってしまうから事実上はできないであろう。したがって、国会を通じて行なえばいい。すくなくとも、こうおもう。ねじれ判決に抵抗を感じる