山の手 散策(その3)
シリーズ 山の手 最終章 っす… ネタ切れだから ご勘弁w山手234番館 ( ここも 山の手クリスマス で 紹介したトコね♪ )昭和2年頃 朝香吉蔵 の 設計 で 外国人向け集合住宅「アパートメントハウス」として建てられ 創建当時 は 左右対称・上下2階の4戸でした。山手234番館 に 向かって左側 は 山の手 散策(その2)で 紹介した横浜山手聖公会教会堂があります山手234番館 と マジェ♪山手234番館 の 向かい の 元町公園 に 設置されている 自動電話1900年当時 の 電話ボックス の スタイル が 六角すい形の白塗りでした昔は 「自働電話」と呼ばれていました。1923年 の 関東大震災 復旧作業 で 取り入れられた 「自動交換機」と区別するために「自働電話」と呼んでいたのを「公衆電話」としたそうです。これにより 交換手を呼び出す必要があった「自働電話」は 自動的につながる「公衆電話」へと進化していきました中を 覗いてみると… レトロ感 を かもし出しては いるけど 普通の公衆電話でしたw元町公園 内 に建てられているエリスマン邸 ( ここも 山の手クリスマス で 紹介♪ )平成2年 元町公園 に 移築されたこの館は 大正15年(1926)に スイス人貿易商 エリスマン氏 の 私邸として建てられました。木造2階建ての白く美しい洋館は 近代建築の父 アントニン・レーモンドの設計。1階各室には 彼の設計した家具が復元展示され 2階は「横浜山手地区」の資料館となっています。エリスマン邸 と マジェwエリスマン邸 の 隣にあるベーリックホール( ここも 山の手クリスマス で 紹介♪ )J.H.モーガンの設計により 昭和5年(1930年)に建てられたイギリス人貿易商・ベリック氏の邸宅です。1956年~2000年までセント・ジョセフ・インターナショナル・スクールの寄宿舎としても使用されました。戦前の山手の個人邸としては最も規模の大きいもので 多彩な装飾など 建築学的にも充実した 価値ある建物ですベーリックホール は通りより 奥まった この門の中 に 建っているので バイクは 入れません… ショボーン(´・ω・`)ベーリックホール を 少し過ぎるとカトリック山手教会聖堂(山手カトリック教会)山手カトリック教会 の 前身は 文久2年 に フランス人神父ジェラール が 建てた 横浜天主堂です。日本で初めてのカトリック教会と言われています明治39年 に 現在の場所に移築され 煉瓦造の聖堂が建てられました しかし 大正12年の関東大震災で倒壊し 昭和8年に現在の聖堂が建てられました。設計者は チェコ人の建築家 J.J スワガー庭にある マリア像 は 横浜天主堂 時代から 受け継がれているそうです ↑クリックすると 拡大します最後に カトリック山手教会聖堂 の ちょっと先 にある 山手イタリア山庭園 内 の 外交官の家 ( ここも 山の手クリスマス で 紹介♪ )J.M.ガーディナー の 設計 で 明治43年 に 建てられましたアメリカンビクトリア様式 の 建物は重厚で 内部 の ステンドグラス は 当時の様式 を 映しています 邸内 は 家具や調度類 が 復原され 当時 の 外交官 の 生活を感じること が できます【国重要文化財】ブラフ18番館 (山の手クリスマス で 紹介♪ ) も この中にあるんだけど 奥まったところに建ってるので バイク との 2ショット は できません… (´・ω・`#)ショボーン (*・ω・ノ)ノ【゜+。:.゜♪以上 山の手散策 でした♪゜.:。+゜】 山の手 散策(その1)は こちら ・ 山の手 散策(その2)は こちら