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想い出は心の宝石箱に。。。

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2020.08.29
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カテゴリ:社会問題
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​​​ 皇子のような団塊の世代は、また全共闘世代でもありました。

​​​​​​​

 ​全共闘​​とは、全学連( 大学の学生自治会、全国連合組織で共産党系 )とは

   違い、70年安保闘争または大学紛争の時、学部やセクトを越えた
連合体のことを

 称します。

 

 

​​ 全共闘運動は、68年から69年にかけて東大や日大闘争に端を発し、​​全国の

 大学へ< 燎原の火のごとく >広がり、これに参加した大学は100
校にも

 上りました。


 69年に全国全共闘が結成され、形として頂点を迎えますが、実質的には​全共闘の

 時代はここで終焉し、内向きなゲバルトとセクト間の抗争に、​
終始するように

 なってしまうのです。

 

 
       

               

 

 

 

 1970年代に入ると、内ゲバによる殺人、連合赤軍によるリンチ事件、あさま

 山荘事件、そして連合赤軍によるよど号ハイジャック事件などにより、
急進的な

 学生運動は大衆の支持を急速に失いました。


 そして、当時活躍
​​した全共闘闘士達も、次々と思想転向し体制に組み込まれて

 いったのです。​​
​政治家として猪瀬前都知事、塩崎前安倍内閣官房長官、仙石前

 菅内閣官房長官や​
​文化人として、上野千鶴子、坂本龍一、立松和平、テリー伊藤

 などがそうです。​

 

 

 国家権力に対する無力さ・虚無感という社会情勢の中で、国民の支持​​を受けた

 歌手が藤圭子。あの暗くて低いトーンで飾られた演歌、​​
​< 怨歌 >と

 呼ばれる歌声だったのでした。​

 

          

     
                 

 

 藤圭子は岩手県一関市生まれで、1969年< 新宿の女 >でデビュー、1970年

 < ​圭子の夢は夜ひらく ​>が大ヒットし、第十二回日本レコード大賞

 を受賞。1960年代から1970年代初めにかけて、一世を風靡した
​​歌手でした。


 2013年8月22日、新宿のマンションから飛び降り自殺し、62歳の​​
短い

 人生を終えました。

 


​​ < 歌は世につれ、世は歌につれ >の言葉通り、その時代が

 求めている​​
歌や歌手がいて、それがヒット曲を生み出す要因となっているの

 でしょう。


​​ 娘の宇多田ヒカルは、

​​

 ( 悲しい記憶が多いのに、母を思うとき心に浮かぶのは、笑っている彼女です。

   母の娘であることを誇りに思います。彼女に出会えたことに
感謝の気持ちで

   いっぱいです。 )

 とのコメントを、彼女のオフィシャルサイトで当時発表しました。

 


   
宇多田ヒカルさんの母親で歌手の藤圭子さんが東京都新宿区内の建物から転落し、死亡していたことが8月22日、関係者への取材…



      (^^♪

           六十、七十、八十と

           年金暮らし 夢がない

          過去はどんなに明るくとも

          静かに お迎え待つのみ

                         (^^♪
 


 くう~~~~~・・・寂しい~~~~~!!! 
 
 


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Last updated  2020.08.29 12:46:55
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