戦いすんで日が暮れて 。。。
戦いすんで日が暮れて・・・ 全14番まである有名な軍歌、< 戦友 >の7番の出だしの文句です。 探しに戻る心では、どうぞ生きていてくれよ もの等(なと)言えと願うたに・・・ 親しい戦友が、戦闘中に撃たれて倒れる。しかし、その直後に突撃命令が出たので、 見捨ててゆかざるを得ない。 戦いが一段落してから、様子を見に行く場面の 歌詞です。もちろん、戦友は亡くなっていました。 戦争の修羅場を体験し、生死を共にした戦友の絆は、想像を絶する強い ものがあるでしょうね。 戦争体験でなくても、同じ職場で苦労を共にした、仲間達の絆も同様。 そんな仲間が年2回集まって、お昼を食べながら昔話に花を咲かせます。 そのアレンジは、上司が毎回するのですから、ビックリポンでしょう?! かっての上司も81歳となり集う部下達も、当然ジジババ集団となりましたから、 まあ~~老人会といってもいいでしょう。上司をいれて男子4名、女子4名で、女性は なぜか全員おひとりさま。 新丸ビル5Fの蕎麦< 石月 >でのランチ。 手前 右 新じゃがいもの鴨挽肉あんかけ 中 ししゃもの南蛮酢 左 そば豆腐 奥 右 山うどと筍のきんぴら 中 玉子焼き 左 鴨ロース お味のほど・・・・なんだかなあ~~・・べっぴんさん風に・・ 右 海老と春野菜の天婦羅盛り合わせ 左 もりそば( 石臼挽き自家製粉手打ち ) この御蕎麦は、美味しかったでしたね~~!!! 御蕎麦では、会食も1時間程度で終わってしまい、その後新丸ビル7Fの珈琲 ショップで雑談。 皇子は中途退席し、< 戦いすんで日が暮れて・・ >では、ここに行かな ければと。 (^^♪ おっ母さん ここがここが 靖国神社 記念の写真を 撮りましょうね (^^♪ そうです、あの英霊を祀る靖国神社。 毎年8月15日になると、総理や閣僚が参拝したとかしないとかで、必ず マスコミをにぎあわせます。 はい、皇子は皇族という公人でなく、あくまで悠々愛々という私人で、お詣りに まいりやした。 それにしても、平日というのに、この人の多さはなんでしょう???? 東京は桜が満開!!というテロップで、昨晩のニュースが千鳥ヶ淵の 映像を、流したからかしら??? 靖国神社(正式名称は靖國神社)は、江戸時代の幕末、長州藩(山口県)で1863年に結成された奇兵隊士の霊を弔うために、高杉晋作(1839~1867年)が招魂社造営を発議したことに始まります。 これを機に、幕末、明治維新期の戦没者を慰霊、顕彰する動きが全国的に活発になり、日本陸軍の創始者である大村益次郎(1824~1869年)が、明治天皇に東京に招魂社を創建することを献策。 明治天皇は翌69年、現在の東京・北九段に「東京招魂社」を創建し、戊辰戦争の戦没者3,588柱を合祀(ごうし)し、本殿が竣工したのは3年後。その後1879年に、軍直轄だった東京招魂社は、「靖国神社」に改名しました。 第二次大戦中、靖国神社は日本兵の「心のより所」となり、軍国主義化の中で戦死者が、「英霊」として祀られました。しかも、戦後東条英機を初めとする、A級戦犯が合祀されているところなのです。 今の日本の繁栄が、多くの戦没者の御霊の上で、成り立ったことは 自明の理。戦没者を追悼し、不戦を誓い、御霊に首を垂れることは日本人として 当然の事で、外野席からとやかく言われる筋合いはありません。 問題は、戦没者と戦争犯罪人とが、合祀されているところなのですよね。 それでは、亡くなった先人たちに手を合わせ、御朱印を戴きますか・・ あちゃ~~~・・・・長い行列・・ 戴いた御朱印は、靖国神社らしい落ち着いた、シンプルなものでした。 ブログ村ランキング、二つのジャンルに参加しています。 下の画像を、ポチ・ポチと応援クリックしてね。 ↓ JAFMATE ブログコンテスト、5月10日までの累積アクセス総数で競われます ので、今日もここをクリックして貴方の清き1票を!! http://jafmate.jp/blog/campaign/post-01.html