雨上がりの後に咲いた花
プリンスの新譜が素晴らしい。 『LOTUSFLOW3R』 プリンス/ブリア これは80年代に大ヒット作『パープルレイン』を買った人なら、ぜひ購入して欲しい作品集である。 というのも、この作品はパープルレインの続編だからである。 と書くと、大勢のファンから「おまえ何見当違いなこと言ってんだ!!」と叱られるかもしれない。または、『パープルレイン』の続編といったら、『グラフティブリッジ』があるじゃないかとも言われそう。 このアルバム『LOTUSFLOW3R』は3枚組。 一枚目がプリンスがプロデュースした新人歌手ブリアのファーストアルバム。 二枚目がプリンスのギター全快のアルバム。 三枚目がプリンスのミネアポリスファンク集。 それぞれ異なる趣向の、焦点が絞れた3枚組。これのどこが『パープルレイン』なんだとおっしゃる気持ちもよくわかる。しかし、考えてみると『パープルレイン』のリリース年にはザ・タイムの『アイスクリームキャッスル』も発売されていたし、アポロニアを中心とした『アポロニア6』も発売された(さらにはシーラEの『グラマスライフ』も発売されている)。これすべてプリンスが大なり小なりかかわっている作品である。プリンスからすると、同時進行で進めて行ったプロジェクトだろうし、実を言うと彼の頭の中ではこれらは3枚(正確には4枚)で1つの音楽だったのかもしれない。当然そうだろう。どれも彼の音楽には違いないのだから。 ザ・タイムは映画『パープルレイン』で登場するプリンスのライバルバンド。映画の前から結成されていた実際のバンドで、ブラス隊を使わない特徴あるファンクサウンドでミネアポリスサウンドの中核を担っていた。実はプリンスが作曲プロデュースすべてお膳立てしたバンドで、ファースト、セカンドアルバムはプリンスが完パケしたものをバンドに演奏させ、歌わせたものらしい。 それではプリンスは何故わざわざザ・タイムに自分の作ったミネアポリスファンクを演奏させたのだろう。自分でやればいいことだったのじゃないだろうか。ところがそこにプリンスのしたたかな戦略が伺える。プリンスは初期の段階からファンクをやっていたのだけど、徐々にその役割をわざとザ・タイムに与えていった。それはプリンスがその頃からジャンルに縛られないトータルミュージックを目指していたからで、そのため白人女性(ウエンディ、リサ)をいれたバンド、ザ・レボリューションを作っている。でも、そういうバンドを作れば、嫌でもあの有名なファンクバンドを連想してしまう。そう、スライ&ザ・ファミリーストーンである。スライのバンドも白人黒人混成のファンクバンドだったのだ。 ただプリンスの目指しているバンドはロックもでき、ジャズもでき、ファンクもでき、もちろんソウルだって歌えるジャンルに縛られないバンドだった。その実りある結果が『パープルレイン』であり、ジャンルを超えて、黒人はもとより、白人にも受け入れられるスーパースターの座を手に入れることになる。 そこでザ・タイムの登場である。プリンスはファンク好きな側面をこのバンドで発展させ、ファンクという枠に縛られないための隠れ蓑としたのではなかろうか。ただ実際のところ、後にザ・タイムの人気がプリンスより先行してしまい、ザ・タイムからどんどんメンバーが離脱してしまうことになる。 このことを考えると、『LOTUSFLOW3R』の「MPLSOUND」はプリンスのミネアポリファンクの集大成を表現したものであることがよくわかる。プリンスは長い歳月をほんとうに地道に努力し、今ではプリンスが何のスタイルで表現しようがプリンスミュージックとして通用するようにした。そして同時にレコード会社に縛られずに好きな音楽を製作する環境にいる。だから別のバンドを使ってファンクする必要もなくなり、自分で自分の発明したミネアポリスファンクをより洗練されたものにして今回提示したのがこの作品だと思う。 では、発売前から話題(?)にあがっていたブリアのソロ「ELIXER」はどうなのだろう? これも『パープルレイン』で登場したアポロニアのバンド『アポロニア6』から考えてみたい。アポロニアは映画『パープルレイン』で登場するプリンスの恋人役。そのバンドがアポロニア6。プリンスはプリンスファミリーの女性(またはその女性をメインにしたバンド)のアルバムを全面プロデュースすることが多く、そのことから自分の彼女を売り出すために企画したものじゃないかというかんぐりが根強く残っていた。当然、僕もそう思ったし、今回のブリアのようにプリンスサウンドのおまけのような扱いしかしてこなかった。 ただ今回、『LOTUSFLOW3R』の3枚セットを聴いて、どうやらそれだけではないようだと、今ごろになって気が付いた。 プリンスのボーカルに関することである。プリンスの声はどちらかというと線が細い。80年代を見渡せば、ロックではブルーススプリングスティーンやU2のボノのような張りのあるボーカルではなく、かといってソウルではマイケルジャクソンやスティービーワンダーのような特徴のある声というわけでもなかった。どうころんでも馬鹿売れするような声ではなかったと思う。ところが、この天才は早い時期からそれを克服するべく、ありとあらゆる手法を学んできた。 それがセルフプロデュースであり、自分のボーカルを生かしたサウンドアレンジであり、ファルセットやシャウト、カミールヴォイスに多重ボーカル録音へとつながっている。実に努力で弱点をどんどん克服して、『パープルレイン』の頃には、誰とも比べようが無いボーカルとサウンドを身につけていた。「自分をプロデュースできるのは自分だけだ」といっていたのは真実だったのだ。ただ、プロデュースできるのは自分だけでなかったということだ。プリンスの弱い声に近い、どちらかといえばボーカル力のよわい女性アーティストだけは例外だった。 プリンスのサウンドをそのまま当てはめるだけで女性アーティストはそれなりのアルバムが作れる。ただ、ここには自分の彼女を売るため以外の目的がちゃんとあったことが今ではわかる。それはプリンス自身のサウンドの客体化である。自分のサウンドが今どこに向かってるのかということを女性アーティストの作品を完成させることで向き合うことができるのだ。これはプリンスにとってとても大切なことだったに違いない。だから時代時代でプロデュースした女性アーティストを丁寧に聴いていくと、プリンスがどういう風にサウンドを変化させてきたのかわかるようになっている(ただ残念なのは、それらは今廃盤状態で手に入りくいことである。)。 今回のブリアのアルバムをじっくり聴いてみて欲しい。そしてできるならその前の元妻マイテのアルバムと聴き比べてみて欲しい。プリンスがここ数年でどういう風にサウンドを変化させていったか、ほんとうによくわかる。最後に、僕はこのブリア自身のボーカルは結構気に入っていることだけは付け加えさせてください♪ 長くなってきたが、肝心の最後の一枚。「LOTUSFLOW3R」は『パープルレイン』と似ても似ないではないかといわれるだろう。確かにそうだ。ただここにこそ、プリンスが長年頑張ってきた成果がある。 プリンスは純粋の黒人ではないが、黒人の血が混じっているためにブラックミュージックの範疇をでることができないことに初期の頃から苛立ち、そうではなくジャンルに分け出来ないトータルミュージックだということをしつこく証明しなければならなかった。 プリンスがギターを弾くことから、真っ先に連想されたのがジミヘンドリックスである。どちらかというとサンタナのギターに近いのだが、そんなこと関係なく黒人がエレキを弾いたらジミヘンドリックスだったのである。そういう単純な発想にどれだけプリンスが苛立ったことだろう。おそらくレコード会社からもそのように言われたことも少なくないに違いない。そこでプリンスはアルバム制作において、丹念にジミヘン色を消しながらギターを弾いてきた。比較的ギター全快の『パープルレイン』でさえ、そうだった。もちろん、ライブではジミヘン丸出しだったけれど♪ 現在、プリンスは誰にあれこれ言われずにアルバムを制作できる環境にいる。ジミヘンのフレーズを使って曲を作っても、出来た曲はちゃんとプリンスミュージックになっている。これは『パープルレイン』ではとてもできなかったことだ。 また「LOTUSFLOW3R」を初めから聴いていくと、スローな曲が続いていて、昔だったらレコード会社があれこれ口出ししてしまうんじゃないかと思っていると4曲目から、そのスローさがいい興奮につながっていることがわかる。これも『パープルレイン』ではできなかったことだ。 そしてカヴァー曲があるのも昔では考えられないことだっただろう。これは『イマンシペイション』のとき、レーベルから開放されたときにたくさんのカヴァーを収録したことで、当時はカヴァーをいれないというのがレコード会社(ワーナー)の条件だったのではともいわれていた。 そう、今回「LOTUSFLOW3R」で試みたことは、当時の『パープルレイン』では出来なかったこと尽くしなのである。そう考えると、このアルバムが、改名後、ラブシンボルの作品を経て、プリンスに名前を戻してから、何を獲得したかがほんとうによくわかる作品になっている。それがファースト、セカンドを思い出す爽やかさを獲得していることを僕は素直に喜びたいと思う。 『パープルレイン』を発表後、プリンスはありとあらゆるもの(名声、評価、お金、地位など)を得た。それは僕らでは想像も出来ないくらい大きなものだっただろう。プリンスは子供のころは何でも欲しがったと曲で歌っている。 しかし近年は、2度の離婚、愛する息子との別れ、肉親の死、とほんとうに実生活で多くの大切なものを失ってきた。でもそれは失うことでしか得れないものを獲得出来たと思う。 それがこのアルバムをより深みのあるものにしているように思う。 ここまで書いてきて、いかに『パープルレイン』から遠くにきた(四半世紀である!)、実り多い成果があったかがよくわかっていただけたのではなかろうか。 つまりこの『LOTUSFLOW3R』はジャケット風に言うなら、四半世紀にわたって紫の雨が降り続いてきた後に咲いた、紫の雨を滋養にして育った花なのである。だからこの紫の蓮の花が選ばれたのではなかろうか。 『イマンシペイション』発売時のインタビューで「パープルレインとホーリーリヴァー、どちらが好きですか?」という質問に、プリンスは「歌はどれも自分の子どもたちだからどちらかというのは選べない」といっていたのを思い出す。 ならばこの『LOTUSFLOW3R』とは『パープルレイン』という子供の大きくなった、成長した姿なのではないだろうか。 この3枚組を聴きながら、僕はそんなことを考えた。