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カテゴリ:北の大地から
スッテーーーーーーーン!
横断歩道で豪快にこけた・・・・。 三日前の日記でいかにこけたくないかを強調したばかりなのに・・・。 普通の歩道は比較的雪もサクサクしてるのだが、車の往来によって凍結度が増している横断歩道はほんとに危ないのだ。 不幸中の幸いだったのは、休日にクリーニング屋へYシャツを取りに行った道中だったので、 1.手ぶらだった → 受け身をばっちりとれた(柔道経験は中学の授業のみ) 2.ジャージにジャンバーという姿だった → ちっとくらい汚れても平気さ! という二点である。 なんて箇条書きするほどのことでもないのだが(苦笑)。 ともかく、これで一皮むけた私のさらなる成長が期待されるところではある。 いや、二度とこけたくないな、やっぱり・・・。 職場の病院ではひょんなことから臨床検査部の部長さんと仲良くなって、生理検査や病理検査などについてのいろいろなお話を聞かせてもらっている。 中でも、我が病院でも導入が進んでいる「自己血輸血」についての話が非常に興味深かった。 輸血と聞いて我々がイメージするのは、献血などで集められた他人の血液がA、B、AB、O型の分類に基づき手術患者などに注入されるというものではないだろうか。 厳密にはこれを「同種血輸血」といい、今日の輸血の主流なのだが、他人の血液をもらうことにはウィルス感染、免疫反応など、多くの危険を伴う。 そこで考えられたのが自らの血液を輸血に用いる自己血輸血である。 血液は骨髄で作られ続けるものであるし、自分の血であれば拒否反応の心配もない。 このアイデアは以前の日記でも紹介した臓器の再生という考えに共通したものがある。 (過去の日記、「どこまで許される?:遺伝子工学と未来の医療」参照) もちろん、一度に自分の血液を取り出してそれを輸血に使うのではなく、一定の間隔をおいて数度に分けて血液を採取し、それを後に使うのである。 ここで課題となるのが採取した自己血の保存方法である。 その方法論・技術について、赤血球と血漿を遠心分離したり人体に無害な保存薬を使用したりといった種々のやり方を部長から教えて頂いたが、それにしても専門的な話はむずかしー(苦笑)。 いずれにしても医学の進歩というものは本当にすごいものだと実感した。 自分の体の中がどうなってるのか、特に脳っていったい何者なのか、なんて考え始めたら、それはそれは哲学的な問いかけになるだろう。 一番身近な自分の体(人体)というものがこんなに奥深いとは、やっぱり人生は灯台もと暗しだなあ、と思うのであった(笑)。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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