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カテゴリ:おべんきょう
今年の春闘は5年ぶりのベースアップが話題となった。 んー、「春闘」って春季の労使交渉の意味で普通に使われてる言葉だけど、素直に解釈したら花見で酔っ払った方々の乱闘みたいだ(笑)。 そもそも労使の交渉が「闘う」ことを前提としているのがすごい。 いやいや、産業革命が円熟を迎えた19世紀前半のイギリスで低賃金・長時間労働・児童労働が問題になり資本家の行き過ぎた搾取を抑制する工場法が制定された歴史を考えてみれば、これは止むを得ない表現なのかもしれない。 中学生の時、文化祭の学年劇で「繭の歌(『あヽ野麦峠』より)」というのをやった。 農家に生まれた女の子達が「口減らし」として製糸工場に労働力として売られ、劣悪な労働環境のなか結核にかかり亡くなってしまう・・・。 19世紀末から産業革命が始まった日本における資本家による搾取の凄まじさを物語っている。 今考えてみると、全編暗~い雰囲気漂うそんな劇をやる中学校もすごいな(笑) いや、劇中で自前の剣道着に身を包み竹刀を片手に女工達に罵声を浴びせる「工場の見張りB」を私にやらせたのも間違ってるでしょう(苦笑) 確かに現在はそこまで極端な「搾取」は行われなくなったかもしれないが、依然として組織(企業)の個人(従業員)に対する力の大きさは圧倒的であろう。 大学3年生の時、「労働法」の授業を履修した。 法律というものは条文ばかり見ていてもピンとこないし頭にも入らない。 そのためにケーススタディとしての判例が多く用いられる。 「こんなに(元)従業員と企業って法廷で争ってるの?!」 この授業で受けた印象である。 それは就職活動を直前に控えていた私にとってかなり衝撃の連続であった。 詳しい話は忘却の彼方だが(笑)。 しかし、労働者の権利を守るための労働三法(労働基準法、労働組合法、労働 関係調整法)の存在や裁判制度の意義は学べたと思う。 もうすぐ(2006年4月)施行される公益通報者保護法(公益のために通報を行った労働者に対する解雇等の不利益な扱いを禁止する法律)も主旨は同じだろう。 今日(2006.3.28)の日経新聞の「経済教室」(27面)のコーナーにはこんな記事が載っていた。 「新時代迎えた労働組合~格差是正で指導力発揮を」(清家 篤 慶應義塾大学教授) 著者のゼミ(労働経済)には複数の友人が入っていたので名前だけは知っていたのだが、去年厚生労働省の医療関連の審議会の委員として出席されているのを見てその芸域(?)の広さに驚いた。 ごく簡単に要約をすれば、これからの労働組合の役割として、「正社員間や正社員・非正規社員の間にある賃金格差を前にどう全員に納得が得られるルールを企業側と作る」ことを挙げている。 この記事では、当たり障りのないことしか書かれていないように感じたが(失礼!)、働く者としての我々が抱える今後の課題がわかりやすく説明されていた。 1.【正社員間の賃金配分】 これまでのベースアップという考えとは異なり、「企業の業績回復への貢献度は、個々の労働者で異なるわけであるから、賃上げも一律ではおかしい」と考えられるようになってきた。(いわゆる成果主義・能力主義) 2.【正社員・非正規社員間の賃金配分】 パートタイマーなどの非正規社員の割合が著しく上昇する中で正社員との賃金格差が問題視されるようになってきた。 3.【高齢化への対応】 『高年齢者雇用安定法』の改正によって企業は2006年4月から段階的に65歳までの雇用義務を課せられる。 そこでは「年功的な賃金、処遇制度の抜本的な見直し」が不可欠である。 筆者の言う、「新しい人口、競争環境の下でのあるべき賃金制度について労使で智恵を出し合って」いくこと、そういった動きを「企業レベル、産業レベル、そして連合と日本経団連といった全国レベルで議論」することには賛成である。 しかし、人事評価制度1つとっても完全な評価というのはあり得ないのが難しいところだ。 間接部門の評価が難しいところはさることながら、結果を比べやすいと見える営業部門でさえも、本当に個人の売上成績だけを物差しにしてよいのか疑問が残る。 直接自分の売上にはなっていなくても売り方のスキル共有、人脈の紹介などにより組織の売上貢献をした者をどう評価するのか。 個人だけを評価の対象にすることはナレッジマネジメント(情報共有)の阻害要因になりかねない。 一方、少子高齢化の中で労働生産レベルを維持・改善するためには、生産効率を上げるか労働力をどうにかして拡充する必要がある。 生産効率の向上はこれからも努力が行われるだろうが、労働力の拡充の1つの答えが筆者も指摘する高齢者の活用である。 記事には詳しい言及はなかったが、私は女性の積極登用と外国人労働者の活用もこれから大切になってくるのではないかと考えている。 賃金格差という文脈でも男女間の賃金格差、そして低賃金で使われる出稼ぎ外国人の問題は見逃せない。 記事でも出産・育児休暇支援制度については少し触れられていたが、在宅勤務も含めて女性が働ける環境作り、そして経営を担う人材の輩出は必須である。 なんたって今の日本の経営陣に女性の数は少なすぎる・・・。 ( 2004-11-03- 『国際ビジネス社会での女性の地位とは:明日のプレゼン準備』参照) 外国人労働者の活用に関しては、産業革命期の搾取を繰り返さないフェアーな環境作りが求められるだろう。 例えば、2006年中の発効を目指すフィリピンとのFTAは、フィリピン人の看護師、介護福祉士の受け入れという労働市場の一部開放に初めて踏み込んだ画期的な内容である。 外国人労働者の受け入れというテーマについてもっと議論をしなくてはいけないだろう。 ニート対策というのもあった。。。。 働くことの意義をしっかり考えるという作業はいつまでも大切なものであるが。 以上、非常につれづれではあったが、企業と個人の関係、賃金格差を軸に労働の在り方について少し考えてみた。 それにしても、我々は何歳まで働ける、あるいは働くことを求められるようになるのだろう。 何はともあれ健康第一で楽しみながら頑張っていきましょう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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