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カテゴリ:アメリカ文化を考える
「いらっしゃい!タイムサービスでトイレットペーパー安いですよ!」
今思うと私の経済活動との関わりは「物を買うこと」より「物を売ること」から始まっていたかもしれない。 決して無理やり働かされていたわけでないので悪しからず(笑)。
実際、店の手伝いはすごく楽しかった。 品物の価格感覚、1円でもお釣りを間違えると厳しいおばちゃんのシビアさ、レイアウト変更による売れ行きの変化、などなど、そこには「小売」のエッセンスが凝縮されていたように思う。 前掛けをつけたランニング・半ズボン姿の小さな店員はお客さん、特に年配の女性から人気者であったし(笑)。
正月の3日以外は年中無休という店を営む父が、車で「お出かけ」に連れて行ってくれたのは数々の問屋であった。 そこで仕入れに同行し、 「うちで売ってる値段より安いじゃん!でもこんなにまとめて買わないといけないのかー」という発見や、「うちの商売ってのは売った分だけもうかってるわけじゃないんだ。利益っていうのは売った値段から仕入れた値段を引いたわずかな分の積み重ねなんだ。」という商売の基本を自然に覚えていった。
昭和末期、私が店番をしていた頃、年末はものすごい忙しさだった。 新年に向けて買いだめをする消費者が多かったからである。 特に一年の最後の一週間は文字通り「一家総出」だったなあ。 しかし、大手スーパーの出店が相次ぎ、さらに元旦営業を開始するようになるにつれ、商店街の集客力、繁忙期の消滅といった事態に遭遇した。。。。。
父は商店街の会長として大型スーパーの出店に際しての交渉や商店街の活性化に向けた努力を続けてきた。
しかし、個人商店、またはその集合体としての商店街と大型スーパーの共存は本当に可能なのだろうか。 ビジネススクールの授業でもそんなテーマのディスカッションをしたことがあったが、けっきょく結論はでなかった・・・。
日経新聞では2006年4月4・5・6日の3日間に渡り、『巨人ウォルマート~独り勝ちの代償』という連続記事が掲載された。 アメリカ発の巨大スーパー、ウォルマートの功罪について書かれている。 ほとんどが「罪」の部分だが(苦笑)
4日(上):効率経営に批判 アメリカをはじめ世界各地に5,000店舗以上を有するスケールメリットをフル活用し、世界中から低コストで商品を調達、同時に約170万人抱える従業員の人件費を抑制する「効率経営」が激しい批判を浴びているという。 中でも中国から去年調達した商品の総額は約200億ドル(!)であり、アメリカの対中貿易赤字の1割を占めた。
5日(中):“社員冷遇の代名詞” 従業員向けの医療費負担を削った結果、ウオルマートで働く人々とその家族は無保険か低所得者向けの公的保険制度に依存している。 私が留学中すでにアメリカの医療政策の中で問題とされていたが、今年(2006年)1月、とうとうメリーランド州で「対ウォルマート法案(大企業に一定額の医療費支出を義務づける法律)」が成立した。
6日(下):介入する政治 1990年代まで政治と無縁で成長したウォルマートであるが、「組合リスク」の高まりを受け経営よりの政策を進める共和党政権に接近する。 自己の既得権益を死守するためにロビイストを使って政治に影響を持とうとする姿は、先日の日記で紹介した巨大製薬企業の姿に重なる。
最近ヒットしたドキュメンタリー映画『The High Cost of Low Price(低価格の高コスト)』 では、ウォルマートの企業活動がいかに一般市民(従業員、地域小売店、周辺住民)の生活を脅かしているかが描かれている。 題名はウォルマートのキャッチフレーズ、「Everyday Low Price(毎日が低価格)」を文字っているのだろう。 予告編(動画)はこちらから。 そこにはまさに「ウォルマートが出店した地域にはぺんぺん草一本残らない」というような雰囲気が漂う。
アメリカに滞在していた時は私もウォルマートで買い物をした。 牛乳から猟銃まで恐ろしい数の品揃えに驚いたのを覚えている。 レイアウトの雑さは感じたが、確かに価格は安かった。
消費者として「1つの場所で何でも安く買える」というのは理想だろう。 その環境を可能にするのが現在のウォルマートの巨大なスケールメリットと言えるかもしれない。 しかし、健全な競争・地域社会との共存を無視した、周囲の全てをなぎ倒しての「独り勝ち」はやはり受け入れられないのではないか。 そして、自社の従業員を大切にしない企業が長続きするとは思えない。 「従業員満足(Employee Satisfaction)」は「顧客満足(Customer Satisfaction」の基礎であるのだから。
そんなことを考えさせられた。
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