絶対音感
最近、絶対音感=悪 のような議論が展開されています。某教えて掲示板ではw その理由として、すべての音がドレミで聞こえてうるさい、移動ド音に対応できない、必要無い、というのが大きな理由。確かに絶対音感者は移動ド音には対応できません。ニ長調の曲をハ長調読みでは絶対に歌えません。あるアニメでオープニング曲を「ソラソラソラソラミ、ソラソラソラソラファ」と、ドレミで歌った曲がありました。私はこれが、歌えません。 なぜなら、これはヘ長調の曲をハ長調読みしているからです。 実際の音は「ドレドレドレドレラ、ドレドレドレドレ♭シ」。ド、の音を出しながら、ソと歌う事は、絶対音感の持ち主には出来ない事なのです。なので、歌っているときちんとソはソの音になってしまうのです(笑)。 絶対音感では「ドは、ドの音程を伴ってド」であり、「ソはソの音を伴ってソ」なんです。しかもピアノで訓練する事が多いので、440hでと固定されれば440ヘルツと441、または439ヘルツの区別もできます。 さて、絶対音感を日常生活に置き換えて説明すると、定規の12cmを0.5センチ刻みで正確な幅を言い当てる事ができる、というような能力です。1cmは?と聞かれれば、+-1ミリ程度の誤差で言い当てられる。便利ですねwしかし普通の人でも大体1cm、は当てられると思います。ただし+-1~9ミリ程度の誤差はあるでしょうけど(笑)。これが音で言うと一般の人がもつのは相対音感。相対音感ではだいたい5センチ、ができます。絶対音感ではそれがカクジツに5cm、となるだけ。 相対音感ではドはド。これが実際の音はソであっても、ドでもかまわないのです。ソラシドレ の音程で ドレミファソ、と歌う事ができる。ドレミは単なる音の名称なのです。実際の音は伴いません。 そうしてここまで踏まえた上で。私は絶対音感で自然の音すべてがドレミで聞こえる事はありえないと断言します。 嘘言うな、オレは全部ドレミで聞こえとるわ!という方もいらっしゃるでしょう。というか、いますね。しかし、絶対音感ではそれはあり得ないのです。 なぜなら絶対音感は12平均率を用いて設定された12の音(ド#ドレ#レミファ#ファソ#ソラ#ラシ)を判別できるだけだから、です。定規で言えば1cm、1.5cm、2cm、2.5cm....です。しかし、自然音は12音ではあり得ない。1cmの中には1.1もあれば、1.9もあるんです。さらにナノサイズやらなにやらも。絶対音感ではそれは1センチではなく、1センチっぽいもの、にしかならないのです。 ギターのピッチベンドなんてそうですよね。テケテケテケテケ、なんてありますが、あれを「オレにはドシ♭シラ♭ラソ#ファファミ♭ミレ♭レド」と、聞こえる」という人がいたら、アリエマセン。と答えます。なぜならあれは弦を滑らせて押さえているのであり、ドの次はシではないからです。ドとシの中間、さらに中間、の連続なんですから。12平均率では表せない音なんですから。ドシ♭シラ♭ラ...っぽいですが、ソレではあり得ないのです。 しかし、自然音すべてがドレミで聞こえるという現象は確かにあります。ならばそれはなんなのか。 私は、それは、相対音感の発達した人、と考えます。 相対音感なのでドとド#の境が曖昧です。しかし、ドかドではないけど、レでもない音はド#になるのです。ですから、鳥の声でも風の音でも雨音でもドレミの名前を付けられる。しかし、例えば鳥がピチクリピーと鳴いても、決してミレミファミ~ではないのです。なぜなら、鳥には音階という知識がないからw ミに近い音から始り、レに近い音になり....が正解であり、ミレミファ...ではないのです。だから、絶対音感者にはドレミで表せる音ではないから、ドレミには聞こえない。ピチクリピ~なんです。 が、相対音感の発達した、音の名前も分かる人、ではミっぽい音から始り、レの#でも♭でもない音だから、レであろう、そうして次は同じではなくレの#でも♭でもない音だからミであろう、という認識から、ミレミア...と聞こえてしまうんだろうと思うのです。 人の声もモーターの音も一緒の理由。私は絶対音感ですが、兄は相対音感です。そうして、ラップを音に置き換える事が出来ます。こんなカンジ、といとも簡単に。そうしてああ、なるほど、それっぽいね、と私は思うものの、いざ自分がやろうとすると「これっぽいけど違う、きもちわるい。」となる。初めの音をミとするのは良いけれど、次はレの#とミの間の、でもレに近い音であり...とピッチベンドをかけて、でもまだビミョーに違う..。となってくると、混乱して表せなくなる。 相対音感の兄は、大体ソレ、でいいので、気楽にできる。そうしてこれだよ、と断言してしまえば、自分では出来ない私もああなるほど、と納得してしまうw だいたい声なんてモノには絶対音はないんですからw こんにちは、とかさようなら、という言葉にはあまり抑揚がないので、簡単に音に表す事ができます。ラララララ~とか、ソソ~ソソ~とか弾けばそれっぽい。私はミに近い音で言う事がおおいですが、日によってはラだったり、ドだったりもします。すべてそれっぽい音。出せ、と言われればラで言う事もドで言う事も可能ですが、普通の人はそんなこと意識もしない。だから、ラで言っていたよ、といわれればそうなんだ~~~!と納得するだけ。自分がそうだ、と思い込めば、ラにしか聞こえなくなるのが、自然音すべてをドレミで聞こえる人。 だいたい雨音がドレミで表せるわけがないんです。屋根にあたったり、葉っぱにあたっり、道路だったりカサだったり、木、バケツ、植木鉢、...様々なものにあたった音が総合して聞こえているんです。それらすべて、発する音は違う。だから、ドレミが混在しているわけで、どれか一つの音に聞こえるわけがない。相対音感の発達した人はそれが、ソっぽく聞こえる→ソである。と認識してしまうのでしょう。 絶対音感がいけないのか? 違います。 絶対音感は楽しいものです。パトカーのサイレンがシ~ソ~シ~ソ~ラ~ファ~ラ~ファ(ドップラー効果入りw)で聞こえるのは楽しい。弾いているピアノなどの音がすべてドレミで判別できているので、手許をいちいち見る必要もない。何の音?と言われれば、コップの音だろうが、パソの作動音だろうがドレミで言う事が出来、周りが感心してくれる(笑)。楽器の音合わせでも正確にあっているかの判別も容易い。 ただ、楽器とピアノの音が違っていたりすると、これはすさまじく気持ちが悪いし、人に鼻歌を歌われて音が正確でないとこれまた気持ち悪い。ドなのにソと歌えと言われるのは、不可能である。と、難点もありますが。 音楽の道に進まなければ、まっっっったく必要のない能力ではありますので、ただ何となく面白いから子供に身に付けさせよう、は、結果的に「相対音感を非常に発達したモノ」にしてしまう可能性があるので、止めた方が良いとは思いますが、悪者ではあり得ない、と断言しておきます。 ちょいと某所で人の能力をけなされてムカツいたので延々語ってみました(爆笑)