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カテゴリ:歴史の話し
1890年(明治23年)、わが国で最初の衆議院選挙が行われ、300議席が
人口に応じて各府県に割り振られた。今と違って一票の格差のない公正な割振り。 首都の東京府には12人、大阪府には10人が割り振られた。 そうしたなかで、それを越える13人の定員を得た県があった。 新潟県である。 1988年(明治21年)の統計によると、 新潟県の人口は166万人で全国第一位、2位は兵庫県、3位は愛知県で、 東京府は135万人で4位、大阪府は124万人で6位だったのである。 明治維新から20年余りの日本は、人口の90%が農業で生計を立てていた 農業国であり、都市化もそれほど進んでいなかった。 こうした中、日本一の米どころで、幕末に門戸が開かれた「開港5港」のひとつ である新潟港を持ち、佐渡の金山も控えていた新潟県には、多くの人が集まる 条件が揃っていた。 当時の新潟新聞の社説でも、「我越州ノ富ハ天下ニ冠タリ」と賞賛する記事が 残っている。(以上は、AGORA誌「新潟県議会旧議事堂」より抜粋) 皆さん、いかがでしょう?この記事を読んで、認識を新たにしたんではない でしょうか?小生もびっくりしながら読みました。 記:とらのこども お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008.07.10 09:08:11
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