テーマ:韓国!(17296)
カテゴリ:韓国よもやま話し
言葉は時代とともに生まれ、時代とともに死ぬ。死んだ言葉が化石となって残ることもある。奈良時代の日本語には、今日の「の」にあたる「つ」という助詞があった。今日「まつげ」というのは「目の毛」ということである。「つ」という助詞は死語となったが、複合語に痕跡を残しているのである。地名はこのような化石の宝庫である。
それだけに、現代語では容易に解釈できないものも多い。さまざまな民族が移動と興亡を繰り返す大陸では、一つの言語にこだわっていては解釈できないことも多い。しかし、日本の地名を考えるときには、「まず日本語で考え、近隣諸言語での解釈はそのあと」というのが、地名研究の常道であろう。 「奈良」が朝鮮語(=韓国語)だという説がある。現代朝鮮語で「ナラ」というと、「国」のことである。古代の渡来人たちが自分たちの国を作るんだという意気込みで、新しい都を「ナラ」と名づけたという。この説は、祭りの「ワッショイ」という掛け声が朝鮮語の「ワッソ(来た)」からきているという説とともに、在日韓国・朝鮮人の間では広く普及している。 なぜ普及したかというと、感激がほしいからである。異国で不当な扱いを受けていればいるほど感激は大きい。その気持ちは分かるし、冷や水をかけることには申し訳ない気持ちもあるが、私はどちらも信じることはできない。「来た」という意味の「ワッソ」という表現ができたのは、やっと19世紀になってのことである。さらに、地名語源についての信憑性を高めるには、一般の語彙以上に、いろいろな手続きを必要とするのである。 まず考えられるのは、同じ地名を集め、地形などの共通点をさがすことである。 「ナラ」という地名は、大和の奈良以外にもこの日本列島にたくさんある。「奈良田」とか「楢川」というように「ナラ」を含む地名まで含めるとさらに多数に上る。それらの土地に共通なのは、何らかの意味で平らな所、なだらかな地形の所だということである。「ナラ」と対照的な地名としては「サガ」がある。古語で「さがし」といえば、「けわしい」ということである。奈良時代の文化を築く上で、朝鮮からの渡来人が大きな役割を果たしたことは事実だが、それが「ナラ」朝鮮語説を裏付ける根拠になるわけではない。 作家の金達寿(キム・タルス)氏は、軍隊が踏みならしたから「なら」とついたという説話を持ち出してきて、それと対照させて朝鮮語説の信憑性を高めようとしているが、これはフェアではない。だいたい記紀や風土記の地名説話というのは、神話に合わせて地名を意味付けようとしたもので、もともと信用できないのである。奈良は別に軍隊が踏みならさなくても、もともと平らな盆地にある。「平城京」という別名にもその語源意識が残っているのかも知れない。奈良市の北にある奈良山という丘陵地帯は、万葉集では「平山」と表記されている。 「奈良田」は山梨県にあり、平家の落人村だとされるほどの山奥にある。「楢川」は信州の木曾谷にある。一方、福岡県に京都郡という郡がある。「みやこ」と読む。むかし、筑前国の国府が置かれたところである。岩手県には宮古という市があり、三陸沿岸の中心となっている。「ナラ」が都という意味ならば、それぞれの地方の中心地にありそうなものである。なお、地名を解釈する上で、漢字表記はあてにならない。徳島県に「十八女」という地名があるが、これで「さかり」と読む。しかし、実際には土地が「下がり」ぎみの所にあたるのでついた地名だと考えられている。漢字表記はしばしば語源俗解に基づくことが多い。また、のちに読み替えが起こることがある。 朝鮮語の「ナラ(国)」については、訓民正音諺解などのハングル創製時の文献に、naraではなくnarahと表記されていたという問題もある。日本の室町時代にあたる15世紀にもなって末尾のH音が残っているということは、さらに古くはK音であり、古く朝鮮語を取り入れたのならば、「ナラカ」というような形になるはずだという指摘もある。この問題について確かなことは二つしかない。一つは、日本に「ナラ」という古都があること、もう一つは、現代朝鮮語で「国」のことを「ナラ」ということである。そして、二つの事実を確かに結びつける論拠は、実は何一つないと言ってよい。 以上は、「ことばの散歩道」より要部抜粋。 http://homepage1.nifty.com/forty-sixer/timei.htm にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009.03.05 22:34:27
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