テーマ:ささやかな幸せ(6742)
カテゴリ:健康のはなし
慈愛といい、慈母といい、慈悲という。
「慈しむ」という言葉は、その行為に無私の大きさを感じさせます。 「慈しむ」ことに関して、孔子はこう言っています。 真に人を慈しむ(仁の)心や行いを考えた時、いつの時代においても、 人の助けを必要とする人々、苦しい状況(貧困、心身の傷病、被災、 社会上の問題、家族の問題)等に置かれた人々が存在する。 その人々に思いを向けない人が、己に克ち(我欲への強い執着心を離れ) 人を慈しむ真に仁の人であるとは言えないものであると。 それは、何時(いつ)かしようと思うことでは成立しない。 一日、あるいは一時(いっとき)であっても、只今思うのでなくては、 真の仁の心(行い)は成就しません。少しの仁を行うことであっても、 日常の中にあっては実行が困難なことなのです。 顔淵仁を問う。 子曰く、「己(おのれ)に克(か)ち礼に復(かえ)るを仁と為す。 一日も己に克ち礼に復れば天下仁を帰(ゆる)す。 仁を為すこと己に由る、人に由らんや」 また孔子は、仁者は(義において)勇者であると言っています。 しかし、義(正義)の伴わない勇気は、 危険な蛮勇となり得るとも言っています。 勇者は必ずしも仁者ならずと説かれているのです。 わたしは、そういう仁者の雰囲気を、オバマ米国新大統領に感じます。 それは只の気のせいであるかもしれません。 しかし、それが真実であることに、大きな期待と畏怖の念を持ちつつ、 新しい時代の幕開けに偉大な光明であって欲しいと祈っています。 記:とらのこども お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008.11.06 21:32:57
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