テーマ:徒然日記(23506)
カテゴリ:韓国よもやま話し
韓国の旅
韓国での旅は、気付きの旅である。 普段、忘れていたいろいろなことに気付くことが多い気がする。 父母ではなくとも、ご先祖様を遡り、10代、20代、 そして50代もの時を遡れば、韓国の地は祖先地のひとつで ある日本人がほぼ100%ではないか? いわゆるルーツである。 ところで、自分の行動様式、思考様式とは、気付かぬうちに、 あらゆるサブルーチンプログラムで自動化されているものだ。 全く文化の違う地でなく、似ていることの多くある韓国だから そのプログラムの違いに気が付く。 わたしの興味のある対象は、人そのもの。 「こころ」にこそ非常な興味がある。誰かの琴線を鳴らしたい。 楽器に演奏法があるように、誰かの心の琴線に触れるのにも 決まった手順があるようだ。そこに国境はない。 こどもと仲良くなれる人、動物と仲良くなれる人は、 外国の人と会話ができなくても、きっと大丈夫。仲良くなれる。 目をやって、気をやって、隠れたり、笑ったり、おどけたり、 言葉の必要ない気持ちのやり取りが可能だ。国境なぞない。 さてさて、本題の韓国の旅。 そこでは困ったことがあればあるほど、困難があればあるほど、 韓国の素敵な琴線に触れることになる。 流れる水のように過ぎ去ってはいけない。 淀む水のように、お土産物屋でじっと商品を眺めてみると良い。 食事するときもローカルの食堂でひとり寂しく食べるといいのだ。 なぜかしら、誰かが話しかけてくる。 お前は日本人か?、私の叔母が日本に住んでいる。 子どものときには、素敵なお土産をいっぱいもらって可愛がって もらったものだ。。。などと、自分語りをする人が現れる。 時間の許す限り、その人の話しを聞く。 最後には、別れを惜しむ一会となる。名残りを惜しみつ別れる。 旅をしながら、出会い、別れを繰り返す。 それは、他人と出会っているようでいて、自分自身との出会い、 別れのような気がする。わたしはそう思うのだ。 彼は、彼女は、もしかして「わたし」なのだとの錯覚がたのしい。 そして最後に、元の場所、元の自分に還る。 記:とらのこども ps 思うに、旅とは、「人生ゲーム」。 他人様と会っているようでいて、内面の自分との邂逅である。 韓国の旅では、愛憎もあり悲喜交々、自分だけでなく日本を 発見する旅でもある。心して旅に出たい。 素敵な出会いのあることを、心よりお祈りいたします!! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008.12.23 17:22:11
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