テーマ:徒然日記(23494)
カテゴリ:私のつぶやき
労働の意味を合理的に考えると、
「生活の糧を得る」ということですが、 働くということは、同時に心を鍛える側面も持っています。 仕事に懸命に取り組み、 苦労を重ねるうちに、心が磨かれていくからです。 このため、「心を鍛える」「心を磨く」ということは、 「勤勉に働く」ことと同じ意味だと思います。 しかし今、このようなことは世の中では 言われなくなってしまいました。 これが世相の荒廃に反映しているのではないでしょうか? 俗に言う「貧乏人の子沢山」の家庭からは、 グレる者はほとんど出ませんでした。 もちろん、悪いことをする子はいましたが、 それは許せる程度のことでした。 また、外で悪さをしても、家に帰ったら母親が必死で内職して いるのを手伝うなど、家族で団結して貧しさ、苦しさに耐える ことは忘れないでいたはずです。 そうした子は、学校の旅行に貧しいから一緒に行けないことも あったでしょうし、遠足のおやつが買えないこともあったでしょう。 それでもひがまず、懸命に耐えて生きていた。 貧しい境遇に育ちながら、むしろ精神的に強い。 そういう子がたくさんいたものです。 それが今日、豊かになって何も不足がない状況になって、 かえって少年犯罪が多発している。いじめも、暴力も止め処ない。 さまざまな理由があるでしょうが、 あまりにも物質的に豊かになった代償として、 苦難に耐えたり、誇りを持つということが なくなったからだと思います。 その最大の原因は教育です。 教育とは、学校にあっては先生が、家庭にあっては両親、兄弟が、 全身全霊であたらなければできない大きな仕事のはずです。 それを先生は、時間労働者のように、 親のほうも、叱るべきときに逃げたりしてないでしょうか。 「小人閑居して不善を為す」という言葉があります。 悲しいかな、それが人間の本性です。 働くことの価値観を改めることが大事だと思います。 なるべく働かずに多くのお金をもらうのではなく、 毎日、一所懸命に働くことで、 生活の糧を得られるだけでなく、精神的な満足を得られ、 人間を磨くことにもつながるのだと。<引用終わり> かつて、祖父母の世代、父母の世代にはそうした考えが 普通にありました。 失礼ながら、団塊の世代前後の皆さん、その子供たちが、 最も大きく崩れているように感じます。 それこそが、今日の社会の荒廃の原因だと私は思います。 働いて、働いて、額に汗をする。 そういう若者が光り輝いていて、最高に素敵です!! そういう彼ら、彼女らを、 温かく見守り、手助けし、応援したいです。 「徳と正義」中坊公平、稲盛和夫共著(2002年)より。 発行:PHP研究所 ↓↓↓ 応援してくださるとうれしいです! にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009.08.02 18:31:18
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