托鉢
托鉢をしている尼僧さんから連絡があった。 北海道をスタートして今は九州の大分県を歩いているとのこと 山陰地方を歩いているとき雪に見舞われ足湯のありがたさを 身をもって感じたありがたさなど。 さすがに大分は暖かく鹿児島に向かって歩いている 大分の知人にたのんで 一夜を過ごせていただくことにした。 長く歩いていると言葉を交わすことがなく 孤独との戦いである、人との言葉の あたたかさをわかってもらうために無理を承知でたのんでみた。 快く受け入れていただき本当に頭の下がる思いだ 甘やかしてはいけないと思いながらも 全国を歩き通して何かを学んでほしいと思っている。 前にも同じ寺を出発した僧侶が四国で足が止まってしまった 浮世を歩いていると やはり自分との戦いである 修行といえども現在の若者を目の前にして無になってただ 歩き続けることのむなしさを考えると足が止まってしまう。 私は甘いといわれるかも知れないが 約半分歩き終えたところで家庭の味を思い出して ほしかった。 いろんなところで一つ一つの経験が身につけばと思いつつ 親の飴玉かもしれない。 私も60を越えた今でも修行をしなければいけない。