親の教え
私には、93歳になる母親がいる。あるとき私に、庭にある池は何のためにあるのか?私はぽかんとしていた、お嫁に来たときおじいさんに池のふちに案内されよく見なさいと言われたそうである。池は姿見の池で、ただお魚を眺めるだけのものではない。そよ風でもさざ波が立ち自分の姿を映すことは出来ない。ほとんどの、神社、仏閣では大きな池があってどこからでも見ることが出来る。周りの木々を写真のごとく写し、よく見れば優雅に泳ぐ鯉も見ることが出来る。日本古来の精神統一、心の休めを教えていただいたような気がする。 年の瀬になって今年の反省と来年に向かっての心の整理をしてみた。統一地方選挙に挑戦するときも、こういわれた。岩魚、あゆにならないように食べるときは美味しいが縄張りばかり気にして泳いでいる。カジカになりなさいと、カジカは不恰好でもどんなに脅かされても逃げてばかりではない。近くの石にしがみついて、目は常に上に、大きなえらでその場の水を吸いながら場を読む。負けたけれど、くじけるな、これからが一歩前に出ることが出来るではないか。 先日お歳暮を送ってくれた、毎年そうであるが田舎のしょうゆと決まっている。これを元手に、自分で味付けをしなさい。いつまでも元気でいてもらいたいが、電話があってあちこち痛くなってきた、へぼくなってだめだといっていたがもっともっといろいろ教えていただきたい。年末にあたり親の教えを思い出した。まだまだいろいろあるが、機会をみて書きます。みなさんよいねんまつを 送ってください。