函館山
早いもので私が函館を出てから25年以上が経ちました20代の前半までは札幌にいたので、しょっちゅう帰省してましたが内地に行ってからは、なかなか帰省できず今年の9月に帰省したのは、1999年以来なんと9年ぶり 当たり前の話だけど街並みもかなり変わってました子供の頃通っていた学校は新しいモダンな建物になっていたりあちこち高層マンションが建ったり「あれ、あそこの・・・」と言うのが多かったそれでも変わっていなかったものの一つが函館山この山を見ると、帰ってきたなあとしみじみ思います↑実家に近い鈴蘭ヶ丘町から見た函館山↑小学校の頃、毎日見上げて通っていた函館山考えてみれば、毎日この景色を見て学校に行ってたんだもんなぁ↑函館港をクルージングする観光遊覧船「ブルームーン」から見た函館山↑青函連絡船 摩周丸から見る函館山(船内からガラス越しに撮ってるので、青みがかかってます。スミマセン)画像中央、まっすぐに伸びてる坂がチャーミーグリーンで有名な八幡坂、登りきったところにある学校が北島三郎の出身校である函館西高。ハリストス正教会や旧函館区公会堂もこの坂のすぐ近く↑大森浜にある石川啄木小公園から見る函館山函館にゆかりのある歌人(詩人)石川啄木の像があります津軽海峡に面したこの大森浜。東に湯の川温泉から恵山岬を望み、西側は立待岬。目の前には津軽海峡の青い海が広がります。生前、彼はこの浜をとても愛していたそう。碑には彼の詠んだ「潮かをる 北の浜辺の砂山の かの浜薔薇よ 今年も咲けるや」の歌が刻まれています。砂浜を歩くと、気分は石川啄木?ですかねその石川啄木は、像の背中にある函館山のふもとにある弥生小学校で代用教員をしていたことがあるそうです。その頃住んでいたのも、函館山のふもとにある青柳町。啄木も毎日、函館山を見上げながら街を歩いていたのでしょうね。耐震強度の問題でゆれている弥生小学校ですが、事の次第によっては函館の街並みにも大きな悪影響を与える可能性があります石川啄木の像は元町を含む西部地区のある函館山に背を向けて、何かを考え込んでいるようにも見えます・・・なんて思うのは私だけ?