全日本仏教会に先日の件で電話しました。
あえて死刑賛成?ー全日本仏教会の死刑反対に抗議する
全日本仏教会ホームページ
「死刑廃止について」理事長談話
現時点では死刑制度廃止を表明する予定は無いとの回答を得ました。
ただ、死刑制度について仏教団体として踏み込むべき問題かどうか
については相違があり、全日本仏教会は死刑制度の議論を
継続するようですが、私は死刑制度問題を仏教団体が扱うことには
反対です。
少し前に書きかけになっていた日記ですが、その理由を理解して
もらえたらという意味で公開します。
先日、台所で何かが動いた?
ゴキブリにしては大きい。ネズミにしては小さい。
未確認生物です。
しばらくして、カサカサ音がする。
カーテンを開けると・・・ネズミの影が見える。
ネズミ捕りを仕掛けねばならない。
まずネズミ捕り登場。
ネズミを捕まえたことは無いですが、ミドリガメを捕獲した
少し大型のネズミ捕り。
餌を仕掛けて、それを取ろうとすると、
蓋が閉まる仕組みのものです。
これなら、捕まえたら外へ放せばよい。
それを設置して、餌をつけておいたら・・・
餌だけ食べられた(ーー;)
もっとギリギリで落ちるようにセッティングを
変えてもダメ(ーー;)
そういうことを何度か繰り返し
仕方なくネズミホイホイも設置。
ネズミホイホイは殺してしまうので
やりたくは無かったのですが・・・
すると、捕まるわ捕まるわ、結局5匹のネズミが
捕まりました。
ほとんどのネズミはすぐに死んだのですが、一匹のネズミは
しばらく鳴き続ける。
かわいそうなので、ネズミホイホイから剥がして、
外に放してやろうと思いましたが・・・取れない。
少しだけ餌をやると食べていましたが、
結局亡くなりました。
ネズミにしても、寒くなったから入って来ただけだろう。
侵入口を調べると、多分床下から入ったと思われる。
夏に掃除をした時に、隙間を開けてしまっていた。
こちらとしても、かわいそうだから放置するというわけにも
行かないので、結局殺生することになってしまった。
侵入口と思われる場所は、厳重にふさぎましたが、
何しろ築250年の建物ですから、
完全に隙間がない状態にはできない。
ネズミからすれば、理不尽な話だ。
自然界に生きる動物だから、食べられたり餓死したりするなら
仕方がない。
しかし、たまたま、暖かいところを見つけて入って
罠にかかって死んでしまうのは、納得できない話だろう。
最近の動物被害を見てもそう思う。
動物からしたら、たまたま餌がなかったりして、里へ下りてきた
だけなのだ。
一方で、人間からすると、せっかく作った物を荒らされるのは
かなわない。
それは、虫でも同じです。
害虫・害獣といわれるものの、それは人間にとってだけ。
その生き物にとってみれば、生きようと必死に
なっているだけなのだ。
一方で人間からすると、作物を荒らされるのはもちろん、
自分の家の中を荒らされるのは気になる。
人間と動物を完全に分けてしまえば問題は無いのだが、
それも難しいし、どうかと思う。
家の中でペットを飼っている人も多いだろう。
それが、他人にとっては我慢できない事があるということを
理解できない人も多い。
また、どんどん山を開発するのはどうかと思う。
林業など生活に関わる事ならやむを得ないと思います。
しかし、遊びで登山や観光のために山を整備するなどは
馬鹿げた話ではないでしょうか?
だから、私は自然を遊びで破壊する四国遍路道の整備にも、
四国遍路の世界遺産化にも反対です。
普段、都会に住んでいる人が、山へきて
「やはり自然はいいですね」
と言うのを聞くと
「山に住めよ。人里へ出てくるな」
と嫌味でも言いたくなる。
人間が住みやすい街にしたのが都会ですから、
そこからわざわざ出なくてもいいだろう。
やはり動物の生活する場所も確保してほしい。
必要のない開発はやめてほしいものだと思います。
話がずれてきましたけど、人間は動物と
どう共生したらいいんでしょうね。
仏教では、不殺生戒(生き物を殺さない)があって
その意味は、他者によって生かされていることを理解する
というところでしょうが、現代では必要以上の
殺生があるような気がする。
というか私はしてしまった。
ネズミが納得できるような回答がわからないです。
仏教の六道輪廻の考え方からすれば、ネズミにも人間と同じ権利が
あるのが当然だろうと思う。
全日本仏教会がいうように
「殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ」
というなら、それは動物に対しても当てはまるはずだろう。
仏教が原則として死刑反対というのは当たり前で
わざわざ表明する問題か?
死刑制度だけに限定した議論をすること自体が
おかしな話だと思います。
いかがでしょう?
生ごみをあさるカラス (野生動物被害から考える環境破壊今、動物たちに何が起きているの) [ 三浦慎悟 ]