労研饅頭
昨日書いた労研饅頭ですが、名前に相応しい謂れがあるようです。昭和初期、倉敷の労働科学研究所(労研)で中国の饅頭(まんとう)を作ったのがそもそもの始まり。労研とは、当時のクラボウの社長であった大原孫三郎が、労働者の環境改善のために設立した研究機関。当時の女工の厳しい労働環境を配慮し、手を汚さず、素早くエネルギーを補給できる食品として開発された。場所は変わって昭和初期の松山。当時の松山は、深刻な不況下。夜学生の学資を確保することも困難だった。「夜学生に学資を」と松山夜学奨学会で製造を初め、学校の売店などで販売された。その後、労研饅頭は個人営業の竹内商店(現在の販売店「たけうち」の前身)が製造販売。戦火の拡大により、1943年には小麦粉も入手難となり、販売休止に追い込まれた。しかし、受け継いだ酵母は守り通され、1945年の終戦後には早くも販売が再開されている。一方、岡山や京阪神では戦火によって労研饅頭の酵母が途絶えてしまい、京阪神では労研饅頭そのものが復活することなく、消えてしまった。こうして、戦後唯一残った「たけうち」が1952年に「労研饅頭」の登録商標を取得した。高度成長期には洋菓子などに押されたが、保存料などを使わない自然食であることが見直され、松山の名物菓子として定着している。平成22年(2010)に改築された綺麗な店内には、出来上がったばかりの労研饅頭が所狭しと並べられている。訪問のしるしに、ポチしていただけると嬉しいです。コメント頂ければ、応援Pします。にほんブログ村