さて、中盤でございます。
事務所にて
オーディションにまた落ちてしまった大雅。しょうがないからバラエティにねじこもうという社長。もうバラエティで親の七光りトークするのはもういやだと駄々をこねる大雅に、そんな仕事しかこないのがお前の実力だと社長はばっさり。
なおも食い下がる大雅だけれど、どうも自分の勘違いに気が付いていない。
出だしの「親の七光りトーク」を嫌がる大雅君はいかにも大雅君らしい。こういうトーンで駄々をこねるキャラって初だね、松本君。そういう細かな部分できちんとその「キャラ」らしさを出してくる。
航太郎さんが現場で倒れたと!
小倉一郎さんです。こんなところに!こういう渋い方がきゅっとドラマを締めてくださいます。
この報を聞いて、さっと顔色を変える大雅。父親の身をめちゃくちゃ案じて不安になってるのがよくわかる。
病院に駆けつける大雅と社長
ここで家族にころっとだまされる大雅がもー可愛いのなんのって!!!
真っ青になって航太郎の肩を揺さぶっていると突然航太郎が目を開く。
「人生風の如く 生きるも死ぬも風の吹くまま気の向くまま シャシャッ やあ、愉快愉快」
ここでもまだ目の前で起こってることについていけず、茫然としたままの大雅。
「な」とお茶目に言われ、母親と兄貴が爆笑するに至ってようやく事を理解する。
「なんだよ、だましたのかよ!」
この言い方!
このセリフ回しがまたいかにも大雅なんですよ。
今までのどの役とも違う大雅のリアクション。
それがね、めちゃくちゃ可愛いのなんのって!
こういう一つ一つのリアクションの積み重ねで、大雅の嫌みのない可愛らしい人柄が表現されていきます。
ここでは同時に、末っ子の事を愛してやまない家族も描かれます。
末っ子が糞真面目で人を疑うことを知らない子だってのがよくわかってるから、家族全員でいじってしまうっていう。
航太郎は多分、大雅の前ではいつまでも変わらぬかっこいい父親でいたかったのでしょう。大げさに倒れたのにただのねんざだったなんて恥ずかしくて言えない。そんな姿を次男坊に見せたくなかったのでしょうね。
そしてからかわれたことに腹を立てながらも、それ以上にほっとしている様子の息子大雅。
その息子の姿を見て、航太郎パパはまた一段と息子が愛しく思えるんだろうなと思いました。
さりげに家族水入らずの時間を作ってあげる社長さんがまたいい味を出しています。
兄の大貴は家族と同居はしていないのですね。そして新任が副担任でついているらしい。おそらくそれが小松彩夏さんなのでしょう。彼女がこれからどう関係してくるかも見ものです。
楽しそうな家族の語らいをいじけて眺めるみそっかす気分の大雅がほんとにわかりやすい。
焼き肉店で親友慶太と
生意気な女だったと詩織のことを慶太に愚痴る大雅。
名前も知らないのにって大雅の真似をする慶太がいい!親友なのがよくわかります。
海辺での再会
ここはですねー。
挿入歌を流すタイミングが悪すぎる!
この一語に尽きます。なんかそこでがくっときたので集中力がそがれました。
それを引きもどしてくれたのが、マッハチョッ速で自転車漕いでる詩織を見つけた大雅の表情でした。
いた!の後に続く、うっとり、ぼ~っとした顔。そんなに会いたかったのかこの野郎。
ぼ~っがニヤニヤに移行する寸前はっと我に返って詩織の後を追う大雅。
そして号泣する詩織を見るわけです。
自転車漕いでる時の詩織の表情とこのあたりはばからぬ号泣から察するに、よほど耐えかねる何かがあって、泣きたくて泣きたくて海辺に駆けて来たのがよくわかります。
おそらくそれは「詩織の謎」に関係してるんでしょうね。
ただ、印象的になるはずのこの海岸でのシーンが、やはりいまひとつのめり込めませんでした。詩織との出会いの場面と同じです。
詩織の感情の転換がよくわからないのです。
さっきまで号泣してたのに、なぜそんなケロッとした面持ちで、嬉しそうに小走りで駆け寄れるの?と疑問に思ってしまいました。
彼女の感情の変化についていけませんでした。
「楠大雅さん!?」
フルネームを呼ばれるインパクト。
とても重要な場面だったんですけどねえ。
役者の演技に落ち度はありません。二人ともきちんと大雅と詩織を演じていた。竹内さんに至っては、この支離滅裂な詩織の感情を演技的技量でなんとか違和感なくつなぎ合わせた感じです。もう、ほんと竹内さんの演技力の力技。
演出の澤田さんも、もうちょっとどうにかできなかったのでしょうか…って思っちゃった。ド素人が偉そうですみません。もー、ほんと草野球も下手なくせに巨人軍の監督の采配にけち付ける親父みたいなもんです。
ともあれ、この場面を経て大雅にとって詩織は忘れられない大切な存在になるわけです。
海辺のCafé
詩織の生活感たっぷりの会話。近くの缶詰工場でパートしてて、工場が近く閉鎖になると。
対する大雅は優雅にスカイダイビング。
好きな女に精一杯カッコつけて見せる大雅。失言しちゃったかな?と思ったら「ごめん」と口にできるんですね。彼はほんとに生真面目な、いたって普通の青年です。
律義に500円を置いて去る詩織と、その残された500円を見つめる大雅です。
彼女は人に奢ってもらおうなんて意識もない。自然に普通にお金を置いてたちささる姿は、またまた大雅に強烈な印象を刻みつけたはず。
病室で息子の録画を繰り返し見る航太郎
この場面。3回目に観た時、不覚にも涙してしまいました。
父さんのね。繰り返し繰り返し息子の演技を見てる姿がたまらなくて。息子のことを本当に愛してて、心配してて。背中を押してあげたくて、自由にしてあげたくて。
伊東さんの演技のすごさが、よくわかります。
受ける松本君の無言の演技。この人は表情がほんとうに素晴らしい。父さんの言葉に思う所があったりでもその愛情がありがたかったり。何かを父親に伝えようとしかかったところで検診にきた医者に遮られる。
永遠に失われてしまった、父親に気持ちを伝える機会。
どうして僕はあのとき すぐにありがとうと ありがとう父さんと
素直に言えなかったんだろう
このモノローグが哀しくて哀しくて。
初見のときは展開が駆け足すぎてついていかなかったのだと思いますが、見直すとこの親子の愛情の深さというかつながりの強さが感じられるんですよね。だからめちゃくちゃぐっとくる。
またちょっと甘ったれ感のある大雅のモノローグが悲しみをかきたてるわけです。
自立できてない情けないニート青年は、立派な大人というより少年のいとけなさを感じさせるから。
まだまだ、彼は尻に卵の殻をくっつけたひよこで、父親のあとをぴーぴー文句いいながらついてまわってた。
その大好きだった父さんが、失われてしまった。
ここから、彼の真の自立が始まるわけで。
つまりここから、このドラマはスタートするわけです。
さて、この楠航太郎の訃報の報道画面ですが。「風の銀次郎」の放映は、2009年までになっています。ということは、航太郎が亡くなったのは2009年夏ってことです。
去年の夏。
ということは、冒頭のモノローグにしても先ほどのモノローグにしても、現在の大雅が過去を回想して語っているものだと思われます。
以上中盤の感想でした。
後半――このドラマで一番の見どころというか、私的名場面があるんですよね。