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カテゴリ:秋田市 勝手に観光案内
先日、美術館に「草間彌生」展を見に行く途中、街中を少し散策しました。
現在の秋田市街地は日本海岸から山のほうまで広く広がっていますが、藩政時代の市街地はコンパクトなものでした。 現在の県庁市役所のあたりが市街地化したのは、昭和30年代のこと。 それまでは、城跡を中心に東は秋田駅まで、西は寺町まで、歩いても20分ほどの幅でした。 その旧市街地の西端に、南北に帯状に、お寺が連なる一角があります。 住所は「大町」ですが、通称「寺町」といいまして、一部は現代になって道路拡張のため移転しましたが、それでも藩主の城下町らしく現在も17ヶ寺連なっています。 そのなかの1寺「鱗勝院」の山門が、歴史好きや街歩きファンのポイントになっています。 秋田市大町界隈 02 posted by (C)Traveler Kazu 特に変わったところのない門です。他所のお寺さんにはもっと立派な山門があるよ~というご意見はごもっともなのですが、この門は由緒に特徴があります。 実はこの門、もとは久保田城の裏門だったのです。 「久保田城」とは秋田藩主佐竹氏の居城だった城ですが、幾度かの火災に見舞われています。この門は1778年の火災のあと再建され、廃城後の1886年(明治19年)にここに移築されてきました。それまでは寺オリジナルの山門があったそうですが、大火事「俵屋火事」で焼失し、その後佐竹家から裏門を拝領、移築したものということです。 ※参考:現地の案内板 秋田市大町界隈 08 posted by (C)Traveler Kazu 寺内に入り裏側を眺めました。 移築時に形状は変わっていて、城内にあった頃にはもっと背の高い二層構造だったと言われています。 秋田市大町界隈 10 posted by (C)Traveler Kazu 門内には観音様のお姿が。 秋田市大町界隈 12 posted by (C)Traveler Kazu 久保田城の施設で藩政時代から残る建築物は、この門と、城内に残る「御物頭御番所」だけとなっています。 ※城内の「表門」は復元、「御隅櫓」は復元(ただしオリジナルと異なる) 山門の左右に伸びる板塀は、近年新しく制作されたものです。それまでは無機質なブロック塀でしたが、板塀に取り換えられたことで一体感が増して、寺町らしくなりました。 曹洞宗鱗勝院 山門 秋田県秋田市旭北栄町 google map(秋田駅~鱗勝院 徒歩経路) ※一般の寺院ですので、お寺さんのご迷惑にならぬようお願い致します。 列車・バスのかた…JR秋田駅西口より、徒歩20分程度(1.6kmほど)広小路を歩き、突き当りすぐ右側の橋を渡り小路をなお直進。 バスは、秋田駅西口5番線より【131】寺内経由将軍野線「市民生協入口ゆき」で7分、「鉄砲町」下車、少し戻る お車のかた…近隣のコインパーキングを利用してください ご法要時の宿泊にも便利です お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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